07.指きり


「悪かったっ!!」
ぱんっ、と乾いた音。
視線を上げてみれば、何処かで見た事のある顔が二つ。
片方はメイベルドーの少年。片方はリュコスの少女。
メイベルドーとリュコスの組み合わせなどこの町では珍しくも無いが、彼らはその内では名の知れた方である。
少年は顔の前で手を合わせ、拝んでいる様な風情。少女はぷうっと頬を膨らませている。腕を組んで、如何にも怒っている様な雰囲気を漂わせてはいるが、くりくりしたどんぐりの様な瞳には何か優しいものがある様に見えた。
「いや本当に悪かった。別にお前の事忘れてた訳じゃなくて…」
「そういう言い訳すると余計怪しいよ、メー君」
察するに、約束の時間に遅れたか何かした様だ。男の方の必死な様子から見て、数分のものでは無いに違いない。
しかしそれにしては少女の怒り方は余裕がある。きっといい暇つぶしがあったのだろう。誰かを待つ時間ほど長く感じられるものは無いが、お供によい本やよい音楽を連れていた時はその限りでは無い。
そして少女は怒ってもいないのに怒った振りを続けている。きっと彼女なりの外交術という奴なのかもしれない。もっとも、私にはその素振りが外交術としてどんな役割を果たすのかなど知るよしも無かったが。
「ま、いいや。今回は許してあげる。その代わり、次は無いからね」
少女は必死に頭を下げる少年の姿を見て気が済んだのか、怒るのをやめた。とは言え、実際には怒っていないのだから、それをやめるのも振りである。
満足そうな微笑みを浮かべつつ右手の小指を振って見せる彼女。男の方はしばらくそれを見詰め、自分の小指もそこに絡めた。小さく、またかよ、という呟きが聞こえる。どうやらしょっちゅう何かを約束させられている模様。もしかしたら指きりが少女のマイブームなのかもしれない。
「ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーら…」

指きりで誓う様な約束など、大したものでは無い。約束を履行させる方法なら、それ以上に確実なものが幾つもある。それを実行せずに済む程度のことだ。
指きりにおいて重要なのは約束そのものではないのだ。大切なのは、指きりを行える間柄だということ。
小指を絡ませ、どうでもいい節を付けて果たされる筈も無い代償を歌って、そんなことでいい気分になれるくらいには相手を好いているということだ。
少なくともお前とそんな約束するくらいなら小指を切断して逃げてやるよとは思われていない。

「…おーい」
ぱたぱたと目の前で振られる掌。
気がつくと例の二人は既に何処かへと消え失せている。
代わりにそこにいるのは、私と同じ顔をした男。私に負けず劣らず色の持ち合わせが少ない男だった。
「あら、こんにちは。奇遇ねえ」
「『あら、こんにちは』じゃない」
アランは仏頂面で答える。私の声真似は結構似ていた。
「ぼーっとして呼んでも返事しないし。暑さで頭が沸いたかと」
「あんたはも少しお姉様への口の利き方というものを学習した方がいいわね」
「あついたたたた」
身体をがっちりホールド。拳で頭をぐりぐり。
アランは暑さと痛みを同時に訴えた。器用な子である。
その芸に免じて離してやると、アランは二、三歩後ずさり、シャツの裾をばさばさ膨らませて内側に空気を取り入れた。
「で、何してた?」
体勢を立て直し、更に問うてくる。
「破滅的な恋に身を焦がして、退廃的な気分に浸ってたの」
「は?」
「冗談よ」
顔を顰めたアランの鼻の頭を指でつつく。彼は眉間の皺をますます濃くした。
「正確に言うと、バカップルに当てられてたの」
「…あ――?」
解った様な解らない様な、そう言いたげな曖昧な返事をするアラン。
私は細かく説明してやる気も無く、溜息をついた。
「そういえばアンタも気を付けた方がいいわよ。どうもうちの一族はこと恋愛ごとに関してはややこしいことになる呪いが掛かってるみたいだから」
いや、どっかの赤毛が連れて来たアレとか、銀色ウサギにつきまとった物好きとか、愚かなる半身に熱を上げてるアレとかを考えてみると、うちの一族というよりは属性に纏わる何かなのかもしれない。
「はぁ…」
「全く、自分の好きな相手が同じだけ同じ様に自分を好いてくれるって、そんな簡単なことがどうしてこんなに成り難いのかしらね」
「エル姉、話の筋が飛びまくってよくわからん」
「言葉のジグソーパズルを提供しているの。勝手に組み合わせて遊ぶといいわ」
適当なことを言う。そろそろアランの額が皺を形状記憶しそうだ。
さすがにそれは忍びない気がして、私は黙って彼の頭を撫でた。
だけど説明する気は無い。したくない。
「簡単な事の筈なのに、望んでも望んでも手が届かないの。
 一方、ごく自然にあっさりそれを手に入れる…いや、手に入れてる様に見える奴らもいて…なんていうか、反吐が出るわあ」
「…………」
ヒガミかよ。
自分にできる限り一番上等な笑みを浮かべる私。
親愛なる弟はなんとも言えない呆れた様な顔をしてみせた。思ったことを口に出さないのは感心だが、残念ながら顔からだだもれである。
だが、男はそれくらい単純な方がいいのかもしれない。
私は少し考え、あの少女がやった様に小指を出してみる。
アランは首を傾げつつも、自分の小指をそこに絡めた。
特に何か考えた訳でも無いだろう。小指を出されたからそれに対応しただけだ。
非常に単純。だが、その単純さが愛しい。
「取り敢えず、私みたいにはならん様に」
「…本当に頭沸いてんじゃないか?」
「言ったでしょ。破滅的な恋に身を焦がして、退廃的な気分に浸ってたの」
繋いだ小指を軽く振って離す。
敢えて、誓いの言葉は言わなかった。



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