ピンポーン、ピンポーン、ピポピポピンポーン。
「…あー、はいはーい」
妙な節を付けて連打される玄関ベル。
私服のお昼寝タイムを中断された羽堂亜理紗は、ばたばたと廊下を走る。
不機嫌な様子を隠そうともしない表情と態度のままで扉を開け――。
黒ずくめが立っていた。
「…………」
「あ、どうも。役場の者ですが、少しお時間よろしいでしょうか」
家主の困惑など知ったこっちゃなく、フレンドリーに語りかけてくる。
眠気も不機嫌も何処かに飛んで行った。
藍色の蜃気楼
朝色の町の役場には、大勢の黒子が働いている。
いや、個人識別ができないので本当に大勢なのかどうかは解らない。とにかく黒子が働いている。
黒子というのはほくろでは無く、くろこと読む。子供向けの人形劇なんかで、人形の後ろでわたわたしている小粋なアイツだ。
しかし今はそんな一般的知識などどうでもいい。
大事なのはその黒子が玄関の扉を潜り、訪ねてきたことだ。
「…もう大分慣れたつもりだったんですけど。いきなり黒子さんが来るとびっくりするのだわ」
「すみません。規則なもので」
多少の嫌味を含んだ羽堂の科白に、黒子はさして悪びれもせず答えた。
好きで黒い服を着ている訳では無さそうなので、当然のことかもしれない。
しかしその格好は『黒い服を着ている』なんて呑気なものでは無い。まさに黒ずくめ。
全身をすっぽりと包むように黒い布で体を隠すのは、冬はいいかもしれないが夏はつらそうだ。
そんなどうでもいいことを考えながら、羽堂は気を取り直す。
「それであの、用件は。税金は一年分前払いしている筈ですが」
「いえ、別に取り立てという訳では…。…前払いとか。うどーさんの金持ちめ」
さりげなく罵られた。
「…ここの税金破格に安いし、純粋に毎月払いにいくのがめんどいってだけなんですけど…。………」
なんとなく言い訳しながら、羽堂は改めて黒子を見詰める。黒子は居心地悪そうに目を逸らした。
目を逸らしたといっても向こうの目は見えないので、『そんな感じの仕草をした』だけである。
「…………」
逃げるものは追いかけたくなるのが人情というものだ。
羽堂も例外でなく、逸らした目を追いかける。
そして追いかけられると逃げたくなるのが人情というものだ。
黒子は再びついっと視線をそらした。視線を逸らしたといっても(略)
そんな攻防をしばらく繰り返し…羽堂はやがて追うのを諦める。
再び真正面から向き合う二人。
何処と無くほっとした様子の黒子に、羽堂は平坦な声で言った。
「…ていうか、かなたさんでしょ?」
「えっ!?」
びくんと肩を震わせるかなた。…いや、黒子。
羽堂はジト目で引きつった笑顔を浮かべた。
「いや『えっ』って。かなたさんだし、声が。めっちゃかなたさんだし」
「いやいやいや、人違いですよ」
黒子は否定の言葉と共にぷるぷる首を横に振る。勢いで顔面の覆いがすっぽ抜けそうになって、慌てて手で押さえた。
もそもそと布を整える姿は、頬袋の中身を掻き出すある種のネズミの姿によく似ていた。
…わざわざそんなことを言いはしないが。
如何に羽堂亜理紗がいらんこと言いと言えど、自ら話をややこしい方向に持っていくのは好きではない。
つまり普段彼女が話をややこしい方に持っていくのは不可抗力ではなく彼女が望んでのことである。どこぞの炎龍が目頭押さえそうな話だ。
「バイトかね、かなたん」
「私はバイトですがかなたさんではありません。ていうか何気にかなたんて」
「カナリアンの興行で割と稼いでるだろうに、その上役場のバイトとは頭が下がりますねかなたん」
「私はバイトですがかなたさんではありません」
こうなるとどっちも意地である。
執拗にかなたんかなたんと連呼する羽堂。
ひたすらに否定する黒子。
双方のボルテージが上がっていく。
そうやって二人が遊んでいる内に、玄関の騒ぎを聞きつけた咲良が奥から顔を出した。
何がおこっているのか察すると、呆れた様な顔をする。のんびりすたすたと主人の傍に歩み寄る。
「何やってんの。お客さんなら上がってもらえ。私、茶ぁ入れてくるから」
「あ、うん」
「いえいえ、お気遣いなく」
頷く主人。
セオリー通りに遠慮しようとする黒子。
咲良は、まあまあ、と言いながらその場に正座し、有無を言わさずにぴっぴっと彼女の前にスリッパを揃える。
そして俯いたまま、一言。
「ところで昨日の公演、衣装かなり際どかったですね」
「あ、あれは磨智ちゃんが!」
「…………」
「…………」
「…………」
三人分の沈黙。
沈黙と言うにはそれは多少雄弁すぎたかもしれない。
十秒くらいの間を挟んで、
「お茶よりもコーヒーの方が良かったですかね?」
「うう…はい」
特に何かを追求することもなく、動作を続行する咲良。
覆いの上からそっと目頭とおぼしき部分を押さえる黒子。
羽堂は、こいつ、誰かに似てきたな…とか考えていた。
羽堂邸応接間。
気を取り直して。
「朝色の町観光マップ?」
「はい」
問い返す羽堂に頷きを返しながら、黒子はコーヒーカップを手に取った。
香りを楽しむ仕草をして…布越しではそれが半減することに気付き、ちょっとがっかりしたような雰囲気を漂わせる。
その格好をしてここまで解り易いのって逆にすごいな、と咲良は思ったが言わなかった。主人とは違い、言わずに済む事は言わずに済ませたいのである。
黒子は少し思案して、顔の前に垂れる布の下にカップを差し込む。くいっと手を傾ける。
多分飲んでいるのだろう。蒸気が顔の辺りに溜まって熱くはないだろうか。別にいいけど。
「如何にも田舎の役場の仕事っぽくはありますけど。どうすんですかこんな町の観光マップなんか作って」
「こんな町って」
「いや、朝町愛はそれなりにありますけど誤解を恐れずに言おう。客観的に見よう、『こんな町』だ」
少し咎めるような口調になる黒子。眉を軽く顰めて、羽堂は言い切った。
隠れ里、理想郷、伝説の町。その肩書きは伊達じゃない。
中に入ってしまえば平和だが、北に山脈、東に海、西に砂漠、南に荒野。そして天然要塞の境界に佇むは大鎌携え、黒衣を纏った死女神。
入るのも難しいが出るのはもっと難しい。特にここ最近は結界の異常やら何やらが頻発し、出入りはますます厳しくなっている。
そんな所の観光マップとか作った所で、一体誰が来るというのやら。
「だからつまり、外ではなく中の為なんですよ」
「ははあ、なるほど?」
「結界の異常でやれることが制限されている今、折角なので普段なら立ち寄らないような場所に立ち寄ってほしいと」
「ふーん…」
そう言われると悪くない試みのような気がしてきた。
好感触を感じ取ったのか、黒子は得意げな顔(多分しているだろう、黒衣の下で)をする。
「いわゆるインフラストラクチャーって奴です」
「…こういうのもインフラって言うのかあ?」
「それは役場の人がそんな感じの単語を使ってみたかったんだと思っておいてください」
「…………」
爆破したいくらいにいい加減である。
傍に控える咲良も首を傾げてはいるが、とりあえず話の先を促した。
「まあ、役場のやりたいことはわかりました。それで、うちに来たってことは…」
「はい。羽堂さんちもマップに載せたいってことで」
これで話がようやく本題に入った訳だ。
えらく遠回りしたものである。一体誰の所為だというのは棚に上げ、羽堂は頷く。
「なるほどね。…しかしそれはまた奇特な話すなあ。うち、役場に睨まれたら割とヤバイと思うんですが」
種族による職業制限により、羽堂は今蘇生や解毒など、医療や薬学に関わる方面の営業しか許されていない。
しかし碌にそういう『エルフらしい』勉強や修練を積んでこなかった彼女、どうにもそっちの腕には自信が無い。
それ以前に蘇生や解毒のこの町における相場を考えると、その礼金で暮らしていける気がしない。
ついでにそれまでの鍛冶屋生活が割と順調だったもので、上がってしまった生活レベルはなかなか落とせない。
そこで考えた苦肉の策が、現在店舗跡を改造して行っている貸衣装屋兼サロンである。
名目上取り仕切っているのは、例の炎龍。
ドラゴンである火乃香を前面に立てることで、『エルフは蘇生しかしてませんよー』ということにして役場の追及を逃れている訳だ。
ぶっちゃけ詭弁、限りなく黒に近いグレーである。
「その辺はまあ、懐の広い町ですからねえ」
「税金前払いの他に受付のお姉さんに色々握らせてるのが効いてるんでしょうか」
「今何て言った」
「それはともかく、うち、何屋として載るんですか」
「衣装貸し出しが出来て女の子といちゃこらできる所って感じですかね」
「風俗か」
「まあ、それはそれとして、こんな感じで」
スルー返しされた。
黒子は懐から一枚の紙を取り出し、テーブルの上に置く。
覗き込んでみると、ポップな絵柄とパステル系の配色。
かなり略して描かれた地図と、鉛筆で書き込まれた人の名前の列。
朱音や真夜など、なじみの深い名前も見られる。
どうやらその辺りは既に回って、了承を得ているらしい。
「周囲を固めて来ましたね。これだけ知り合いの名前並んでて断る方が勇気がいる」
「まあ、頼みやすい所から行きましたから。ご自分でも解ってると思いますが、羽堂さんとこ微妙なので」
「微妙で悪かったな。…だけど、この風俗紛いの謳い文句やめてくださいよ。役場にとっては微妙でも、うちは良心的な店です。多分」
「それは知って…と言いたいですが多分なんですね」
「サロンの経営の方は火乃香が仕切ってて私もどうなってるかわからないのだわ」
「マジで丸投げ!?」
「毎月きっちりまとまった金額差し出されるので、ニートに近い生き様晒してる身としては何も言えませんですハイ」
「強いですね火乃香さん。割と惨めですね羽堂さん」
「お互いにでしょう。異常頻発辺りから、マスターは少し立場が弱い。私の様な力で縛り付けているタイプは特にね」
それでもなんとかできる自信はあるし、事実なんとかなっているのだが。
言葉の後半は口に出さず、ミルクティーを口に含む。
羽堂はコーヒーが飲めないのである。客人と主人の為にコーヒーと紅茶を別々に入れるなんて面倒なだけだろうに、咲良の職務精神は素晴らしい。
職務精神だけではなく信頼関係あってのことだと信じている。信じさせてほしい。
「あと、もう一つお願いがありまして」
「なんです?」
黄昏かけた羽堂に、黒子は引き続いて切り出した。
既に話は終ったものと思っていた主人は多少たじろぐ。
「お勧めのお店については問題ないんです。朝町住民自体が個性の宝庫ですから。だけどお上の意向としては、その他に自然の名所も入れたいと…」
「自然…」
思わず遠い目をしてしまう。
自然の名所、とは。
…むしろ、自然に名所じゃない所なんてあるか、この町?
先程確認した様に、天然の要塞は今日も今日とて聳え立つ。そして、今日も今日とて絶景だ。
あちらこちら絶景だらけすぎて、町暮らしの長くなった今となってはいっそ「絶景ってなんだっけ」な感覚になりつつある。
都会暮らしの人間にとっては贅沢な話なのだろうが、生き物は慣れるものなのだ。仕方ない。
「…沢山ありすぎてむしろ文に起こすのが難しいんですけど」
「ですよねー」
首を傾げる黒子。
上から言われはしたものの、彼女自身も羽堂と同じ感覚なのだろう。
それほどに、改めて『自然のお勧めスポット』となると難しい。
というか、先程言った通りに中の人向けのマップなら、四方の絶景など今更だ。
町の人間でも知る人ぞ知るスポットが望まれる訳である。
羽堂は唸りながら、先ほどの紙片にもう一度目を通した。
人物リストとは別に並べられている、観光スポットメモ。
ここに来るまでの訪問で聞き込みをした結果だろう。
北の山脈に当たる夕陽、龍が一斉に飛び立った時の空、手前の山の中にある温泉とピンク色のドラゴン彫刻、中腹の滝と湖…
お約束どころは勿論として、太古の遺跡や邪悪の塔とかいう、観光目的で訪れるには少しどうなのかというポイントも既に上がっている。
「…あ、黒子さん。あれないですよ。自然とはちょっと違いますけど」
「あれ?」
「カナリアンショー」
「…………」
「カナリアンショー」
大事なことなので二度言いました。
「…………」
「カナr」
「…うう、解りましたよぅ」
大事なことなので三回目を言いかけたところで、黒子は紙片に『カナリアンショー』と書き足した。
多少字が歪んでいるような気がしたが、多分気のせいであろう。
「ていうか、これ、なんだよ…」
横から咲良が覗き込んでくる。整った顔を絶妙な表情に歪めつつ、一つの『観光スポット』を指さした。
曰く、『太陽』。
「…………」
「空のじゃなくてですね」
お約束の枕詞である。
「…………」
「彼はもう『見るべきスポット』に数えていいだろうという話に」
「わあ、しばらく見ない間にうちの彼氏が文化財に進化を遂げてるう」
咲良はそっと目頭を押さえた。
そういえば最近忙しいとかなんとかぼやいているのをそれぞれ別々の口から聞いたな、と他人事の様に考える羽堂である。
「…進化なのかそれは。ていうかそういうのアリなんですか」
「本人に確認はとってないんですけど、あちこちで名前が挙がったもので…パッチーさんならOKしてくれると私信じてる」
「まあOKしそうな気はするけど。っていうか『本人』に確認する気はないんですね」
「『本人』は流石に微妙なカオしそうな気がして」
「どうだろう…」
本人というか本龍だが。
「って言っても別に彼本人に何処かの観光施設に勤めてもらおうって話では勿論無くて、偶然見つけたら幸せになれる程度にしておこうかと。
幸せは必死こいて探すもんじゃないよーくらいのニュアンス込めて…プライバシーの問題もありますし」
「本人の了解無しに観光スポットに祭り上げられそうになってる現状はプライバシーの問題にはならないのだろうか」
「細けえことはいいんですよ羽堂さん」
「ああ、また会いづらくなっていく…」
「…………」
街中で太陽と歩いていると、やたら知ってる人だか知らない人だかに話しかけられまくるそうだ。
目頭押さえたままの咲良の姿に、だからこいつら絶景巡りばっかしてるんだろうか、とか思う羽堂であった。
――普通でいいよ、普通でいいの…とぼやく咲良に席を外させて。
「…なんか愛龍の変な苦労を知った所で話を進めましょうか」
「話を進めるんですか」
「後で泣きついてきたら泣きついてきたですが多分あっちはあっちでなんとかするでしょう」
多分だけど。
「それで、店以外の観光スポットの話でしたっけ。残念ながら、私が知ってるのは大体上がっちゃってるんですけど」
そうですか、と肩を落とす黒子。
しかし、と羽堂は話を続ける。
「別に観光スポットを新しく作っちゃっても構わないんでしょう?」
――数日後。とある山の中腹。
「ふーん、貴女の提案だったんだ」
よいしょ、と小さな段差を踏み越えながら、イソレナは言った。
差し出された手をとって同じ場所を超え、亜理紗は頷く。
「人間と意思疎通のできるドラゴンが沢山いるなんて早々ないですからね」
羽堂が提案したのは、高位の光龍と闇龍が操る幻術のようなものだった。
光龍は光の反射に長けた能力を持ち、闇竜は光の遮断に長けた能力を持つ。実は両方とも扱っているのは光な訳で、この二種族は対極に見えて背中合わせだ。
「物を見ることができるのが光の反射によるものなら、光の反射と遮断をいじれば実際はそこに無いものをそこに見せることもできるはず」
「ああ、『分身』」
「そう。高位の光龍は実際、戦闘中にまるで分身しているように見えることがありますしね、作り出せるのは自分の幻影だけという訳ではないでしょう。人間の使える魔法にもそういうものはありますけど、如何せんコスパが良くない。一時間も人に見せられるようなきらきらした幻術使ってたら過労で倒れちゃうでしょう。龍ならそれくらいは平気だろうし、何より大勢いるから交代でできる」
「掛かるお金はタダみたいなもんだし、演目を変えるのも簡単だし、か。何より珍しい。蜃気楼が確実に見れるなんて滅多に無いぞ」
言っている内に二人は、山中の湖畔に辿り着く。
辺りにはちらほらと、他にも見に来た人の姿が見えた。
イソレナは時計を確認して、そろそろだ、と言った。
その言葉の通り、不意に湖上に一人の少女が現れた。――いや、普通の少女が水面に立てると思えない。それも幻影なのだろう。
お姫様の様なドレスを着た可愛らしい少女がくるくると踊る。かと思いきや突然駆け出した。やがて少女はかぼちゃの馬車へと姿を変え、湖上を駆け巡る。
次は見たことも無いような立派なお城が現れ、メイド達が出てきてラインダンス。先ほどの少女がセンターにいる。そこに王子様が…。
息をつく暇もない程の幻術ショー。光と闇の幻影なので、音は無い。しかしそこには無音劇とは思えぬ程の臨場感があった。
やがて幻影がすっかり見えなくなってしまっても、観客はしばらく身動きもできず、済んだ湖面を見詰めていた。
「…すっごいねえ」
ようやく口から出るのは、感嘆の声。イソレナがぱちぱちと手を叩く。
「カナリアンショーとかとコラボしてもいけるんじゃないかな」
「ああ、それもいいねえ」
二人を含む観客達が雑談を始めようとしたときである。
しゅるり、と暗い色の霧が、水面を這うように現れる。
皆の視線が再び湖上に向けられた。
黒…いや、藍色のそれはくるくると自由な意思を持ったリボンの様に動く。
一体何が始まるのか見守る一同の前で、それは文字になった。
「…何、『肉は肉屋!時計通り3番地のミートミーツミートへ』…?」
宣伝だった。
呆気に取られる観客。藍色のリボンはするすると動いて、次の宣伝文を作る。
しばらくそうやって幾つかの店を紹介した後、最後に『ご覧のスポンサーの提供でお送りしました』という文字が…。
「…………」
なんだろう、この台無し感というか、感動を返せというか。
「なんていうかこう、田舎の役場臭さというか、俗っぽさは捨てられんみたいだね」
微妙な顔をする羽堂。イソレナはぽつりとそう呟いたのであった。