月が似合うと恋人に称された女がいた。その娘もまた、月を背中に美しい。
「なにをしていらっしゃるの?」
白々と美しい光を、つややかに黒い夜を。すべて己の背景にとりこんだ、少女はとても美しい。
うっすらと微笑む瞳の先、花束を手にした龍をとらえ。
美しい少女は、穏やかに笑った。
移り気な貴方にダリアを
68番地の庭。ある早朝、虫を探して異なるものを見つけた雛姫は、大きく首をかしげた。
美しい薔薇の咲き乱れる庭には、ある日花束が落ちていた。
赤い薔薇で作られた、素朴な花束。かわいらしいピンクのリボンで飾られた花束。添えられたカードに書かれた言葉は、『愛してます』
それはそれなりに美しいけれど、庭に落ちているのは不釣り合い。
花束を抱えた雛姫は、再度首をかしげた。
雛姫の持ってきた花束を見、68番地の女主人は首を振る。
「イソレナさんじゃないね。昨日は一晩パッチーさん達とどんぱちしていたのをみているから。朝はへろへろで帰って行ったよ」
「僕でもないんじゃない。心当たりないし。見た目が女性に贈るものだろ」
軽い口調で否定するフェレスに、火乃香はあら、と声をあげる。
心当たりはあってしかるべきかと、と指摘するのではなく、華やかに笑って。
「決めつけるのはよくありませんね。もてない殿方の第一歩よ?」
「第一歩かなあ」
まじまじと花束を見返しながら、フェレスは嫌そうな顔で繰り返す。
なにやら続きそうな会話を遮る声は、ええ、と軽くうなづく火乃香の肩越しから。
「…心あたり、あるかも」
つい先日某家の白衣をひるがえす地龍との交際をはじめた咲良は、小さく呟く。
あまり嬉しくはなさそうな表情を、整った顔ににじませて。
「太陽くんが?」
「いや、太陽ではないと思うんだけど…」
ため息でもつきそうな顔で彼女が語る内容は、そこそこによくある話だった。最近はないが、彼女が店番をはじめた直後はそれなりにあったこと。
店番をしていたら、花束を贈られた。
その龍は緊張した面持ちで告げてきた。
ぜひ僕と交際を、と。
「その場で断ったんだけどさ。ちょうどそんな感じの花束だったな」
「そうですよね。太陽さんがいますものね」
「だよねえ。太陽君がいるしねえ。結構知れ渡っている事実だけど気にしていないのか。野生ならあるいは知らないのか」
「た、太陽の話は関係ないだろ…」
赤くなってぷるぷる首をふる咲良。
ああうんこれはかわいいなぁ。あるいはあきらめられないっていうのもありか。迷惑だけど。
内心で呟いた羽堂は、ぱん、と手をうつ。
「そういうことならとりあえず身の身辺を気をつけておくべきだね。エスカレートしたら大変だし。
それこそ太陽君にナイトを頼むとか」
「自分の身くらい守れるよ」
明らかに揶揄の色を含んだ最後の一言に、咲良は憮然と唇を尖らせる。
赤くなる親友の姿に、火乃香はわずかに目を細めた。
そして、次の日。
朝露でぬれる薔薇の園、そっと置かれた花束を見つけたのは、剪定鋏をもった火乃香。
昨日と同じく、薔薇の花束。添えられた言葉は、今度はない。また、色も赤から黄色へ変わっている。
「意味をわかってやっているのかしら」
唇に指をあて、かわいらしい笑顔での独自。
けれど赤い瞳にあるのは、あきれたような光。
咲良は断ったのだと言った。ならば彼女は誠実に、真っ直ぐに断ったのだろう。だというのに、あきらめが悪い。
薔薇全般に当てはまる花言葉は、愛。恋。美しさ。幸福。
しかし色で微妙に異なり、黄色の薔薇に当てはまるのは。
「嫉妬、だとしたら困ったものね」
小さく呟く火乃香は、黄色い花束を拾い上げる。そのままの姿で、ふぅとため息を落とした。
その夜。
68番地の庭を通りからみつける、青年が一人。
こげ茶色の髪をした、とがった耳の青年。
人ではなく地龍と思われる特徴をさらした彼は、思いつめたようなまなざしで手元を見つめる。
手元にあるのは、大輪の花。
美しいダリアの花を思いつめた、重苦しいまなざしで見つめた彼は、ゆっくりとそれをふりかぶり―――
「なにをしていらっしゃるの?」
背中にかかった声に、ビクリとその動きを止めた。
どこかこわばった動作で、その龍は振り返る。
暗いまなざしを受け止めて笑うのは、彼が花束を投げいれようとしていた薔薇の園を作る少女。ゆったりと腕を組んだ火乃香。
「今晩は薔薇はやめたのね。どうして?」
「……っ」
息をのんだ彼は、ぐっと唇をかむ。そして、言おうとした。そんな事を教える義理はない。
けれど。
「教えてくださらない?」
向けられた笑みに、その陰にちらつく挑発的な色に、彼の中でなにかがはじけた。
ぼそり、と彼は呟く。
聞いていなかった、と。
店番をする彼女をみたのは、ずいぶん前。それこそ、彼女の髪がまだ長かったころ。
その真っ直ぐなまなざしに、彼は一目で恋をした。
それが鍛冶屋の龍だと知るのは容易だった。が、近づくのは難しかった。
彼女のそばにはいつもだれやかれやと客がいて、その中には彼女との交配を求める主もいて―――
だから彼は決めた。強くなる。
主を決め、強くなる。そうすればきっと言える。好きです。どうか僕と、と。
だから彼は、主を求める旅にでた。
まっすぐで、かたくなな目をした少女。
だから、思わなかった。
旅の間に、彼女の隣を手に入れる龍がいることなど。
「それでダリア―――…ああ、その顔はさしづめ移り気だとでも罵りたいのかしら。
馬鹿な話ですね。何の約束をしたわけもなく。思いをつげたわけでもなく。なにを勘違いしたのかしら。あなたは結局たいした努力をしたわけでもなしに、おめでたい」
嘲笑の色を隠さない声色に、うつむいていた龍は顔を上げる。怒りの表情で。
そうして何事かを吐き出しかけた唇は―――ぴしりと固まる。
彼を見つめるのは、赤い瞳。
甘い笑みの形に歪んだ、蠱惑的なそれ。
同様に微笑んだ唇から出る言葉は、淡々と夜を裂く。
「勘違い。思い込み。勝手な期待。それしかできない馬鹿の行きつく先なんて、精々こそこそ花をおいていくくらいね」
ぱさん、と花束が落ちる。
いつの間にか力の抜けた彼の手から、こぼれおちる。
地面にころがるそれを見降ろし、火乃香が思い出すのは花言葉。この華やかな花にまつわる、いくつかの言葉。
その姿にふさわしい「華麗」「優雅」「威厳」―――そして「不安定」
彼女には似合わないと、そんな風に思う。
「…むしろこれは私にこそふさわしい花だわ」
ぽつり、と呟いた言葉は、うつむく龍に届かない。それでよいのだ。
彼女が届けたいのは、まったく別の言葉。
「なにはともあれ、私は少しお話をしたいだけです」
少々お付き合いください。
優雅に微笑むその顔は、月光によくはえた。
翌朝。
トイレに飾られたダリアの花を見た羽堂は、わずかに目をほそめる。
「火乃香」
声をかけるのは、台所でフライパンをあやつる炎龍。
「なんですか? うーちゃん」
振り向いた彼女は笑顔で首をかしげる。愛らしい仕草。普段通りの仕草。
だから主人は小さく笑みを返し、問いかける。
「今日の朝ごはん、なに?」
「ふわふわのおむれつです」
「しょっぱいの? あまいの?」
「塩コショウでシンプルにいこうかと。ケチャップなどでお好みに調整してください。ほどほどにね」
言いつつ火乃香に握られたフライパン中ではねる、黄色いオムレツ。
焦げ目もつかないそれは、とてもおいしそうだから。
「そう。ありがとう」
「いえいえ。このくらい」
笑う主人に、炎龍は芝居がかった仕草で肩をすくめた。