くすんだ色合いの壁紙が貼られた四角い部屋の中央にあるテーブルに乗ったランプの灯りが、決して広くは無い部屋をぼんやりと照らしている。淡い橙のガラスシェードを通す灯りは、絨毯と書斎、長椅子とテーブルが敷かれた迎賓館のような部屋を、まるで古びた写真のような色褪せた雰囲気にさせていた。
「さっきからずっとそればかり見てますね」
カーテンの閉じた窓越しに聴こえる窓ガラスを叩く雨粒の激しい音を背にして風矢は、明々と照り続けるランプの前で部屋中に並ぶ古い品物――銀の皿とカップ。陶磁器の壺。異国の彫刻。置き時計等々――の中の一つである装飾が施された手鏡を手に取り熱心に見入り続けている恋人。この部屋の調度には不釣り合いな紅白の着物のような服装に身を包んだ光龍の少女、小町の肩越しにそう微笑みを浮かべて呟く。
「ええ……この鏡を始め……ここのものからは霊道を強くかき乱しているのです」
ふざけている様子は微塵もなく、小町は真顔のまま頷きながら呟いた。
風矢はほんの少しだけ困ったような表情を微笑に含ませながら、今自分たちが足を踏み入れている朝町の大通りの外れ近くの骨董屋の、それこそ時空の歪んだような風景を見回す。
――きっかけは本当に唐突な事だった。デートの最中、大通りの本屋や甘味処等のデートコースを廻った後その帰り道にあるこの骨董屋に小町が興味を示した事での寄り道。
ドアを開けた瞬間に拡がるちょっとしたノスタルジックな世界に囚われた風矢の感慨も束の間だった。現実に引き戻されたと言うよりは、更に非日常の一歩上を臨むような小町の一言。
「風矢さん。ここの店から強い霊道を乱すものを感じます……」
――そんな小町の言動と価値観を今の風矢は既に受け入れられるようになっていた。
「……その、小町さん。この大雨もこの霊道の乱れ……例えばこの骨董品とかと関係があるってことなのでしょうか?」
風矢に背を向ける格好で、直接の関心自体は鏡から異国風の陶磁器の壺に移行したらしい小町から鏡をとりあえず預かりながら、風矢はふと疑問に浮かんだ事を背後から訪ねてみる。
「さあ……少なくともただの品物にそんな力があるとは思えないのですが。
風矢さんはそういうのを信じられるのですか?
……ロマンチックですね」
おそるおそるの風矢の疑問に、にべもない返事を淡々と返す小町。そして言い終える同時にちょっとだけおかしそうに頬に手をあてて唇を緩めた。
「そう言えば……前に小町さんは言ってましたよね。そういうものが直接に力を持つ訳ではないみたいな事を」
かつてまた別のところでデートをした時の体験とその時に言われた事を風矢は反芻する。
「その通りです。風矢さんは本当に聡明ですね。そのものに纏わる意思のようなものこそが災禍も縁も引き寄せる……そして……」
「そして……」
いつの間にか小町の言葉に陽弧こまれ、次の言葉を固唾を飲んで待つその時だった。
「おや、何をしてるんですか?こんなところで」
風矢の背後からやたらと人懐っこい声が響いて来た。予想外のことに固まる風矢の視界には、口元に指をそえてこちらはキョトンとした。と言う表現が出来そうな表情の恋人の顔が映る。
小町の透き通った蒼い瞳の視線から、今手にしている鏡に自分の視線を移動させるとそこに写るのは艶のある茶色の髪をばっさりと切った満面の笑顔が後ろのドアの隙間から覗いている姿。
「……おや、貴女ですか。ダージリンさん……でしたよね?貴女こそどうしてここに?」
ようやく我を取り戻して振り向く。面識のある顔だったし、そうでなければコートにワイシャツと言うそれこそどこかの都会ではありがちらしい労働者かなにかのような身なりの少年だと思って女性としての扱いなどしなかっただろう。
「ボクはここには良く来るクチなんですよ?風矢サンに……小町サンは寄り道に初めてみたいですね?見た感じ買い物の用意も傘もなさそうだし」
キョロキョロと辺りを見回すと風矢と小町にとっては突然入って来た地龍の少女、ダージリンは悪戯っぽく笑う。
「ええ、生憎通り雨が止むまではここに留まるつもりです。貴女の方こそ、こんな雨の中でもここに来るんですか?」
明らかにダージリンの様子は自分たちと違いここに何か品物を値踏みに着た様子だった。
コートを羽織った両腕に箱のようなものを抱えている。
「元々ボクは暇ですからね。むしろ雨で退屈になりそうだったから道楽の時間を過ごしに来たとでも言いますか?」
そう言うと、人差し指をピンと立てて人懐っこい笑みのまま、ウィンクした。
「おや、小町サン。小町サンもその壺に興味が?」
今度はわざとらしいくらいに大げさなリアクションで小町の手にしていた陶磁器の壺と小町に近づいていく。
「……ええ、これには様々な持ち主の想いが複雑に絡み合ってますね。
霊道を澱ませるきっかけになっているようです」
「霊堂?」
今度は虚を突かれてびっくりしたようにポカンとしたように目を壺と小町に交互にやり、ダージリンは頭を掻いて考え込むような仕草になる。
「そのものの存在したと言う縁の積もり積もって行ったものが、見えない渦を巻くようにあらゆるものに作用していくのです……」
ダージリンの方には全く目をやらず、小町はただ宙にいる姿の無い誰かにでも語りかけるかのように話を進める。苦笑する風矢の横でダージリンの方はその小町の言葉をなんとか理解しようとするように目を左右にやりながらうんうんと唸って考え込む仕草を数分続けた。
「あ〜……とにかくモノって言う見えるものの中にはいつも見えない力みたいなものが関わってるってこと?いや、なんていうか……」
理解は結局出来ないものの、納得に近い者は彼女なりにしたらしい。不機嫌そうになっていた思案顔をまたパっと元の表情に戻すと、今度は興味深そうにも小町に話しかける。
「ボクにはそういうのは分からないけどさ。それがどういう人が使っててどういう事があったのかを想像することは趣味かな」
言い終えると同時に、風矢の方に向き直り鏡に手をやる。
「あ、ちょっとダージリンさん」
「この鏡、斜めに縁の部分が削られてるよね?
これは結構信用できる古い貴族の鏡の見分け方さ。
けど、表面に黒い染みがある」
「……はあ」
小町は特に興味を惹かれた訳でもなさそうに、ダージリンの言葉に相槌を打つ。
「それって水銀が腐ったって事で、鏡としては価値を下げる最低の部分だね。
けど、この鏡よりによって縁と同じ金で修復した跡がある」
「……」
小町少し反応に困っているような様子に、ちょっとだけダージリンは表情を緩めるとさらにその先を続けた。
「だから、この鏡はきっと家族かそれに近い大事な間柄の誰かが元の持ち主から引き取って使ってたのかも知れない。ボクはそういう形に想像できるって思う」
「そのような考え方もあるのですね」
特に悪気もない様子でポツリと感想を漏らす小町。それに特に気分を悪くした様子もなくダージリンは、ちょっとだけまた笑った。
「そう言う想いだってもしも波長が合う時が来たらどこかの誰かと通じ合うきっかけになるってのはあるんじゃないかな?」
一呼吸を置いて、周囲の品々に目をやってから……
「ふうむ……」
小町はそう言って僅かに溜息をつくように頷いた。
「目に見える手段は大した意味じゃないからね」
そう言ってダージリンは言葉を締めくくる。
「ええ、でも人の手からなにかを勝手に奪うのははしたないですよ、ダージリンさん」
話を終えるタイミングを待っていたかのようにダージリンの手から優しく鏡を風矢はう奪い返していた。
「……え?ああ……これはごめんなさい」
「いえいえ、貴女のお話も聴いてて中々面白かったです。骨董とかにお詳しいのですね?」
風矢の言葉に一瞬だけダージリンは瞳を軽く伏せるようにして……
「道楽ものですからね、横道にはいつもそれちゃうんですよ
本当に失礼しました。ボクはこれで」
頭をばつが悪そうに掻きながら、慌てて今度は手にした箱にお目当てだったらしい別の陶磁器の壺を手にしてすぐに店の主人の元に向かおうとする。
そこで風矢はいつの間にか雨音がすっかり止んでいるのに気がついた。
「ああ、そう言えばあの方……」
ドアから出て行ったダージリンのあとを見ながら小町はふと思い出したよう口を開く。
「霊道を乱していた時計の一つは……あの方が手にした途端に中和されたように影響が消えましたね」
「え?」
それってどういう事なのだろう?と風矢は不思議に思ったが、少しだけ考えてあまり深くは詮索しない事にした。
「おかしな方……ですよねえ」
そう苦笑しながら、ドアの外にさっきまで激しく振っていたらしい雨の跡がくっきりと残っているのに気がついた。
「この分じゃ雨の跡で帰るのがちょっとだけ面倒になりそうですねぇ」
げんなりとした様子の風矢に、小町は近寄りそっと耳打ちした。
「天然自然の理は誰にでも平等に注ぐのです。それが収まるまで待ちましょう」
ふっと自然に風矢に自然な笑顔が拡がった。しばらくはここで通り雨と奇妙な縁が鳴るべき形に戻るのを待つ事に風矢はしようと思った。