早朝。
朝色の町は、うっすらと靄に包まれていた。
少しして陽が昇ると、光で靄が照らされ、町全体がそれはそれは美しく輝く。
この町が『朝』の名を冠する理由はそこにあるのかもしれない。


甲冑


朱音邸、ムンダーの朝は早い。
昨夜洗濯籠に入れられた衣類を、朝陽が昇るまでに洗ってしまわなければならないからだ。
そうすれば、それらを朝靄が晴れた後の透き通った空気の中に干す事が出来る。
主人や他の龍には、『昼に干したら夕方には乾くんだからそこまで早起きして頑張らなくてもいいのでは』と言われる事もあるが、彼女からすればそれは解っていない者の意見だった。
月の光には魔力があると言われる。多くの魔術の行程には月の力を借りる項目が含まれている。曰く、水面に月を映し、その水を飲む。曰く、月の光に材料を晒す。等。
しかし、朝一番の陽の光だって月の光一晩分に負けない力を持っている、とムンダーは考えていた。
言ってみれば、それは彼女なりの儀式なのかもしれない。
衣類のヨゴレを落とし、更にケガレを祓う儀式。間接的に仲間を護る術式。
ついでに、一日で一番美しい町の様子を家の誰よりも沢山見る事が出来る。
これは彼女の秘かな楽しみであり、ちょっとした優越感だった。
「…ふう」
その日、ムンダーはいつもの様に洗濯籠一杯分を洗い終え、自分の仕事を確認しながら満足そうに息を吐く。
窓の外を窺うが、空はまだほんのりと薄紫色に湿っていた。
普段よりも大分余裕がある。今朝はいつもより十分早く目が覚めた為だろう。
十分早いだけでいつもの大慌てを回避できるなら、明日からは毎日この時刻に目覚めてもいいかもしれない。
彼女はそんなことを考えながら、洗濯籠を抱え、庭に出る。
朝陽が出てから、靄が輝く様子も美しいのだが、この薄ぼんやりした暗さの中に漂う靄もそれはそれで美しい。
表通りの街灯がゆらゆら揺れる様もまた趣深いものがあった。
「…………」
日の出までは少し時間がある。
ムンダーは洗濯籠を庭の隅に置くと、門を通って表通りに出た。
緩やかに曲がって続く煉瓦の道。左右に並ぶ小洒落た雰囲気の洋館(自分の家含む)。
物語のワンシーンの様に、レトロで幻想的な雰囲気にしばし酔いしれる。
そう、丁度この間エゲリアに借りた本に、こんなシーンがあった。
あれはどんな本だったか…ド忘れしてしまった。
こうなると意地でも思い出したくなる。
思い出したいのに思い出せないという感覚が気持ち悪い。
ムンダーは手を顎に当て、首を捻る。

…ガチャリ。

そんな時、遠くで、金属音が聞こえた。
「?」
考えながらも、顔を上げるムンダー。
ガチャリ、ガチャリ、と音は続く。
どうやら、ゆっくりと近付いてくる様だった。
靄の所為でその姿は見えない。
…ああ、そういえばその本もこんな感じだった。
あれは確か朝靄では無く霧だったか。
その内霧の中からゆっくりと出てくる…
「…思い出した…」
口の中で呟くムンダー。
本のジャンルはファンタジー風のミステリー。
そのシーンは殺人現場。
霧の中から出てくるのは…
ムンダーが必死で続きを思い出そうとしている時。
現実の靄の中から、ぬっ、と甲冑が現れた。
「〜〜〜〜!!!」
直後、ムンダーは声にならない声を上げて自分の家の門の中へと駆け込んだ。
そのまま玄関、廊下を走り、主人の部屋へと跳び込む。
くうくうと安らかな寝息を立てている朱音のベッドに飛び乗り、彼女の身体の上に馬乗りになった。
「マスター!マスター!マスター!」
連呼。
ひたすら連呼。
「…んん…!?」
がくがくと揺さぶられ、主人が薄く目を開けて不機嫌そうな声を出した。
まぁ、気持ち良く寝入っていた所を無理矢理起こされて愛想良くしろという方が無茶かもしれないが。
「マスター!靄の中から殺人鬼が!」
本の内容と現実が混ざっている。
朱音はムンダーの言葉に、ますます不機嫌そうな顔をした。
ごしごしと手の甲で目を擦る。
「…そんなもん…珍しくも何ともないじゃないですか…」
「…あ、そっか…」
朝色の町。
朱音本人も含め、町民のほぼ全員が人殺しの町である。
というか、普段出入りしているカフェのメンバーなど、既に累計殺傷人数三桁超え、他の町なら『殺人ジャンキー』呼ばわりされているであろう者も珍しくは無い。
普段から殺人鬼と接しているのに今更殺人鬼を恐ろしいと思う理由があろうか、いや無い。(反語)
むしろきっぱりと『殺害』の証拠を残してくれる殺人鬼ならありがたいとすら思える程である。
この町の人間にとって一番怖いのは、『自然の病気に見せかけられて殺されること』だ。
殺害・事故の判定が下りなければ、蘇生が出来ない。
朱音の言葉に、ムンダーはようやく落ち着いた様だった。
「朱音っ、大丈夫か、無事か!?」
しかしその直後、板の床なのに土煙でも上がりそうな勢いで、パジャマ姿のポコスが部屋に跳び込んで来た。
多分、先程のムンダーの大騒ぎで目を覚ましたのだろう。
主人の部屋の物音に、暴漢の侵入か何かと思ったのかもしれない。
慌ててやってきたポコスの目に映ったものは、

1、涙目朱音(寝起きだから)
2、朱音着衣の乱れ(揺さぶられたから)
3、息の上がったムンダー(走ったから)
4、朱音に馬乗りになったムンダー(前述参照)

………………………………………………………………………。

沈黙。
一瞬の後、
絶叫。





「…酷い目に遭った…」
「百パーこっちのセリフです」
陽は昇り、開店時間少し前。
店内のテーブルを拭きつつ溜息を吐くポコス。
花瓶の水を取り替えて戻って来た朱音が、少し腹立たしげに呟いた。
奇しくも花瓶の花は百合である。
初夏の現在、白百合の花が大変美しい。
ポコスは横目でそれを忌々しげに眺め、台拭きを再開しつつ、もう一度溜息を吐く。
まだ一日も前半戦だというのに、もう既にどれだけ溜息をついた事か。
一日の溜息数新記録を狙えるかもしれない。
いや、そんなもんカウントしてはいないが。
「…取り敢えず、百合とか薔薇とかは物語や戯曲の中に留めておいた方が美しく思えるというのは解った…」
「えー、なんで?両方綺麗じゃん、ふつーに」
床を掃いていた灯磨が空気の読めない声を上げ、エゲリアに塵取りで頭を小突かれた。
あの後ムンダーはエゲリアの方にも『きっと貴女の持っている本の封印が解けたに違いない』と訴え、『そんなヘンな効力のある本は多分無い』と突っ込まれていた。
根が真面目な女だけに、一度暴走すると直線的に暴走し続けてしまうのである。
因みに今、彼女はエゲリアの書庫に籠っている。
開店準備の件を言うと、『明日二人分働きますから今日は御休みさせてください』とのこと。
余程ショックだったのであろうか。
「うーん…」
朱音が首を傾げる。
それとほぼ同時に、からんからんと店のドアに括りつけた鈴が鳴った。
「あー、今開店準備中だからもう少し待っ…なんだ咲良か」
「なんだとはなんだ。おはよーございます。…それにしてもごっつい鈴付けてるな、これ熊用だろう?」
ポコスの応対への突っ込み、一同への挨拶、鈴への突っ込みを一息で済ませる。
てくてくと店の中に入って来て、手にした小さめのトランクをテーブルの上に置いた。
「これ、頼まれてた奴です。本当は昨日の内に持って来たかったんですけど、急用が入って…」
「ああ、ありがとうございます」
咲良の主人は、現在は鍛冶屋を引退している。
しかし同時に大幅に収入が減った為、今色々な副業を模索している様だ。
その内の一つが刃物の研ぎ師なのである。
トランクの中身は各種包丁だろうか。
因みに他の副業といえば、「咲良貸し出し(今日からすぐに使えるバイト都合します)」「フラワーアレンジメント」「ちびっこサクラ」。
三つ目は別に咲良が幼児化する訳では無く、雛姫が『貴方のお店の小さなマスコット』として客引きをしてくれるというもの。時々無料オプションで弟の春兎も付く。
需要あるのか?と訊きたくなるが、それなりに依頼はあるらしい。
世の中解らないものである。解らないのは朝色の町かもしれないが。
「ついでにバイトしていくか?今日はムンダーいないから、昼時に入ってくれるなら給金弾むぞ。朱音が」
「勝手に決めないでくださいよ」
ポコスの誘いに、朱音が苦笑する。
咲良が笑いながら手を振った。
「いや、今日は…。用事があるから」
「太陽?」
「…何故限定なんだ」
この場合の太陽は、空にある方じゃなく龍の方。
図星なのかどうなのか、咲良はほんのり自分の名前の響きと同じ色に頬を染めた。
そして、それを誤魔化す様に首を横に振る。
「…あー、それより、ムンダーはどうしたんだ?病気?」
「いや、そうじゃなくて…」
ポコスは手短に、朝の騒動については省略して説明した。
咲良はふんふんと聞いていたが、話が終わると同時にぽんと手を打つ。
「あー、あのフルプレートな」
「ええっ!?」
普通に返され、逆に驚く。
驚かれた事で咲良も驚いたらしかった。
「いや、私も今日見掛けたから。朝も早くからがっちゃんがっちゃんと…。
 私の部屋、通りに面してるし…あの時刻になれば眠りも浅いしで、起きちゃうんだ。迷惑な話だよ」
「…驚かなかったんですか?」
「…だって、別に珍しくないし」
エゲリアの問いに、咲良は首を傾げた。
そう、別に珍しくない。
この町には甲冑を着た人間など、いくらでもいる。
さすがに兜を付けっ放しの人はそういないが、いたって別におかしくはないだろう。
ムンダーの場合は事前に読んだ本の知識と雰囲気とが融合して、混乱暴走に至ったのだろうか。
咲良の場合は自分の部屋から窓越しに、だが、ムンダーの場合は表通りの霧の中から、だったという純粋なインパクトの違いも一因だろう。
「…まぁ、でも普通はそう思うよな…」
「…彼女も眠かったのかもしれませんね…」
「だから無理をするなと言っているのに…」
「?」
遠い目をする朱音邸御一同様。
咲良は逆方向に首を傾げた。
「しかし、この家ではエゲリアが疑われるのか。うちでは真っ先に小町が疑われるよ」
「…まぁ、そうなるだろうな」
「というか、世の中の不条理なことは小町の所為にしておくと面倒が無いんだ」
「…酷い話だな」
お風呂が熱すぎても小町の所為。
ポストが赤いのも小町の所為。
本人がそこにいないのをいいことに言いたい放題である。
周囲は便利でも、小町本人にとってはさぞかし迷惑な話であろう。
咲良は結構笑えない事を笑顔で語って、上機嫌で帰って行った。
やはり太陽なのかもしれない…と思いつつ、一同は残る開店作業を急ピッチで進めたのだった。





「…………」
「どうですか、いい品でしょう」
太陽は、望みの玩具を手に入れた子供の様な顔をしていた。
咲良は呆然とそれを見ている。
『見せたい品がある』と言われて付いて行った先には…あの甲冑があった。
けして特別広く無く、更によく解らない物の多い太陽の部屋。
その中央に、どんと、今朝見た甲冑が鎮座していた。
「取り敢えず色々言いたい事はあるけど、その1…お前、こんな趣味あったっけ…?」
「武具マニアという訳ではありませんが、面白いことは好きです。これは数百年前に地方を騒がした霊の遺した鎧と言われておりまして」
「ああ…デュラハン系…?…その2…因みに入手経路は…?」
「通販です」
「…………」
最近の通販すげぇな、オイ。
そういえばルーガも鉄の処女とか買ってきてたっけ。使用済みの中古で。あれ今何処にあるんだろう。
咲良は何とも言えない感想を噛み締めながら、ぺたぺた鎧を触る。
いい品だった。
長年鍛冶屋の下で働き、武具防具流通に携わった自分が言うが、いい品だった。
太陽の言う事が本当なら数百年前の品の筈だが、今でも十分使えそうである。
「…その3。…朝にこれ着て動き回ってたのお前?」
「うわっ、見られてしまいましたかお恥ずかしい。…いや、眺めていると、着れるかなーみたいな気がして…」
「その気持ちは解るけど…」
「デュラハンの気持ちが少し解りましたよ」
「解っていいものなのかな、それ」
「取り敢えず、がちゃがちゃ鳴って、中にいるとすげぇうるさいですこんちくしょう」
「知らないよ」
早朝だったのは、『余り人目の無い所で』という彼なりの羞恥心と気遣いの結果なのだろうか。
昼間に馬とかクマの着ぐるみ着て歩きまわる奴が今更何の羞恥心だという突っ込みは傍に寄せておく。
その辺を追求するとキリが無い。
咲良は溜息を吐きつつ、太陽の方を振り返った。
「…その4。…家でおきた不条理な出来事が、気が付いたら自分の所為で確定になってたことって無い?」
「…よくありますけど、何故それを…はっ、咲良さんもしかして覗き見てる!?」
「なんでやねん」
自らの身を抱き締め、妙に乙女チックなポーズを取ってみせる太陽。
咲良は彼に裏手ツッコミを入れてから、再び鎧に視線を戻す。
鏡の様な金属板を見つめながら、真相を朱音邸に告げに行くかどうか迷っていた。

エゲリアの場合は多分冤罪が圧倒的に多い。
小町の場合は…良く解らないが、多分冤罪の方が多いだろう。
だけど太陽の場合、本当にこいつが犯人の場合が殆どな気がする。

「これから、うちのお風呂で火傷したらお前の所為だと思うことにする」
「それはまあ私は熱い男ですが。さすがに貴女の家の給湯器まではどうにも出来ませんよ」
「ボケ返された…」

そして咲良は溜息を吐く。

やはり、全体的に太陽の所為で起こった出来事であるらしかった。



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