夢か、
現か、
幻か。
人の世で、人の為に命の灯を燃やし切った龍たちが、今は限りに見る光景─────
7.気まずい空気
「…正直あんまり美味いもんじゃないな、やっぱり」
けふ、と咳き込みながらメティーは言い、グラスを置いた。
カウンターに頬杖を付き、くるくると赤毛を指に巻き付けながら溜息を吐く。単なる癖なのだが、酒でほんのり上気した頬も合わせて、何処となく色気を感じる仕草。
既にそこそこ酔いが回っているらしく、体が少し傾いている。
「楽しめないなら無理に飲む必要も無いと思うんですが」
その隣で恒磋は、お行儀よくきちんと膝を揃え、両手で持ったグラスに口を付けた。
嫁が絡まなければいい男だが嫁が絡まないことがほぼ無いことで有名(?)な、残念な美形。
メティーと同じくらいには飲んでいるのだが、特に顔色を変えることもなく、琥珀色の液体を傾けている。
「あのですね、そのヒト、生前下戸で散々馬鹿にされたのが未だに悔しいんで、今無理してるんですよ。フフッ」
更にその隣でミルクが言う。
そう、生前のメティーは、弱いどころか全くの下戸だった。なのだが、この地に来てから、多少嗜める様になっている。
死んで体が無くなったから、だろうか。普通に考えるとそれが一番納得の行く解釈なのだろうが、正直、死んだ記憶はあっても、意識も感覚もしっかりあるので体が無くなっている気がしない。
「言わなきゃバレないことをバラすなよ…」
「言わなきゃバレないことだから言うんですよ」
「根性悪いなお前」
「お陰様でございますです」
恒磋を挟んで軽口を叩き合う、生前は同じマスターの元で同僚だった二人。罵り合っている様に見えるが、二人とも口調は明るい。仲良しなのだ。
あれ、そういえばなんで僕挟まれてるんだろう。恒磋は今更そんな事に思い至るが、突然席替えというのも何だし、別に嫌という訳でもないので言わないでおく。本当に嫁さえ絡まなければさっぱりしたいい奴なのだ。
因みに、メティーのコンプレックスをバラしたミルクの前にあるのは、一抱えもありそうなチョコレートパフェ。最初から飲む気が欠片もない。
彼は生前の殆どを幼い子供の体で過ごした為、そもそも酒に余り縁が無かった。
死後試してみたら案外イケたらしいが、酒よりもやはり甘いものが好きなのである。
「下戸だったんですか。その見た目で」
「そう、それだよ。それ言われるの」
ふっ、と笑うメティー。身長二メートル近い、スーツを着込んだ伊達男。
まさか下戸とは思われず、その手の席で酒を断るのにどれだけ苦労したことか。
一番虚しかったのは、妻の家の者がやってきた時だ。
「なんでしたっけね。エレちゃんがなんかやらかした時?」
「そう。一升瓶持って」
眼鏡に白衣に一升瓶。
なんか冗談のような、ものすごいビジュアルになっていたことは覚えているが、実際用件がなんだったのかはよく覚えていない。
というか、彼の妻は彼の家でも彼女の家でも色々やらかしすぎて、細かいことまでいちいち覚えていられない。
大体原因が『愛ゆえの暴走』なので、堪りかねた向こう側が何か話しに来たのだと思うが、別にこちらが指揮したわけでもないのに文句言われてもなあ、と思うのだ。夫婦は連帯責任だと思うから、彼女が羽堂邸でやらかしたことについては一緒に主人に頭を下げる覚悟もあるし、実際下げたこともあるのだが、向こうの家でのことまで正直知らん。
まあメティーの意見はおいといて、向こうさんは多分腹を割って話し合うつもりで、もしかしたらその機会に仲良くなるつもりで酒を携えてきたのかもしれないが、それに対して「下戸です。酒は飲めません」と返す気持ちと言ったら。
体質のことはどうしようもないし、別に相手も口に出して呆れたり嘲ったりはしなかったが、…なんというか、まあ、やっぱり多少空気は冷えた。
因みに、メティーが生前やらかした酒での失敗譚と言えば、もうひとつ強烈なものがあるのだが…。
あんまり宜しくない思い出に渋い顔をするメティーの傍で、恒磋は、あー、と言いつつ天を仰ぐ。
「…昊陽嬢─────」
「えっ何?なんかスイッチ入るポイントあった?」
「あー。メメちゃんがお嫁さんの話とかするからじゃないですか?」
「いや話振ったのお前だろ。ていうか今の、嫁の話かなあ…?」
どちらかというと酒と涙と眼鏡と白衣って感じだった様な気がするが。
喉から絞り出すような声で愛する妻の名を呼ぶ青年から、それぞれ少し距離を取りながら、ぼそぼそ話し合うメティーとミルク。
引く二人にはお構いなしで、恒磋はほろほろと涙を流す。
「貴女と離れることがこれほどつらいとは…」
「まだ一時間しか経ってないよ?」
「まるで身を引き裂かれるような想いです…」
腕時計を確認しながらのメティーのツッコミは、勿論届く筈も無く。
因みに現在、彼らの愛する妻たちは、そちらも三人揃ってお出かけ中。
今男三人が飲んでいるバーについてもそうなのだが、『死後の世界』は『死後の世界』なりに文明が発達していて、女性が楽しめるスポットなんかもあったりするのだ。
…なんか想像していた死後の世界と違うなあ、と思ったりもするが(そもそも死ぬとただ死ぬだけだと思っていたので、これだけ意識がはっきりしているという時点で大分思ったのと違う。もしかしたら自分は今まさに意識を失って死ぬ瞬間で、その刹那に見ている夢なのではないかとも思うが、確かめようもないので余り深く考えないことにした)楽しいのはいいことなので、特に構わない。
こちらに来てそこそこ経つエレなんかは、既にすっかり第二の人生(龍生)をエンジョイする構えだ。娘の一人が思ったよりもずっと早くこちらに来た時にはさすがに多少落ち込んでいたのだが、今では開き直ってたまに母子で出掛けたりもする模様。並ぶと母子というより姉妹といった感じ。もう一人とも早く一緒に遊びたいなあ、なんていう発言については流石に不謹慎なので窘めた。そんなつもりは無いのだろうが、言動にそこそこアブナい所がある所は変わらない妻である。
とにかく。
生前は余り繋がりの無かったエレ、昊陽、ヨキ(没年順)だが、折角遭遇したことだし、縁があるのだから仲良くしましょう、という試みなのだ。つまり『そちらもお出かけ中』というかむしろそちらがメインであり、男三人の飲みは、それに伴って発生したおまけである。
付いていきたがる恒磋の両脇をメティーとミルクで固め、笑顔(約一名除く)で見送り、騒いで振り払って行ってしまいそうなのを二人がかりで抑えながら取り敢えず手近な店に引きずり込んで一時間。ようやく冷静になってきた(二人に挟まれている理由を忘れるくらいに)と思ったのだが、ひょんなことで再びスイッチが入ってしまったようである。
「ああもし危ない目に遭っていたらどうしよう」
「三人とも高位だし、大丈夫なんじゃないの?」
「メティー殿は奥さんが心配じゃないんですか!?」
「…別に?」
適当な慰めの言葉に、恒磋はきっと金色の瞳でメティーを睨む。
睨まれても、首を傾げるしかないメティー。
いや、心配は心配なんだけれども、恒磋の思っているような心配とはちょっと違うというか。
むしろうちの妻がよそさまに御迷惑をお掛けしていないかという意味で心配だというか。
出会った当初は、恋という慣れない感情にオーバーヒートして暴走しているのだと思っていたのだが、恋人になろうが結婚しようが延々ひたすら暴走中なので、「あ、もうこれは治らんな」と匙を投げたのは、あの世界を去るしばらく前のことだった様に思える。治らないどころかむしろ酷くなるというか、愛が深まるにつれてアホの子化がずんどこ進行するというか。そんなところもかわいーなあ、と言えるようになった自分は随分強くなったな、と思う。というか恒磋は生前も付き合いがあったので知っている筈なのだが、いかに自分の相方以外見てなかったかが解ろうというものだ。今更な話だが。
「誰か!悪い虫が!忍び寄ったらと!思わないんですか!?」
「…別に?」
言い方を変えてくる恒磋だが、返答は同じである。
あれをなんとかできる悪い虫がいたらむしろ教えて欲しい。いや、実際に教えてもらっても丁重に捻り潰すだけではあるのだが。
妻の方が浮気に乗り気だったらまた別かもしれないが、それこそ有り得ないというか、想像力の限界を超えているというか。しかし、恒磋も別にそこまでの心配はしていないだろう。というか、メティーとは違う意味で想像の範囲外。
「話題変えましょう話題。心配といえば、はねちゃ…マスターの事も心配ですよね」
暴走する側される側で嫁の話をして話が合う筈無かった、よく考えたら。
ぱんぱん手を叩いて話を振るミルクだったが、二人は揃ってくるりと彼の方を見た。
「「…別に?」」
綺麗に重なった。
「うん、よく考えたら僕も割にどうでもよかったです」
どうでもいいというか、どうなってもいいという意味ではなく、なんだかんだたくましく生きていくんだろうな、みたいな。
信頼感のような投げっぱなしのような、そんな感情である。
「一緒に契約してた仲間たちは遅かれ早かれその内全員会うんでしょうけども、マスターについてはどうなんでしょうね」
「さあ…俺あんまり会いたくないんだよな…絶対俺の責任の範囲外の事について、何らかの文句を言われる…」
主の話を挟んだせいか、ちょっと冷静になる恒磋。打って変わって、メティーは憂鬱そうだ。
「そういう星の下にいるんですかね、メメちゃん。ところで前から思ってるんですけど、メメちゃんってはねちゃんの前だと露骨に口調変わりますよね。ちょっとかわいこぶるというか媚びてるというか」
「呼び名もそうだけど、子供の頃の癖を修正し損ねてるんだよ…ていうかかわいこぶりについては俺はお前にだけは言われたくねーよ…」
「ミルクは相手で変えたりしませんから」
「その見た目で一人称名前にすんのやめろぉ」
羽堂の前で口調が変わると言うか、主人向け・女性向け・男友達向け・その他の四パターンが存在するというか。
軽快な身内トークを交えつつ、グラスを空にしてメティーは溜息をつく。
頭がふわふわしてきた。そろそろ限界だろうか。酒のグラスを脇に避け、冷たい茶を注文する。
「まあ、話変えましょうか。せっかくなんでメメちゃんのお酒の話、もうひとつ聞きます?」
「興味は無いんですが聞きます」
「息をするようにヒトの失敗譚を肴にするのやめないか。あと興味が無いなら聞くなよ」
「むかしむかしのことでした」
メティーのツッコミをものともせず、話し始めるミルク。
昔々と言うほどでもない昔の話。
あれは確かメティーがエレを娶って、さほど経ってない頃の話だったか。
羽堂邸で仕事を済ませた後のメティー、いつもの紅茶の時間に、妻から貰ったパウンドケーキの箱を開けた。炎龍は肉体の維持に必要なカロリーが他の属性の龍より多めだと言われている。それに加えてメティーは体が大きいから、それはもうよく食べる男だった。エレもそれはよく知っていたからだろう、手作りおやつの差し入れをくれる機会がよくあったのだ。
ともあれ、その日エレが作ったパウンドケーキは、バターたっぷりフルーツたっぷり、とても豪華な品だったという。
一番の調味料は愛情、というベタな追加要素もあって、メティーはそれをとても美味しく頂いたのだが──
「リキュールもたっぷりだったんですね、これが」
「ああ、ありがち…」
メティーは余り自分が酒に弱いという話を周囲にはしていなかった。別に酒が飲めないからカッコ悪いという訳でもないのだが、カッコイイ話でもないから、特にエレにもしていなかった。多分エレも知らなかったのだろう。
ともあれ、全然アルコールの飛んでいないそれを食べたメティーは、とても気が明るくなった。それで、急に理由も無く飛びたくなったのだという。
町の外れまで出て、龍の姿に戻って、二対の翼で大空へ。北の山も越え、そのまま上機嫌で飛んでいたところで、不意にとても眠たくなった。
家に戻るには少々遠い場所まで来てしまっていた彼は、ほんの三十分程眠るつもりで、手近な山の中腹に降り立ち、体を丸めて眠り込み…
「新婚で朝帰りでー、って奴ですか?」
「だと良かったんだけどねえ」
話の先を推測する恒磋。メティーは渋い顔のまま、冷やのハーブティーを飲む。
「そもそもメメちゃんとエレちゃん、生きてる時は通い婚でしたから、そういうの言わなきゃあんまり問題にならないんですよね」
話を続けよう。
ほんの三十分程眠るつもりだったのだが、目を覚ました時には既に夕方近かった。
沈みゆく夕陽を見て「あちゃー」と思ったメティーだったが、それ以上に「あちゃー」だったのは、自分の前に大挙なす人の群れだったという。
見た所何もない山に見えたその山だが、裏手に木こりの集落があったのである。酔っぱらっていて確認を怠ったのだ。
外の世界で、龍が幻想となって久しいこのご時世。僅かに現存する龍たちも、飛龍など、精霊の加護を持たぬ無属性の亜龍ばかり。
そんな世界に突然現れた、大の男が五十人寄っても取り囲むことすらできない、超巨変種の炎龍。
未知なる恐怖を前にした時、人間の取る選択肢は幾つかあるが、その辺りの集落の者たちが取った行動は──。
「寝起き一発目で、龍神様どうか怒りをお鎮めください命だけはお助けくださいって言われてみ?『なんて?』としか言えないから」
「わははははは」
ツボにハマったらしく、べしべし膝を叩く恒磋。
まあ他人事だったら面白いだろう。誰だってそー思う。メティーもそー思う。
しかしまあ、そりゃあメティーだってレベル9、炎龍の最高峰との呼び名も高い、希少炎龍メティラゴス。だが、種族の誇りは勿論あれど、いきなり『龍神』呼ばわりされる所まで行くとさすがに肝が縮む。
はてどうすべかと黙っていた所に、気まずい空気の中、しずしずと進み出てくる涙にくれる美女。
頭から白い布を被って、なんていうかその、完全に婚礼衣装。
「いきなりやるとか言われてもどうすればいいのもう。こちとら新婚なんだよ」
「だははははは」
「いやあれ本当、龍の定番だけども実際やられたら予想以上に困るからね」
「それでどうしたんです」
恒磋が話の続きを促す。興味無いと言っていた割に食い付きがいい。酒の所為だろうか。
「いらんって言ったんだけど納得しそうになくて。嫁にしないなら自害して血を捧げますくらいの勢いで。こっちも酔っ払いの寝起きで頭回んなくて、仕方ないから長老口調で『愚かなる人の子よ、契約は成された。娘が正しく生きその命を終えた時、我はその魂を迎えにこよう』みたいなこと言ったら納得したから、どういう契約やねんとか正しく生きなかったときどうするねんとか細かいことツッコまれる前に飛んで逃げ帰った」
「本当に息をするように適当な嘘つきますね」
言葉も無く、ひくひく震えている恒磋の代わりに、ミルクが呆れたように言葉をかける。
「で、帰ったら夜になってて。エレが来てたから、笑い話のつもりで話したら泣きながら殴られたから、さすがにちょっと反省した。」
腰の捻りに加えて体重の籠った一撃を、的確に肝臓の位置に入れられたという。
さすがにドラゴン、夫婦喧嘩(一方的に叱られただけだが)も洒落にならない。
「メメちゃん別に浮気とかしたことないのにそういうエピソード多いですよね…」
「なんでかなあ…前世の因縁かな…」
「いや確実に現世の、ごほっ」
しれっと真顔で言うメティーに、恒磋が咳き込みながらツッコむ。
それと、どす、とメティーの背中に軽い衝撃があったのがほぼ同時。
「だーれだ」
「エレ?」
「えへへー」
目に掛けられた手を取って、流れるように抱き上げて膝の上に。
「本当にいた…何?嗅覚?第六感?」
別にここに行くということは言っていないのだが、よくここにいると解ったな…というメティーの疑問については、入り口の近くに佇んでいた昊陽が口にする。疑問は解決していないのだが、まあ、愛の力ということにしておこうか。
因みに発言直後の昊陽がどうなったかについては、メティーとミルクの間に座っていた筈の恒磋の姿が音も無く掻き消えたことから察して頂くとして。
「一時間半しか経ってないですけど。ちゃんと息抜きできました?」
「息抜きも何も、私はミルクさんと一緒にいて疲れたりしないから」
すごいなヨキ、とその場にいる何人が思ったかは伏せておくとして。
「街中で何か見るたびに、あれ似合いそうとかこれ似合いそうとか考えちゃって。今度はみんなで出掛けましょ?」
よいしょ、と恒磋のいなくなった椅子によじ登りながら、銀色の髪を揺らしてヨキは言う。
「で、どんな話してたの?」
「「内緒」」
小首を傾げて訊くエレに、ミルクとメティーは同時に、笑ってそう言った。
夢なのか、現なのか、幻なのか──それは誰にも解らないけれど、楽しければまあいいか、感は、結局以前に住んでいた町の生活とはそんなに変わらなくて。
確かなのは、彼らの楽しい日々は、今日も明日もまだ続くということだった。
「あれのことについてはまだちょっと根に持ってるからね?」
「聞こえてるじゃん!!」
なので、夫婦の問題については先送りにせずしっかり解消しておきましょう。気まずくなるだけなので。
現世の皆、メティーさんとのお約束だ。