あさまちはきょうもへいわです。
普段ならオチに困ったと時に付けられる、取ってつけたような一文。
取ってつけた『ような』というか実際取ってつけている一文を再序盤に持ってくるくらい、平和な日だった。
平和すぎて、落ち着かないくらい。
乾いた頬に桜
今更言うまでも無いが、咲良は出来た女である。
未熟な所や欠点が全くないという訳ではないが、概ね世間の評価はそれで間違っていないだろう。
因みに主人である羽堂亜理紗については、『あの女があんなだから咲良がああなったのだろう』説と、『ああ見えてあれを育てたんだから見えない所で色々あるんだろう』説があるようだが、羽堂亜理紗本人はそれについて特に補足する気も訂正する気も無いようだし、その件はこの話に関しては全く関係のないことなので、今回は一旦置いておくことにする。一旦とは言うが今後拾われるかどうかは定かではない。拾えるなら誰か拾ってくれ。
そんな前提とメタメタしい話は置いておいて――話は序盤に戻る。
その日は本当に平和な日だった。揶揄や皮肉という訳ではなく、客観的に見る限り本当に。
変わり映えのしない日常を『安定』と称するか『マンネリ』と称するかは個人差のある所だろは思うが、とにかく『平和』だったのだ。
いつも通りの日。なんでもない日バンザイ。ただ、咲良の機嫌がいつもよりも少し『良い』ことを除いて。
何があったかは知らないが、機嫌がいいなら結構じゃないかね――大多数の者はそう思うだろうし、実際その日彼女に遭遇した者たちも、一部を除いてそう思っていた。
ここから始まるのは、その『一部』の内、当事者たちと、離れた所で好き放題言い散らかす無責任な者どもによる一幕である。
「あの」
朱音邸の食堂の片隅。バイトを終えた後の咲良が、その日の余りものと称して出された甘味をつついていた。
因みに余りものというのは何故か身内でもないのに彼女を溺愛する店主の方便である。そう称しないと彼女が手をつけないからだ。その辺の機微は咲良も察しつつ、余り頑なに拒否し続けるというのも礼に反する気がして、こうしてありがたく頂いている。
その向かいの席に陣取った太陽は、いつになく神妙な顔をして切り出した。
「何かありましたかね?」
「何が」
問いに対して、きょとんとした表情で咲良はそう返す。
何がも何も、それを訊いているのだが。
太陽が重ねて尋ねようとする前に、咲良は何か察したようで、「んんー」と言いながら視線を泳がせる。そして、「まあ、何かあったよ」と答えた。
何かとは、と追加で重ねようとする前に、咲良は「んんんー」と言った。ん、が一個増えていた。
それからいつもよりも間延びした口調で言葉を続ける。
「そうねー。自分の中でそれなりになんとかなるまで置いておこうかと思ってたんだけど。なんか洩れてるみたいね」
「まあその、長いですから」
付き合いの話である。出会ってからの話でもあるし、交際期間の話でもある。龍は交際開始とほぼ同時にこの世を去るカップルもかなりいる(というか羽堂亜理紗近辺の龍たちが特殊なだけで、むしろ全体ではそちらが多数派)なので、この二者の『恋愛感情を含んだ関係を構築し続けている期間』は、龍の平均的に見てかなり長い方に入る。
それはともかく。
咲良は今度は目を閉じながら、「んんんんー」と言った、放っておくと何処までも増えるかもしれない。普段なら多少おどけて突っ込むところだが、太陽は敢えてそれについては言わないでおく。何があったかは解らないにしても、そういう雰囲気じゃないのは判る。むしろそういう雰囲気じゃないのにそこがちょっと気になる自分がちょっと嫌だな、と心の隅で少しだけ思った。
「率直に言って言いたくない。あんま愉快な話じゃないから。だけどまあ、お前がそう訊いてくるくらい洩れてるなら仕方ないというか…匂わせというか、『さあ私はどうして機嫌を損ねてるのでしょうかクイズ』みたいになるのも嫌だしな、だけどまあ言いたくないから、さらーっと言う。さらーっと言うので、お前もさらーっと聞き流してほしい」
「はあ」
咲良は、「んんんんんー」と言った後に、その日一日のそれまでそうだったように、いつもより少し機嫌のよさそうな顔で、明るい口調で言った。
「お前、私を売ったんだって?」
「さて、どうなりますかねー」
火乃香は、洗い立ての洗濯物をぱんぱんと伸ばしながら、特に感情のこもらない口調でそう言った。
「割と他人事みたいに言うね」
少し離れた所の椅子に腰掛けながら、フェレスがそう言う。特に頼まれていないので手伝いはしない。
別に手伝ってもらう程の量でもないので火乃香も別に要請はしない。
ただそこにいるので、話を振ってみただけである。
「他人事ですからね」
「割に意外な反応」
羽堂邸の龍の関係は、『同僚』。あくまで同居している『同僚』。
しかし、火乃香と咲良は親友とも言える間柄だと思っていたが。
「まあ、なんも思ってないわけではないです。だけど身近に自分以上にキレてる人がいると逆になんか冷静になる、ってありません?」
「あるけど。ああ見えてめっちゃ怒ってるってこと?」
「いや、咲良ちゃんの方じゃなくて」
ぱんぱん。
伸ばしたタオルを物干竿に引っ掛けながら、火乃香は一旦言葉を切る。
「今回の件、咲良ちゃんは困惑…いや困惑もしてないか。本当に『んんんんんんー』って感じなんですよね」
何故か増える『ん』の数を把握している火乃香。フェレスにとっては意味が解らないが、いつものことなので特に触れない。
「じゃあ誰が?」
「うーちゃん」
というか、他に誰がいるのか。
「外見上わからんね」
「本当忘れがちですが、あの人一応お貴族様ですからね。腹芸と保身に関してはそれなりです。ま、羽堂の家風的にも立場的にも正式な淑女教育的なものは受けてないでしょうからほんとそれなり、ですけど。ていうか貴方、うーちゃんどころじゃなく咲良ちゃんの方のなんか違う感も『外見上』は気付いてないでしょう?」
咲良の微妙な変化に気付いていないフェレスが今回の事態をなんとなく把握しているのは、当事者とは行かないまでもそれなりに関わったからである。
太陽が咲良の写真を『本人に無断で』朱音に流し、その対価として朱音が食品含む物品を太陽側に流した。
闇龍は生来『光物を好む』という性質がある個体が多く、結果人に飼われた闇龍はその家の金銭や物品の出入りに関わる役割を任せられることが多い。羽堂邸もその例に洩れずそうであるが、朝色の町のような人間(に限らず)関係が密である町では、自分の家のみならず他者同士のやりとりについてもなんとなく耳に入る機会を得ることが多いのだ。
むしろそういう機会の全くない火乃香が何故事態を把握しているのかの方が余程謎なのだが、それもいつものことなので特に触れない。
「わからんというか興味があんまない」
「でしょうね。っていうか、貴方、ポコスさんと…めっちゃ仲いいってわけじゃないですけどそれなりに交流あるんですから、『売買』が実際発生する前に『やめとけよ』くらい言えたでしょ」
「言わなきゃいけなかった?」
「そういうところですよメフィストフェレスのフェレスの方」
「なんだその呼称」
フェレスの『そういうところ』もいつものことなので、火乃香の方も特にそれには触れない。
「まあともあれ、咲良ちゃんは本当に『んんんんんんんー』ですが、うーちゃんが割にブチギレ金剛なんですよね。朱音さんの方にも『ていうかあんたも買うなよ』と。事なかれ主義の彼女にしては結構ストレートド真ん中に抗議してました。朱音さんの方については八つ当たり気味なのは自覚しているらしいので一言二言でしたが」
「それは相当行ってんな」
「です。うーちゃんがそんな感じなので、私は当事者からなんか言われない限り特に手を回したりはしないつもりです」
ブチギレ金剛状態のマスターの機嫌を損ねていいことはないので、と火乃香は言った。
それくらいの良心…というか、保身の心はあるらしい。
「因みに何故こんな話をわざわざ貴方にしているかというと、家事をしているので手は忙しいけど心は暇だからです。あと一応『次そういう所に遭遇したら止めないまでも一言かけとけよ』という対人ライフハックを無駄だと思いつつも一応耳に入れようとしています」
「それはどうもありがとう」
止められないまでも、一声かけておくだけでだいぶ違うものである。
ライフハック伝授を『止めろ』ではなく『一声かけておけ』に留めておくのは、本当に今回の件、『んんんんんんんんー』だからである。
事態を把握した太陽は、当然の流れで謝罪しようとしたのだが、咲良はそれを受け入れなかった。許せないからではなく、本当に『怒ってはいない』からである。怒っていないことについて謝罪されてもどうしようもない。怒ってはいないが『どう処理するのかわからない』というか、本人がその場で言った通り、『自分の中でそれなりになんとかなるまで一旦保留』中だからである。
「彼女自身にとって『不本意』なこととはいえ、彼女、例の魔法使わない少女の公演を手伝ったりもしてますし、それに伴ってブロマイド的なものの流通もしています。私のサロンや朱音さんの店でも、チェキ求められたりしてることもありますし、『不本意』でも付き合っています。仕事だからです。うーちゃんに求められた仕事で、うーちゃんにサロンを任された私の求めた仕事だからです。咲良ちゃん自身が自分から自分の容姿を売りにしたことは一度もありません。本人も自称している通り、彼女は人の姿に化けるのが不得手なので、それについてのコンプレックスもあるのでしょう。だけど見ての通り、本人の意識はともかく、咲良ちゃんは綺麗です。恋人にとっては自慢の彼女であることでしょう」
というかそうじゃなかったら殺す。
的な圧を感じる。
「そして現実に彼女の容姿は、『不本意ながら』身内の枠を超えて市場に流通しているのですよ。身内の枠を超えて既に流通しているものですから、よりプライベートな身内でのやりとりなら問題ないであろう…というか、むしろ彼女自慢の一環なのかもしれません。でもまあ、そこまでわかっていても、まあ一瞬よぎりますよね。『売るんだ?』。なんかこの辺、それこそ『長いですから』というか、咲良ちゃんが賢いのがむしろ微妙な事態なんです」
長いですから、の意味はフェレスにはわからなかったが、それもいつもの(略)
「うーちゃんの方もそうなんですが。うーちゃんの方も、彼女がそれを不本意に思っているのを知りつつも、愛龍自慢もあって市場への流通に手を貸しちゃった事実もあるし、同類ではあるんですよ。まあそれはそれとして、基本、人は…というか知的生物は意識的無意識的はさておいて、ダブルスタンダードといいますか、自分のことは棚に上げる生き物なので。まあでもほんとそれはそれとして、『…売るんだ…?』ってお気持ちがよぎったのは事実で。だけど彼女の容姿が市場に流通してるのも事実で、向こう側の悪意の無さが理解できちゃってるのも事実で。事態の裏取りができた時点でそういうの一切関係なく『私の許可なく私の写真を他人に流して商売すんのかお前は!?』ってキレ倒してた方が…泣かれたりしてた方が太陽さん的には楽だったんじゃないでしょうかね。」
むしろキレ倒されるところまでセットで見込んでいた疑惑すらある。
キレや泣きどころか乾ききっていたわけだが。
「ふーん」
「ふーんで済ませるところがとってもメフィストフェレスのフェレスの方」
「さっきから血縁上の兄と元ネタの悪魔が言われのない火傷をさせられてる気がするんだよな。まあいいけど」
いいのか。
「因みに、『どうなりますかねー』とは言いましたけど、多分どうにもならないです。ネガティブな意味ではなく。ポジティブな意味でもありませんが、ニュートラルな意味で、何も起こらない、という意味でどうにもならないです。時間薬が解決してくれる問題でもありません。だって咲良ちゃんは本当に怒っていないから。ただまあ、『文化が違う!!!!』とは思っていると思います」
「んんんんんんんんんー」
「私も貴方もあちらの家とは浅からぬ縁がありますから、わかるでしょうが。どちらが正しいとか間違っているとかそういう話ではないのです。でも、だからこそちょっとしたことでこういう…外野からは『もはや遠い親戚』と言われるくらい縁の発生している家同士でも、こういう、トラブルとまではいかない微妙な『文化が違う!!!!!』が発生するわけですね。そんでまた、双方それが解っているからこそ、いっそのこと話がややこしくなったりするんですよね。うちとあちらの家庭は結構方針が違いますが、お互いそれを批難したり強要したりはしない。…いやまあ個人…ていうか個龍レベルでは多少ありますが…」
少し目を逸らしながら言う火乃香。
まあ、なんというか、誰のことなのか心当たりはある。
「なんつうか、うーちゃんとパッチ―さん、仲は悪くない、というかむしろいい方だとは思うんですが『いい意味でお互いに興味がない』んですよ」
「無関心ってわけでもないもんなー」
「お互いに祝い事を喜んだり逆の事を悲しんだり、は建前じゃなく心底からやりあってますからね多分。でも、『いい意味で』興味がないから、ここまで縁が発生していても、『方針の擦り合わせ』みたいなことをしたことはない訳です。ゴーイングマイウェイ。マスター同士でそういう押し付け合いや擦り合わせがないので、お互い龍にそういう訓示を垂れることもない訳でね。まあうーちゃん、むしろ朱音さんの方に抗議した言いましたが、そこはやっぱ同性のほうが気安いっていう単純な話でしょうね。八つ当たり感は否めないです。余談ですが『ていうかあんたも買うなよ』に対する朱音さんの回答は『多少理性を失っていたのだと思う』だったとのことである」
「思う て。…と一応突っ込んではおくけど。…まあ確かに、どうにもならん、というか何も起こらんな」
「これをきっかけに、龍への諸注意のためにうーちゃんとパッチ―さんが話し合う…ってことは多分ないので。ていうか話し合っても意味も意義もないですし。うーちゃんのキレの方については恐らく時間薬が効きますし。太陽さんはしばらく腹の据わりの悪い思いをするとは思いますが、彼は一度…と言わず二度三度それくらいのことがあった方がいいと思います」
「割と酷い」
「長いですから」
「さっきスルーしたけど長いって何?」
「お気になさらんと」
「なるわい」
「まあ取り敢えず結論としては、『長い』といいことも悪いこともありますが、むしろ『いい』『悪い』とはっきり言える話の方が解決に導きやすいのでむしろスッキリしやすいです。まあ解決じゃなく決裂する場合もあるわけですけど、どっちにしろ決着するわけですから据わりはいいですね」
洗濯物を干し終えて、火乃香は少し遠い目をした。
羽堂邸ともパッチ―邸とも違う、全く別の方向を観測しながら。
「そういう意味では、『悪い存在』を押し出していくのもひとつのライフハック…ではあるかもしれません。そういうのは得意だと自負してはいますが」
「ツンデレめ」
「なんでこういう時だけ察しがいいんですかね」
「長いからだよ」
「違いありませんね」
色んな所から色んな人が来て、色んな文化が混在して。
そうするとやはり、色々ある訳で。
色々にはいいことも悪いこともある訳だが、中には当然『どうにもならんこと』も。
釈然としなかろうが据わりが悪かろうが、それでも日々は過ぎていく。現実、綺麗なオチがつくことの方が少ないものだ。
「幸い、この町にはそれを飲み込んで生きていけてる人の方が多い。それこそ『平和』ってことなんかね」
「それはそう」
何かしら悟ったようなことを言うフェレスと、軽く返す火乃香。
乾いたさくらの話題だったが、季節はそろそろ冬が近づいてきた。
願わくばこれから先も、なんだかんだで『今日も平和』と言える日々が続きますように。
色々あっても、それが町の住民たちの普遍的な願いであることは、紛れもない真実である。