「くーちゃん、はい」
 笑顔で差し出されたそれに、どんな意味があったのか。
 向けられた笑顔に、どんな意味があったのか。

 それは今となってはわからない。今となっては、意味がない。
 それでもただ。思い出として、息づいている。

思い出の中の君にローズマリーを

 昔々あるところに―――
 そんなはじまりがふさわしい、昔の話。

 あるところに、一人の男の子がたっていた。
 夕日みたいな髪をした、真っ赤なお目目の男の子。
「くーちゃん」
 うれしそうにそう呼びかける男の子の目線の先には、これまた一人の女の子。
 夜の色をした髪と黒の混じる赤色のお目目をした女の子。
「またせてごめんね、こーがおにいちゃん」
 女の子は息を切らせて、しゅんと肩を落とす。
 そのセリフから、二人は待ち合わせていたことが分かる。
 ところどころ髪に葉っぱを付けたその姿から、女の子がとても急いできたことも。
 だから、というわけでもなく。男の子はにこりと笑い、首をふる。
「いいよ。くーちゃんのほうがまってることもあるもんね」
 やさしく笑うというよりは、当たり前のことをいう表情で。
 告げられた言葉に女の子も笑う。
 照れたように、うれしそうに。そう言った言葉に慣れていないかのように。
「まってるの、たのしいよ? きょうはなにするかな、って考えるの。たのしいよ」
「ぼくもたのしい」
 照れくさそうな笑いは、男の子にも伝染する。
 くすくす、えへへ。
 そんな言葉の似合いそうな、ほほえましい光景。
「わたしはね、いっぱい考えたよ」
 手を広げて、上下させ、いっぱいと繰り返す女の子。
「ぼくだってたくさん考えたよ」
 同じような動作――ただしこちらはで、片手で、たくさんと示す男の子。
 青い空のした、どちらがよりたくさんのことを考えたのかを競わせる二人は、ふりまわしていた手をぴたりと止める。
「じゃあ、一つずつやろう」
「うんっ」
 大きくうなづきあった二人は、どちらともなく手を取り合う。
 そのまま歩きだそうとし、男の子は「あ!」と声を上げた。
「でも、ぼくもきょうはおくれてきてたんだ」
 だから、ちょうどよかったよね、とつぶやく男の子の手には、よくみるとなにかが握られている。
 首をかしげてそれを覗き込もうとわたわたとそれは隠された。
 少し不満げに唇を尖らせる女の子に、男の子はまた「あ」と声をあげる。
「いじわるじゃないよ。ちょっと内緒にしたかったんだ」
「そーなの?」
「だから、目、つむって?」
 くーちゃん、と手を合わされ、女の子は目を閉じる。
 不満げに唇をとがらせたまま、それでも上気した頬で、楽しそうに。
 その表情がうつったような顔で、男の子は隠していたものを持ち上げる。そっと少女の頭にのせる。
「ね、目をあけて!」
 どこか得意げな声に女の子は目をあける。
 そして、頭の上の違和感に手を伸ばす。
 小さな手にぼふんとふれたのは、少し冷たい感覚。冷たくて、やわらかい。なんともいえずよい香りのなにか。
 好奇心のおもむくまま、女の子はそれを手に取る。
 きれいに編まれた王冠は、ところどころに紫の花がある。
 女の子はコクリと首をかしげて、問いかける。
「お花? 草?」
「わかんないけど、いいにおいだよね」
 だから、もってきたんだ。
 告げる男の子が、王冠の編み方を覚えたのは、女の子との遊びの中。
 どちらともなく覚えたそれを見ながら、女の子は大きくうなづく。
「うん」
 うなづいて、うれしそうに笑う女の子。
 にこにこ笑顔の女の子と同じような顔で、男の子はそれにね、と続ける。
「きれいだから、見せようと思って」
「…ありがとう」
 内緒話のようにひそめられた声が、言葉の内容か。
 とても照れくさそうな女の子は、それでもつないだ手を離さない。
 しまいには踊るように両手でつないだため、花の王冠は二人の手の間でゆらゆらと揺れる。
 つないだ手の間に、ふらふらとそれは揺れていた。
 つなぎあった手を、その時確かに飾った。

 それは、青い空のした。
 とてものどかな、いつかの思い出。

 おとぎ話に似た、今は昔のお話。


 その思い出を、遠くにしまい。
 くーちゃん改め111番地オーナシェフである少女は、ある朝呟いた。

「……これ」
 本日朝、元気に家事にいそしむ炎竜の腕にかかえられた、見覚えのある花。否、花というよりハーブ。
 思わずつぶやいた言葉に、彼女はああ、と笑う。
「ローズマリーですよ。スパイスに重宝しますから、ってもってきて下さった方がいるんですよ。きれいですよね」
 きれい。
 その言葉に、少女は笑う。
 どのような意味かは自分でもはかれない―――やわらかい笑み。
「…そうですね」
 呟く少女は、つんとハーブを指先でつつく。
 ふわりと広がる香りは、きっとあの日と同じ。
「まあ、そのうち使ってみましょう」
 きっと同じなのだろうけれど、よくわからない。

 胸の中で呟いて、少女はそっと目をつぶる。
 ふわりと広がった香りと、瞼の裏の闇。

 その中に、遠い笑い声を、聞いた気もした。



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