“君に予言をあげよう。花屋で苗を一つ買いなさい”



 花屋の前で、雨粒を滴らせた少年が一人、紙袋を抱き抱えて立ちつくしていた。

「……失敗しました」


06. 駆け込んだ先で出会ったのは。 ―白黒と紅白―


 本屋に立ち寄った帰り道、にわか雨に襲われた少年は、慌てて近くにあった花屋に駆け込んだ。そして、自分が折り畳み傘を持って来ることを忘れていた事に気付いて、蒸れる様な暑さにもかかわらず蒼褪めていた。
 彼はこの朝色の街の住人の家に居候しているのだが、未契約なので召喚石経由で戻るという選択肢が無い。仮に戻れたとしてもそうはしないだろう。あまり自分があの家の女主人の傍にいると、最古参のあの龍が不機嫌になることはもう嫌と言うほどに分かっていた。

 しかしこのままでは、雨が止んでくれない限り家に帰れない。自分が濡れて帰る事に抵抗は全くないのだが、彼が抱えている紙袋の中身は本なのだ。新品でもそうでなくても本に何かしたら笑顔で天高く吹っ飛ばす彼女のお使いである以上、絶対に濡らして帰る訳にはいかない。
 別に今日でなくとも、そして自分が行かなくても良かったのだが、普段彼女は目的の本を発売日に買って読んでいるのだ。その発売日である今日の彼女はどうも調子が悪そうだったから、あまり外に出ない方が良いかもしれないと思って少年が自分から代行を提案したのだ。恩を売る訳ではない。単に彼女に無理をして欲しくないだけだ。
 その結果はこれである。格好悪いと笑われても仕方が無い(笑うような龍があの家にいるとは思えない、と言うか思いたくないが)。

「どうしたものでしょうねぇ……」
「何かお悩みですか?」
「え」

 彼がふっと横を見やると、赤と白の服が目に入った。最近家に来た楓の服に構造が似ているけれど、下は巻きスカートではなく袴だった。巫女装束とは珍しい、と彼が顔を上げると、夜を思わせる濃紺の瞳と目があった。直接話したことは無かったが、彼は彼女を知っていた。彼女が有名人だから、と言うより、マスター同士の仲が深いからだが。

「え、えぇ。まぁ……えっと……」
「ああ、申し遅れました。私は小町と申します」

 小町は幾つか双葉が顔を見せている小ぶりの植木鉢を大事そうに抱えたまま一礼した。少年もそれに合わせて頭を垂れる。

「あ、私は惣闇と申します。あの、いつの間に隣に?」
「つい今しがたでございます。大宇宙の意思がそうしなさいと仰せでしたので」
「……不思議な方ですね」
「よく言われます」

 少しだけ肩をすくめる小町に、惣闇は更に尋ねた。

「大宇宙の意思の言葉に従うと、何か良い事でもあるんですか?」
「わかりません。私はその言葉に従うのみです」
「……いつもはどうなんですか?」
「そうですね……いつか風矢さんの髪を頂いた時は、懸賞が当たりましたね」
「おぉ、それは凄い……ですが、私の隣に来ても特に何もないと思うんですけど……その、大宇宙の意思、でしたっけ。なかなか物好きな方なんですねぇ」
「……物好き、とはまた別の話だと思いますが……」

 大宇宙の意思は別に何か特定の人物や物事に関して限定して予言する訳ではないから、誰がその予言に関わってもおかしくないのだが、いざ自分がそうであるとなると話は違うのだろう。むしろ迷惑だと言われても不思議ではないのだが、惣闇は迷惑そうと言うよりは本当に不思議そうだったので、小町はどう反応すべきか判断に迷った。
 惣闇は小町の困惑に気付いていないのか、彼女が抱いている植木鉢の双葉を見て、ふっと笑みを浮かべた。

「朝顔、ですか?」
「あ、はい、そうです。よく判りましたね」
「植物に関してはちょっとだけ知識がありまして。お育てになるのですか?」
「はい。大宇宙の意思が、花の苗を買いなさいと仰せなのでこの花屋に参りました。すると、朝顔の苗になさいという予言を受けたので、この苗を買いました」
「ほほう……朝顔が好きなのですかねぇ、大宇宙の意思さんは」

 惣闇がそう呟くと、小町は目を丸くして黙りこくってしまった。惣闇はちょっと口元を引きつらせた。

「……えっと、何か変な事言いました?」
「いえ……大宇宙の意思に対して敬称をつけて呼ぶ方を初めて見たもので」
「おや、そうなのですか……止めた方が良いですか?」
「……大宇宙の意思は構わない、と思いますよ」
「それは良かった。でも意外ですねぇ、朱音さんとかは呼びそうですけ……ど……」

 と、女主人の名前を口に出したところで、さっきまで考えていた事を思い出して惣闇は小さく呻いた。

「……本当にどうしたものやら……」
「そういえば、何かお悩みだったのでは?」
「ええ、ちょっと……この雨が止むまで帰れないなぁ、と」
「あら……傘が無いのでしたら、お送りしましょうか? 私は傘を持っていますし」
「いえ、良いですよ……これ以上嫉妬してくる方を増やしたくありませんし……」
「?」

 小町が首を傾げた丁度その時、ぱしゃんと水溜りを踏む音と同時に、アルトの声が雨音と共に二人の耳に届いた。

「お迎えにあがりました、闇龍殿」

 二人が声の方を振り向くと、ビニール傘を差して黒い傘を持った濃緑の髪の少女がいた。

「え、エゲリアさん!?」
「こんにちは、エゲリアさん」
「こんにちは、小町さん」
「あの、どうしてここが……と言うかどうして探しに来たんですか」
「下に降りたら、貴方の傘が置き去りになっているのを見まして。風の精霊に訊きました」
「あ、ありがとうございます……体調、悪いでしょうに」
「雨だけなら平気ですから。何より、本が湿気ってしまいますからね」
「……ですよねぇ」

 差し出された傘を受け取りながら、惣闇は苦笑した。この素直じゃない優しさをどうしてあの家の少年と青年は分からないかなぁ、と、残念な思いで。

「小町殿」
「はい、何でございましょう」
「その……朝顔を、育てるのですか?」
「大宇宙の意思が買いなさいと仰せでしたので。折角ですので、育ててみようかなと」
「……」

 少し眉根を寄せて黙ってしまったエゲリアを見て、ああまたか、と小町は少し胸が痛くなったのだが、エゲリアは惣闇の持っている紙袋からホッチキスで留められた薄めの冊子を取り出して、小町に差し出した。

「参考までにどうぞ。植物の育て方を特集している雑誌の付録で、今月は朝顔なので、是非」
「え、宜しいのでございますか?」
「どうぞ。季節が変わる頃までに返して頂ければそれで良いので」
「ありがとうございます」
「それでは失礼します。またお会いしましょう」
「はい、またいずれ」

 三人は互いに礼をしてそれぞれ帰路に向かった。






 道すがら、小町さんの言葉と一連の出来事を思い出して、あぁ、と思わず私は声を漏らした。

「……大宇宙の意思とは、凄いですね」
「え?」
「いえ、なんでもありません……そういえば、さっきのって、『月刊くさぐさ』の……」
「そうですよ。いつも付録だけ放っておいている貴方が今月に限って付録を読んだりはしないだろうなと思いまして渡してしまいましたが……もしかして読むおつもりでしたか?」
「全然その気は無かったので問題ありません。朝顔よりも本誌で特集されてるトリカブトの方が毒性も高く、高値で売れますし」
「とっ……。…………」

 じっとりと半眼で睨み上げるエゲリアさんに苦笑して、私は冗談交じりに答えた。

「間違ってもお食事に混ぜたりしませんから、ご安心下さい」
「それは当然ですが、それ以上にうちの店に泥を塗るようなことはしないで頂きたいのですが」
「足は付かないようにしてますよ、ちゃんと容姿を変えて売りに行ってますし」
「……なら……。……」
「それでも、良いですよ、とは言って下さらないのですね」
「当然です。危険は避けるに越したことはありません」

 そう言って歩調を速めた彼女を見て、ゆるゆると口元に笑みが浮かんできた。

「大宇宙の意思に感謝、ですかねぇ」
「闇龍殿、本が湿気ります」
「はいはい」

 全く可愛らしい方だ。



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