「ん?」
昼休みの木陰。頬に添える手はそのままに、読書をしていた秦茶織の視線が大きく横に泳ぐ。
その先に映るのはさらりと風になびく長い髪の背の高い男子と、銀色の髪をおかっぱにした魔女帽に紅白の巫女姿の少女。
言うまでもなく、ここ最近学校内で噂のカップルとなっている2人の姿だ。
もっと言うと、自分にとってさっきもトラブルを起こしていた相手。
「はあ」
ため息と同時に、茶織の脳裏にさっきまでの事が蘇る。
「許してくれてるかなあ」
ぶっちゃけ、自信がなかった。
「おや、貴女には確か注意をした筈ですが…」
さり気なく。しかしその奥に苦々しさを含んだ、視線と声が廊下ですれ違う生徒に突き刺さる。
「…本当にご縁がありますねえ。蔵元センパイ」
影の指す笑顔と全く笑っていない目もどこ吹く風のように振り返り、皮肉っぽい笑みを浮かべる一年生。目下風紀委員としての蔵元風矢にとって頭痛の種になる問題児だ。
そもそも、風矢にとって今年の新学期は運命の分かれ目になるものだった。
新学期早々にインフルエンザに罹ってしまい、入学式から欠席すること数日。
ようやく復帰をしたらその時は青天の霹靂だった。まずは出会いがあった。最初は風変わりな格好をして、得わからない言動を繰り返すと言う少女と出会い、いつの間にか恋に落ちた。今ではその相手はなくてはならない存在だ。まさに運命の(その彼女の使う言葉を借りるなら『大宇宙の意思』と言うのだろう)出会いだった。そして、目下もう一つの、こちらは言わば災難なのは――
「『学生らしい』服装から何一つ外れてはいないと思うけれど?」
そう言ってその女性とは両手をおどけた仕草で両手を大きく広げてみせる。彼女の格好は確かに学校指定のブレザーだ。但し、ジャケットにスラックスの男子生徒用だという点を除いたなら。
「そう言う屁理屈はやめてください。ちゃんと学校指定の女子用の格好をするよう前にもちゃんと警告したでしょう」
一年生の秦茶織。素行不良、不登校気味の正真正銘の問題児。と言うべきだろうか。
既に何度かこっぴどく注意してちゃんと指定のセーラー服かブレザーを着てくるように言っているにも関わらず、何かこだわりでもあるのかどうかは知らないが、未だに改善の余地はない。
「そういう屁理屈はよしてください。忠告を聞く気がないのですか?貴女は」
まるで答えた様子のない事に、風矢はある意味感心に近い感情を覚える。
「そりゃあ、ボクくらいの歳になったら、お洒落して、女の子らしい振る舞いして、自分だけの王子様と運命の出会いをするってのがあるんだろうけどねえ」
指導に対しても、からかうように笑う茶織。
その時、この馬耳東風の問題児に対して苛立つ風矢の中で、ふと意地悪なひらめきが浮かんだ。
「もしかして、そう言ったのに憧れがあるとか?」
「………」
その一言に、笑顔がほんの少しだけ引きつったのを風矢は確かに見た。
小憎らしい態度にふと、意地悪をしてみたくなったが、予想外に効果的だったらしい。l
「貴女だってきちんと女性らしい格好をしてみれば良いのでは?勿体ない。きっと似合いますよ?」
「…こ、ボクがそんな風になる訳ないでしょ?そ、それこそ…」
急に取り乱す茶織。売り言葉に買い言葉とはこの事だった。
「センパイの彼女とか、みたいに」
その一言に、今度は風矢の顔色が変わる。
「…小町さんの事は貴女に何の関係もないでしょう?」
「そりゃあ…ね。ただ……時雨坂サンみたいな綺麗で女の子らしい人なら制服着てなくても許せるくらいに可愛いだろうしと思っただけですよ」
「何を言ってるんですか?訳のわからないことを言わないでください」
「た、確かに…」
「ちょっと、言い過ぎたと思ってる」
学校から少し離れた街角のカフェの二階。長いいきさつを説明し終えると、出されたケーキセットに手を付けないまな、茶織はぷいっと赤く染まる街の風景が広がる窓越しに顔を向ける。
待ち合わせ直前まで進めていたレポートのファイルされたバインダーを傍らに、さっきから耳を傾けていた刑部至和子は長い黒髪をそっと掻き揚げ、笑い話でも聞いたかのようにくすっと笑う。
「そりゃあ、その風紀委員の子にお詫びしといた方がええよ」
「そう…だよね」
至和子にやんわりと促され、茶織は窓に目を向けたまま僅かに項垂れる。
この戸籍も住む場所も違う『姉』に対してはいつもこうなのだった。
「けど、昔から変わってへんな。茶織ちゃんは」
「小さいころから、こうやってトラぶってるしね」
そう言うと、茶織の窓を睨む目線が遠くなった。小学校の頃から、ひょっとしたら幼稚園の頃から周りに迷惑をかけてしまう。
「高校生になったら、大人になれるんだと思ってたよ…どこか期待してたんだけれどね…」
決まり悪そうにカップを口に運ぶ。
実際、中学生の頃には高校生になったらずっと見た目的にも精神的にも大人になっているもんだと思っていた。
その頃見ていたラノベや漫画の登場人物も高校生で――ああなるのは無理だとしても、ひょっとしたら今までと全然違う自分に変われるんじゃないかと。
例えば――
「姉さんが高校生になった時、凄い格好良く見えたんだけどな」
既に済むところも『今の』母親の言葉を借りれば戸籍上もすっかり関係の切れた『姉』がブレザーで登校していたのを遠目に見ていた数年前の事が茶織の脳裏によぎった。
「私もそん時全然変わったって感じはせえへんかったよ。もっと言うと、今も変わったなんて思ってへんし」
「ふうん……」
今は大学生になった目の前の至和子は、あの時にも増して益々しっかりした大人になっているように見える。何だかずっと遠い存在のように感じられた。
「茶織ちゃん、ここで山の絵を書いてみて?」
「え?」
唐突に脈絡のない話を振られ、茶織は一瞬訳もわからず面食らう。
「そうどすなあ。例えばえべれすとでも。茶織ちゃん知って張はるでしょ?」
そう言いながらファイルの中からルーズリーフを一枚取り出し、ペンを同時に至和子に手渡され茶織は言われるがままにペンをルーズリーフに走らせた。
エベレストを書けって、心理テストでもさせるつもりなんだろうか?
「と、とりあえずどうかな?」
至話子の前に、たった今茶織が書いたエベレスト山のイラストが
それからファイルから今度は一枚の写真を取り出した。
「ようく見て遅れやす。これがほんまのえべれすと山や」
「え?」
写真にあったのは、確かに以前も見たことのあるエベレストの写真だった。
茶織が書いたイラストよりもずっとなだらかなカーブを描いた。
「茶織ちゃんの頭の中にあるものよりもずっと違うやろ?」
「本当だ」
まじまじと差し出された写真と自分の絵を眺める。当たり前のように思っていたことが全然事実と違っていたのだった。
「茶織ちゃんの脳が、いつの間にかそうやって事実をそういう形でとらえとったんやろ」
「え?」
「これは大学の講義で習ったことやけど。人は見たまま起きたままを、そのまま受けともてるわけやないそうやで?
起こったことを少しずつ自分の受け入れやすいように形を変えて無意識に変化させてくそうや。エベレストや富士山なら、本物よりずっと山らしい感じに。自分の中で変化させていく。自分が無意識になりたいと思うものにも。でも、それに自分は気づかんそうや。
急に変わったと受け取ると自分の脳が大変な事になってしまうそうや」
ルーズリーフに向けていた視線が合った瞬間、至和子は茶織に向けてウィンクをする。
「そんなものかな?」
その問いには直接答えない代わりに、至和子は悪戯っぽく言った。
「茶織ちゃんがその風紀委員の子と喧嘩したのも、ほんとはやっかんでたんやないかなあ?」
「ええっ?なに?やっかみって??別に蔵元センパイはそういうんじゃ…」
慌ててその一言に抵抗する茶織にもう一回だけ至和子は微笑すると。
「わかってるて。茶織ちゃんがやっかんでるのはその子達が自分よりずっと大人やと思うているから。それ自体に他ならないで?
こっちもほんに不肖の妹取られそうな事になろそうやったら黙っておきまへん」
恋に恋してるんどすなあ。そう言って今度こそ大きく笑う至和子にその後しばらく茶織は抵抗を続けていた。
「おや?」
校門で取締りをしていた風矢が驚きの声を上げたのは、早朝から珍しく茶織が遅刻せずに登校してきたではなかった。
「今日は随分と殊勝じゃないですか。秦さん」
きちんと女子生徒用のコートを羽織って登校してきた茶織の格好は正直予想外だった。
「いえ、せっかく注意してもらったんですから。昨日は本当にごめんなさい」
そう言ってぺこりと頭を下げる。
「別にきにしていませんけどね。
それにしても今日は随分と素直ですね。これからずっとそうしてくれればいいのですが…」
そっけなく言う風紀委員にヘヘッと苦笑いをすると、茶織はそのまま足早に校門を駆け抜け下駄箱を抜けて、そこでようやく足を止めると。
「今日はまあ、お詫びってことで」
コートを素早く脱ぎ捨てる。その下は昨日までと同じ男子生徒用のブレザー。
「まあ、もうちょっとだけ考えさせてもらう事にしますよ」