風のそよぐ音と、ページのめくれる音。
微かな音だけで満たされた部屋には、たくさんの本と、少女の影が一つ。
静寂に満たされた部屋に、不意にノックの音が響く。控えめで、慣れた音。その主を予想しながらどうぞ、と声をかければ、静かに扉が開かれる。
「エゲリア」
遊びにきた、と手をあげる地龍に、風龍はもう一度「どうぞ」とくりかえした。
純情な君にフリージアを
「軽く読める本が読みたくてさ」
探しているんだ、と笑う友人に、エゲリアはすっと立ち上がる。
衣擦れの音も静かに淀みなく。山のように本の並ぶ棚からより出されたのは、いくつかの薄い本。
丁寧に差し出されたそれは、シンプルなものもあれば、可愛らしい絵が書かれているものもある。たった数冊でも現れるその差は、この部屋の本の種類を思い起こさせ、それを把握している彼女に驚愕せずにはいられない。
「すごいよな、エゲリアは」
「読みたいと思った時読みたいものを取り出せなかったらストレスでしょう」
静かな口調で言う彼女がす、と指を動かす。
ふわり、とうきあがったのは積んであった本の一冊。風の精霊の干渉を受けたそれは、座ったままのエゲリアの手の中に優しく受け止められた。
「たくさんの本が待っていますから」
「そういうものか」
「ええ」
僅かに頷き、本の世界へ戻っていく友人に、咲良は何も言わない。
この書庫の主は静寂を愛していて、自分はそんな彼女が嫌いではないから。黙って薦められた本を見る。
ぱらり、ぱらり。
僅かにページのこすれる音と、お互いの呼吸の音だけが響く。
耳を澄ませば聞える、町のざわめきや、下で忙しく動き回る音が、妙に遠い。たまに二、三と言葉をかわしながらも、すぐ訪れる静寂に飲み込まれる。
ぱらり、ぱらり。
その中でじっと本を読む彼女は、非常に美しい。整った愛らしい造形をしているから。
咲良としてはちらりとそう思ったりするのだが、口に出すことはしない。
別に必要のないことどころか、綺麗だ、可愛いという言葉を口にすると―――また謎の言い争いに発展してはおもしろくない。エゲリアは可愛いのになぜかそれを認めてくれないから。
『お前の方が可愛い』『いいえあなたの方が』
褒め合っているのに当事者としては、ちっとも楽しくない言い争いは、したくないから。
「これ、可愛いなあ」
けれど、別の対象なら気にすることもない。
そう思ったわけではなく、自然に口から出た言葉は、咲良の持つ本に向かっている。
彼女お勧めの、冒険小説。お使いがどうとかならともかく、野菜の値上げがきついだのなんだのやたらと所帯じみた内容が印象的なそれ。
可愛らしいイラストのついたそれは、絵本といってもいいのかもしれない。
描かれている主役は、真っ白いマントをまきつけた、元気な男の子。
ひょうきんな彼の日常は微笑ましく、描かれた表情は生き生きと。
可愛い、というよりは、妙に可愛らしい。
立ちあがりそれを覗きこんだエゲリアは、ああ、と頷く。
淡いタッチで描かれた妙に丸っこい男の子。デフォルメされたそれは、確かに可愛らしい。
それに、
「少し太陽殿に似ていますね」
ぱらり、ぱらり。
咲良が言葉を失ったその一瞬、風が吹き、ページがめくれる。
微かな音に誘われるように、彼女は開いたページをまじまじと見返す。いましがた可愛いと評した、そのイラスト。
主人公は、茶色い髪の男の子。その真っ白いマントは確かにちょっと白衣に似ている。
いつも笑顔の男の子。にこにこ、というよりはにやにや、というようなその表情は、確かに、こう。
丸っこい絵柄でまったく気にしていなかったが、これは。うん―――
確かに、と思ってしまえばぽん、と赤くなる。
「しばらくお貸ししましょうか」
静かな口調に滲むのは、少し面白がるような色。
赤くなった咲良、こほん、と咳払いを一つ。しかし、その反応は消せない。赤みが引いても、気まずげなその表情は消えない。
「い、いい」
バタンと本を閉じる。―――どうやっても表紙が見えて、やっぱり気まずさはきえない。
いや、気まずさなんて感じなくていいじゃないか。私はそんなことを考えていたわけじゃないんだから。ただこの本が気に入っただけなんだから。
「別に気にしなくともいいのではありませんか。ただ私が似ていると思っただけで、あなたには関係のないことですから」
「関係もなにもそんなつもりでいったんじゃないからな…」
内心を見透かすような言葉に、ぽつりと返す咲良。
うんざりとしたような、困ったような反応に、エゲリアは内心で呟く。
ああ、まったく。愛らしい方。
「ここにマスター殿がいらしたらさらわれてしまうレベルです」
「え、何それ怖い。というか何の話?」
他愛なく続く会話の合間、ざ、と風が吹く。
めくれたページの中は、色鮮やかな花々。
フリージア。
――――白はあどけなさ、黄色は無邪気。赤は純潔。紫はあこがれ―――
どれも実に今の彼女に合う、と評するものはいなかったけれど。
ちらりと表紙をみた咲良は、再び頬を花のように染めた。