「夏だなあ」 
「夏どすねえ」
 顔には乾いたゆるい笑顔を張り付け、黒衣の男女がほぼ間隔を明けずに同じ単語を、しかし異なる訛りで応酬させる。
教会の窓の外から覗くのは、今言葉にした季節に不似合いなくらいの鉛色の空模様。ただでさえ重苦しい雰囲気の室内をますます重くさせている。
朝町でなにかイベントをしようと相談していた、ましてやたった今まで真夜さんからプリントアウトして貰っていた某カナリアンショーの企画を(方や一方はノリノリで。方や一方は言わずもがなで)、互いに調整しあっていた2人としては、テンションが切れ掛けたガス灯の灯の如くもどかしい状態になる一方だ。
 「はは。今度カナリアンショーで2人がカッコ良く最後まで劇を演じたら、案外テンションもあがるかもね」
 そんな2人のやり取りを横から見ていてコロコロ笑うのは、これまた言わずもがなのダージリンだった。
 「そういうお前だって、いつもいつも見に来てるじゃないか。
口では大して興味ないみたいなことを言うくせに」
 少しジト目になってダージリンを睨む乾。そんな視線もどこ吹く風といった風情でダージリンは、ひょいと後ろに肩をすくめる。

「だって、至和子サンはいいけどさ。乾クンがもしも本番でとちって恥をかいたら…、かなたさんや真夜さんだけじゃなくて、カナリアンの活躍を純粋に応援しに見に来てくれている小さな女の子たちにも悪いじゃない」
 そう言って、また、あっははは。と笑う彼女を見て、さり気なくしっかりチェックしてるなこいつ。と内心乾は思う。が、その事には触れない。
面倒や地雷を踏む種にはなるだけ迂闊に触れない。一応は学習しつつあるらしい。
 「それはそうと、ボクは今から出かけてくるよ」
そこでダージリンはすっくと椅子から立ち上がり、玄関口まで颯爽と歩みを進めて傘立ての傘を手にする。
 「どこに行くん?だーじりんちゃん?」
 今度は至和子が小首を傾げながら質問する。
 「うん、今度博物館とかに夏用の怪談イベントに合わせたものが展示されるって言うからさ。こういう天気の日は逆に混まずにゆっくり見れそうだから。」
 「はあ、怪談。そないな事なら」
 至和子はそこで何やら思いついたように、いそいそと袖の中から何かを取り出すとダージリンの方にそっと向かってそれを手渡す。                           

「何これ?」
不思議そうな顔のダージリンの手元にあるのは、赤色の濃い。所謂緋色の袋包みのようなもの。
「ただでさえ、朝町はこういう時や。
こういう時は町の周りの結界も色々とややこしゅうなっとる。
お守りでも持って気を付けて行ってきてな?」
 そう言ってにっこりと笑う至和子。
「う〜ん…こういうのをわざわざ貰わなくても、たぶん大丈夫だと思うけど…。
でも、ありがとう!至和子サン!」
 少し迷う表情を見せながらも、次の瞬間には屈託のない笑顔で礼を言うと、ダージリンはそのまま玄関の外に飛び出していった。


「…おや」
「あ!」
 そしてダージリンがその二名と遭遇したのは、玄関を出てからさほど時間もたたないうちだった。
 「…貴女でしたか」
 傘を手にしてしっかりとくっ付いて歩く二名のカップルのうち、一人が緑の長い髪を軽く揺らしながら憮然とした様子で頭を振る。
もう一人は表情を特に変えることなく僅かにその深い蒼の視線を動かすのみ。
 「お二人とも…?奇遇…ですね」
 曇り空の下で、どうやら割りと最近正式に付き合う事になったらしい風矢と小町のカップルと鉢合わせしまい、ダージリンも何やら落ち着かない様子でまじまじと二人の姿に交互に目をやる。
 「…いったいどうしたんです?こんな天気に一人で。まあ、私たちはこれから家の方に帰るのですが。
…方角からすると貴女はこれから町外れに向かうのですか?」
 「ぼ…ボクはこれから雨の日の混まないから…流行の映画でも見に行こうと思ってるだけ…さ」
 歯切れの悪い返事で、しどろもどろになる。そんな中、それまで人形のように静かに立っていた小町が唐突に呟く。
 「大宇宙の意思はこの雨の日は色々と気をつけなさいと仰っています」
 「?」 
 風矢に寄り添ったままで、吸い込まれる様な深い蒼い瞳の焦点をどこか宙に浮かせたままの一言を口にする彼女に、思わず相対する風矢とダージリンの視線が一緒に向かう。
 「…小町さん、それは君と家に帰るまで気をつけていないといけないって事ですか?」
 心配する台詞を口にする風矢の表情が見る見るうちに惚気顔になっていく。
本当に好きな相手に対して純情な龍なんだな。と、以前ある事で揉めた時の彼とのやり取りを思い出したダージリンは、その記憶とのギャップに驚いた。
 「…まあ、そういう事でダージリンさん。貴女も無茶はせずに家に帰ったほうが良いかと。老婆心で一応忠告しておきますよ。…では」
 またいつものクールな顔に戻って忠告だけ残すと、そのまま風矢と小町はぴったりと体を寄せるようにして朝町の自分たちの家の方へ向かっていった。
 「…ご忠告どうも」
 後に残され、腰に手を当てムスッとした表情で礼を言う。そんな自分の言動に少しだけダージリンは自己嫌悪する
ただ何より、最後にちょっと横目がちで未練がましい視線を見られなかったかが一番の彼女にとっての気がかりだった。
そういう事に興味津々だと思われる事のほうが、まあ彼女にとっては気になることだった。
しばらくして、ようやく目的地に向けてダージリンは歩き始めた。
――
――
――
 「……うわあ……」
 帰路に着く途中の山道の段階で、ダージリンは本気で自分の行動を後悔していた。
結局、あれから数時間かけて町外れに行き、博物館を見て、流行の映画をチェックして、専門店でお気に入りの人形を予約して、お菓子のメニューをリストアップして…それら一連の結果に後悔はない。
 しかし、問題はこの視界を遮るほどの大雨がいつまで続くのかだった。
不幸中の幸いだったのは、こうして通り縋りの木造立ての寂れた寺院――どうやら東のほうの国で神社と呼ばれているものらしい――で雨宿りが出来ている事だったが、それがいつやむのかは全く予想がつかない。
 地面に叩きつけられるような雨音だけが耳に聞こえている。
 「まあ、そうは言っても、これも悪くないけどね」
 誰に聞こえるでもないのに、独り言を言う。
実際のところ、満更悪いだけの気分ではなかった。
雨の中、一人佇むと言うのは、まるで普段の世界から少し独自の空間を得られるような感じがして、落ち着かないこともない。
こういう大雨の中、自分の部屋や静かな建物の中で本を読んだりするのはちょっとした楽しみだったりするし、こうして山の風景を見られるのも、それだけなら悪くない。
 ただ。
 「…?」
 少し、振り向いたりするのを躊躇う自分に気づいてダージリンは少し身を縮めて体を震わせる。
 これに関しては、やっぱり考えすぎだと思うが、昔から一人だけの場所や夜闇などで、もしも振り向いた先に得体の知れないものがいたら、そのときどうすればいいのか。と言う事に小さいころから怯えるところがダージリンにはある。
自分のすぐ傍で得体の知れないものがいたらと思うと、誰よりも好奇心を擽られる反面、何よりもそれに本能的な恐怖を感じるのだった。
さすがに、それ自体だけなら直感ではなく妄想であると思うし、自分がさほど直感に長けた龍かと言うと怪しいとは思うのだけれど。
そんな事を思っていると、ふいに不安定な視界に何かが飛び込む。
「……あれ……?」
境内に座るその先に、何か…赤い。緋色の影が横切るのがダージリンには見えた。
「小町……さん?」
別に数時間前に朝町で出会った光龍が確かにそこに見えたわけではなかった。ただ、緋色の袴らしきものに和風の白装束。今通りかかったように見えた影の格好が咄嗟にダージリンの記憶の中からあの光龍にの像を想起させたのだ。
そして、次に気がついたときはいつの間にかあれだけ降りしきっていた雨が、いつの間にかやんでいる事に気づく。
「……?」
どういう理由か気に欠けてみる前に、帰ろうか?その事で逡巡する。確かに今は通り雨は止んでいるが、またすぐに大雨が降り出さないという保証はどこにもない。
帰るか帰らざるべきか……
「……」
迷った末に…正確には、ダージリンは自分の頭で考えたのかどうかはっきりしないまま、気がつくと雨上がりの神社から町へ続く山道で出発していた。
――
――
――
ぬかるんだ土の感触が一歩踏み出すたびに伝わってくる。
頬に感じる雨水の感触と湿った熱気をよそにダージリンは大分進んでいた。
雨がやんだ。
またすぐ振るかも知れないが、もう少しこのまま進めれば朝町に繋がる道へ出る。
もう少しで。 
「…!…」

今度こそダージリンは振り向いた。
木々の間を乱反射する光。
寂れた東洋風の木造の寺院と周囲に咲く紫陽花の花。
雲間からうっすらと差し込む光。
そんな中で確かに聞こえている。
独特なリズムの「笛の音」。
振り向いた先に。
「……」
さっきまで歩いてきたはずの道に、一列に並ぶ、緋色の光。
それに囲われて大きな車輪を両側にあしらえた車に乗った人影。
さっきダージリンの視界に入った。
緋袴に――
白無垢の――
女性。らしい姿。
今度は雨上がりで視界が明瞭なのにも関わらず、それが誰かわからないのは。
それは――
その顔にあるもの。
張子の……純白に緋の隈取が施された獣の面で、女性らしきものは顔を覆っていたから。
「――」
声を失う中。暫しの間を置いて、今度はもう一方からやはり白い服の長い緑の髪の
――張子の同じ獣面の男がゆっくりと向かい側から緋色の灯りに囲まれて現れる。
二つの獣の張子の獣面を被った顔の見えない男女が行列を携えて逢瀬を重ねている。

しばらく呆けていた次の瞬間、何やら言いようのない不安に襲われたダージリンは進んでいた道に向けて駆け出すと、そのまま後ろを振り向かずに走り出して――
鈍い激痛が走る。
まるで漆黒の染みが広流れ出すような感覚が視界の裏にまで広がり、そのままダージリンの意識は沈んでいった。
――
――
――
…ぶ?」
淀んだ重い物が引き上げられるかのようにゆっくりだが意識の形が明瞭になってきた時、ダージリンの鼻腔に何やら良い香りがするのを感じた。
そして、すぐにそれが誰のものかも馴染んだ感覚は知覚する。
「あ…!」
うっすらと開いた茶色の網膜に写るのは二人の男女。よく知っている姿の。
「気づいたのか?ダージリン」
心配そうに覗き込んでいた乾が、ダージリンの意識が覚醒したのを確認して近寄ってくる。
「良かった。気がついたみたいで」
支えられている頭部と背部に大きな力がかかる。
耳元の方から聞こえる声には、いつもの淡々とした口調に普段は聞けない昂揚と安堵の感情が含まれている。
自分を抱きかかえていた至和子の、いつになく優しい顔がダージリンの意識を覚醒させるダメ押しになった。
「ん…」
「意識戻ったのか。ダージリン」
「あ、乾クンも?……至和子さん。わたし…いったい?」
 そこで、ようやくがばっと上半身を起こして周囲を見渡す。
どうやら、ここは朝町の中のようだった。
「ねえ、どうしてたの?――ボクは?」
普段の調子を取り戻してすぐに気になるのは、やはり自分の今までの状況。
「どうもこうも、おしめりがむちゃなっても帰ってくる気配がないからあたしと乾で迎えに着てみたら、倒れてるではおまへん。すっかり心配したわ」
ダージリンの顔に手を翳しながら、今度は嗜めるように軽く額を叩く至和子。その感触が思わず痛かった。
「まあ、どうやら大した事なかったようだし何よりだ……けど、なにがあったんだ?」
心配もあるし、何より気になるという様子で聞いてくる乾。しかし、当然うまく説明できる様子もなかった。
「その……何ていうか…」
「何にせよ、お守りを持たせといてよかったかもなあ…」
ポツリと呟く至和子。
「……本当にそうかも……ね」
さっきまでの事を思い出しても、幻にしてはあまりに鮮明な光景は未だにダージリンの脳裏に焼きついている。
「ああいうとこに不安定な気持ちで行ったら化かされるということかもしれまへん。
…まあ、そないな事は置いといてだーじりんちゃん……ゆっくり休み」
その後、三日間くらいして心身ともに回復してからダージリンはまた、風矢と小町にばったり町で出会うが、その際にあの時の出来事を思い出して二人をじろじろと見て――
「いえ、三日前あの後ずっと一緒に……朝街でデートされてたんですよね?」
そう聞いた後、はあ?と形の良い眉を大きく潜めて風矢に。
「ひょっとして、本当に頭を打たれてたとか?」
本気で気の毒な人を見る目をした風矢に不思議そうにされ。
「あ、いやいやいや」
と、ますます挙動不審になるしかなかったという。



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