「むぃー」
「何してるの?」
鏡の前で何やら唸っている愛龍。
背後から声を掛けると、ぴょんとその場で跳び上がった。


15.笑顔


「…で、訊いたら、『笑顔の練習』だってんですよ」
「笑顔の?」
毎度お馴染みの料理店に、お馴染みの顔触れ。隅っこの方の席に陣取る女二人。
「そう。こうやって、むいっと」
両手の人差し指を口の両端に当て、吊り上げてみせる羽堂。
かなたは、ふぅんと呟きつつ、同じ様に口角を吊り上げた。
「咲良さんには必要ないでしょう、そんな練習」
客席の方まで出て来ているオーナーシェフがそう言う。
…厨房の方はいいのか?と思うが、まあ、龍が呼びに来ない所をみるといいのだろう。
正午を過ぎて客席にも余裕があるように見えるし、龍だけで回しているのだろうか。
「むしろポコスにさせてみたい感じ」
言いつつ、朱音は自分もむいっと口の端を吊り上げる。
変なポーズで変な顔をしている変な女三人で、変な光景が出来あがった。
「いや、ポコスさん笑いますよね?普通に。
 …ああ、フッとかそういうのじゃなくて、にこっと。接客の時とか」
「フッて。解りますけど」
「…………」
女三人の姦しい会話。
喧噪の中でふと、昔の事を思い出した。

それから、時計の短針が一周する頃。
亜理紗はいつもの様に、部屋の隅に置いてある箱の錠を外す。
程無くしてばたんと蓋が開き、一人の男性が現れた。
知らない者が見ればマジックショーかと思うだろうが、種も仕掛けもありはしない。
勿論、彼がずっと箱の中に閉じ込められていた訳でもない。
「今日は台所から果実酒をくすねてきましたよ」
「いけない子だねえ」
適当な会話を交わしながら、ベッドに隣合わせに座る。
飲み物片手にするのは取り留めもない話。
夜毎にこうして語っても、話の種は尽きはしない。
「初めて貴方と会った時、『よく笑う人』と思ったんですよ」
昼間の事を思い出して亜理紗はそう言った。
イソレナは少し照れた様な様子で、にぃっと笑う。
「ああ、へらへらしやがってみたいな」
「そんなことは思ってない」
「締まりが無くて気持ち悪いとかなんとか」
「何故貴方は時折変な自虐に走るのか」
本人は小粋なジョークのつもりかもしれないが、聞かされた方は反応に困る。
肯定する訳にもいかないし否定の連続は口にする方が疲れる。いい加減にしてほしいものである。
「話を戻して。よく笑う人だなーと思ってたんですけど。…前にもあの時の話はしましたよね。
 あの時は貴方、割と無理して笑ってたらしいですね?」
「深夜に御婦人と会う訳ですからね。好印象を心掛けないと」
飄々と嘯く彼。御婦人って年でも無かったでしょうよ、と亜理紗は笑った。
「昼間に笑顔の練習とか作り笑いの話とかしてて思ったんですけど。
 今は私もなんとなく解るんですよ、『ああ、無理してる』とか『営業スマイル』とか。
 なんであの時はそれが解らなかったんでしょうね?」
笑い慣れしていない男が、やっとの思いで無理に浮かべた笑顔。
それは相当不自然なものだったに違いない、と思うのだ。
イソレナは亜理紗の問いに少し考えた。
「じゃあ、どういうものが『無理してる笑顔』かって説明できます?」
「…んー、文章にしろって言われると難しいです」
「『笑顔』ってそもそも、顔の筋肉の動作の名称でしょう?」
ロマンも何も無い事を言いながら、彼は片手の指を唇の端に当て、むいっと上げた。
「自然に浮かぶ笑顔って、『不自然』なんですよ」
「…………」
「隙だらけっていうか。左右も非対称だ。
 だけど、意図して作った笑顔は、それに比べると『自然』だ。整然としている」
自然が不自然。
不自然が自然。
「理屈はわかりますが。ややこしいですね」
「って、何処かで聞いた話の受け売りなんですけど。
 実際調べても、そんなに『これは!』と思うほど大きい差は出ないと思います。
 だけど実際相対してるとなんとなく解る。そんなものなんでしょうね、きっと」
「解る様な、解らない様な」
勘、とかいう奴だろうか。
「貴女は当時、余り人と会わずに、整然とした調度に囲まれて過ごしていた。
 だから自然な不自然に気付かなかったんでしょう」
「そういうものですか」
「理屈を付けようとするとそうなるってことですね。実際どうかなんて解りません。
 お互い緊張していたり興奮していたりで気付かなかっただけかも」
事も無げに言うイソレナ。
実際、推測で語るしか無いのだから仕方が無い。
「…うーん」

会話している内に酒が進む。
甘い酒は飲みやすいが、だからこそ酔いやすい。
無意識に肩に寄りかかる亜理紗を、何故か微笑ましげな顔で見ているイソレナ。
唇を押さえていた指はもう離れているのに、心なしか片側の口角の方が上がっている様に見えた。



back