ベルが料理をする様は、まるで音楽を奏でているようだ。様々な音が飛び交い、しかしそれが不快な音では無い。音が最後に形作る姿もまた、ピオニアにとっての楽しみの一つとなっていた。そんなことをベルに伝えれば、きっと頬を赤くしてはにかんで、たいしたものは作って無いです、と言うのだろう。しかしピオニアにとって、色のある食卓というものはそれだけで貴重なものなのだった。
キッチンからは何かが煮える音と一緒にベルの鼻歌が聞こえる。漂う香りは、トマトスープだろうか。ピオニアは針を針刺しに戻して、キッチンへと向かった。

「あら、もうお仕事はいいのですか?」

「こんなにいい匂いがしてるんだもの、仕事は終わらせてきたわ」

 あらあら、と言いながらもベルの顔は酷く嬉しそうで、くるりとピオニアに背を向けるも、先ほどより大きくなった鼻歌はベルの感情を表していた。
そんなベルを、ピオニアはつと見つめた。半月を描いていた口元が、すうと一文字へと変化する。舐めるように、味わうように、ピオニアはベルの衣服のその奥を見通すように頭の先から爪先までを見つめていた。

「あの、ピオニア……。なんですか……?」

 流石にベルも睨め付けるような視線には気づく。ピオニアの視線は、ベルのちょうどおへそのあたりを射抜いていたのだった。

「ベル、あなた少し肉付きがよくなった……?」
「えっとそんなことはきっとないとおもうのですけども」
「……脱ぎなさい」
「いいいいいい嫌です!やめてください!!」
「いいから脱ぎなさい!採寸させなさい!」
「いーやーでーすー!」

いくらベルが龍だとはいえ、人間の形をしている間はピオニアに分がある。両手を一本づつ増やしてベルの腕を掴み、もとあった腕でベルの服を剥ぎ取る。これがキッチンでなければ、いや、キッチンだからこそまるでピオニアがベルを襲っているようにも見える光景だった。ベルの、怯えたような悲鳴が家の中に響く。そんな刺激的な光景に、もう二人はほんの少し戸惑った。

「あー、こっちに気付いてくれるとありがたいんだが……」

 この家にあるはずのない男の声、びくりとピオニアの背が跳ねる。腕を元に戻し、顔には笑顔、まるで何事もなかったかのように、ピオニアは立ち上がった。振り返れば、そこにいたのは二人の男女。ピオニアいきつけのレストランの主人と、その龍だった。

「あら、ポコスさんに朱音さん、お呼びいただければよかったですのに」
「何度呼んでも出てこなかったからこっちへ来たんだが……」

 こほん、とピオニアはひとつ咳払いをした。

「ええと、御注文の品ですよね? 少々お待ちくださいまし」

 笑顔を貼り付けたまま、ピオニアはポコスを置いて行ってしまった。
 さて、一方ベルはといえば、二人のやりとりを尻目に服をきちんと直していた。頬がほんのりと赤いのは、羞恥によるものだろう。

「お見苦しいところを、お見せしました。ごめんなさい」

 ぺこりとベルは頭を下げた。
 朱音はくすくすとまるで子どもの悪戯を見守るように笑った。

「いえいえ、いいのですよー。おふたりとも仲がよろしいのですね」

 食卓に用意していたお皿などを下げつつ、ベルは二人に椅子を勧める。朱音が椅子に座ったところでピオニアが、両手に沢山の服をもって帰ってきた。紅色や芥子色、紺色など、鮮やかというよりは渋みのある色が多い服を机の上に広げ、ピオニアも朱音に向かいあうように椅子へと座った。

「あの、ポコスさん」

 仕上がりの確認をしているピオニアに、ベルの視線は向いたままであった。その目に不安の色が覗いている。ポコスは次の言葉の予想がついたから、ベルの方を向くのをやめた。

「痩せたいからといって、食事を抜くのは良くない」

「否定はしないんですね……」

 がくりと肩を落としたベルは、そっと右手でおなかまわりのお肉を掴む。たしかに、すこし、すこしとは言えないかもしれないけど、ふっくらとしたかも、しれないけれども、でもだって。くるくると思考は回る。その回転を止めたのは、隣に立っていたポコスだった。

「幸せならそれで、いいと思うのだが」

 しあわせ、とベルは口の中で繰り返した。

「あれだけ美味しそうな料理が作れるんだから、君は幸せなんだろう?」

「……そういうもの、ですかねぇ」

「料理屋の龍が言うんだから、そういうもんだろう」

 それに、と続けて、ポコスは自らのマスターを見た。
 仕上がりに満足したように、手渡された服に触れる彼女が酷く愛しく見えて、ポコスの口元が柔らかな弧を描く。

「幸せから逃れるのは、難しいもんだ」

「……ほんとうに」



◆ ◆ ◆



 朱音とポコスが帰路につき、ピオニアとベルは夕飯の席についた。
 今日はトマトスープと、チキンソテーだった。
 スープを一匙掬って、口に含む。トマトの甘みと酸味が丁度よく、これなら出来栄えとしては十分だと、ベルは思った。証拠に、向かいに座るピオニアも頬が緩んでいる。しかし、ベルはあまり手が進んでいない。

「……すこしダイエット、しますね」

 溢れるような声だった。口に入れていたチキンソテーを飲み込んで、ピオニアはナイフとフォークを置いた。ピオニアはまた、ベルを見つめる。ああ、次はなにを言われるのだろうか。身構えたベルに、ピオニアは笑った。

「こんなにも美味しいものは、しっかり食べなきゃダメよ」

 そういって、再びトマトスープを掬うのだった。

「幸せからは抗わず、幸せにありなさい」

 ベルは、大きく頷いて、チキンソテーに手をつけるのだった。

「それにしても、ポコスさんは朱音さんのこと、本当に大切なんでしょうねぇ」

 先ほどの朱音を見る瞳は、明らかに大切な人を見る目だったとベルは頬を染めた。あんな風に思える相手が出来るなんて、それはどれだけ幸せなことだろう。

「あれで告白してないなんて、とんだヘタレよね」
「ええっ!わたしはてっきりもう……」

 くしゅん、と虚空に音が散った。
 夏の宵は決して寒いわけではないのにどうしたことかと、ポコスは首を傾げた。

「夏風邪、ですかね?」

 眉尻が下がったマスターの頭をぽむぽむと撫でて、答えの代わりとした。心配するなと言っても、心配をするのは目に見えていた。

「あとでなにか、風邪に効くものつくりますね」

「ああ、たのむ」

宵闇に沈む帰り道、二人の影が寄り添って消えていった。



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