「すぱっとお願いします」
真顔だ。
真剣そのもの、雑念の感じられない表情。
曇り無き眼、というのはこういうものの事を言うのであろうか。
だから、きっと彼の言葉も同じ。
冗談だとか誇張だとか比喩だとかは全く無いのだろう。
「…………」
メティーは据わった目で、台の上とルーガの顔を見比べる。
幾ら見比べても変化はしない。
台の上にあるのは円月刀。店からくすねて来たのか、主人に交渉したのか、別ルートなのかは知らない。
知らないし、どうでもいいし、何だって構わないし、深く関わりたく無かった。
眼前のルーガの顔は真剣なまま。猫目が時々瞬きをする程度の変化しか無い。
「さぁ思い切って」
メティーがいつまでもそうやっているので、ルーガは急かす様な声を掛ける。
炎龍はのろのろと台の上の刃物を手に取る。
薄暗い室内で、刃が蝋燭の明かりに照らされ鈍く輝いた。
「…………」
まだ、何も言わない。
ルーガはそんな彼に痺れを切らしたのか、拳を握り、もう片方の手を台に打ち付け叫んだ。
「一気に行けばそんなに痛くありません!ちょっと我慢するだけですから!」
「そんな注射みたいなノリで腕斬り落とされて堪るかー!」
喚きながら円月刀を床に叩き付けるメティー。
説得の言葉とかを考えていたらしいが、もうヤケクソだった。
本日のルーガ様御所望の品。
炎龍の前脚。
事の起こりは十分程前。
ルーガに呼ばれて彼の部屋へ。
思えばその場で用件を告げられなかった時点で嫌な予感はしていた。
ちょっと話があるので…という彼の言葉に、のこのこ付いていってしまった時点で失敗だった。
しかし既に時は今。
そんな事を言っていても仕方が無い。
「我儘ですね貴方は。どんなノリならいいというのですか」
「どんなノリでも良くねぇよ」
仕切り直して。
二人は床に正座して向かい合っていた。
何故正座なのかはよく解らない。ルーガが突然正座したので合わせただけである。
その辺に、メティーが今回ルーガの部屋にのこのこやってきてしまった理由が窺えそうだった。
「注射みたいなノリが嫌なら処刑みたいなノリは?」
「もっと嫌だ!というか腕無くなるのが嫌だ!」
「我儘ですね」
「…………」
口をついて溢れ出そうになった罵倒を引っ込める。
相手に気付かれない様に、静かに深呼吸をした。
正座を崩して、相手を見る。
相手のペースから抜け出して、自分のペースを作ろうと試みる。
「というか、何をしたいんだ?」
「…………」
今度はルーガが黙った。
傍に置いてあった本を手に取り、ぱらぱらとページを繰る。
顔を上げないまま、ぼそぼそとその内容を読み上げる。
ハーブ数種類、青いリンゴ、そして炎龍の前脚…などなど。
どうやら何かの材料の様だった。
「…やめなさい、そんなゲテモノ料理」
「料理ではありません」
一応反論するが、何なのかは口にしない。
ルーガは割と秘密主義だった。
というか、説明が面倒なのかもしれない。
彼のしていることが常人の理解を外れた事なのは周知の事実だ。
自分の理解の範疇に無い事の説明はする方もされる方も体力を使うものである。
「まぁ、解ったけど。取り敢えず俺の腕はやらん」
「…どうせ再生するのに」
「…薬があるからって毒を飲むのは馬鹿のする事だろうよ」
一部の種類の龍は、身体の一部分を失っても再生する。
まっぷたつにされても大丈夫という訳では無いが、腕一本脚一本なら元通りの形での再生は充分可能だ。
要するにトカゲのシッポが切れてもまた生えてくるようなもんである。
さすがにそれ程単純な器官では無いので時間は掛かるが。
それも自分の中の力を超活性化させる技を持つ龍に頼めばかなり短縮化出来る。
「ダークデビラゴスは超回復を使えましたよね?」
「…あいつに頼んだら腕が逆向きに生えてきたり、足が生えたりしそうだからパス」
「…それは逆にかなり器用だと思いますが」
「他の材料でなんとかならんの?」
同じ様な成分を持っていたり、同じ様な働きをするもので代用。
こういう儀式的なものにそういうことが出来るかどうかは不明だが、駄目元で訊いてみる。
ルーガは少し考える様なポーズを取った。
手を口元に当てて首を傾げる。
「出来るには出来ますが。少々面倒な品になりますよ」
メティーは内心胸を撫で下ろした。
これで「どうしても駄目だから別の炎龍を狩りに行く」とか言われたらどうしようかと思った。
自分は助かっても変な罪悪感を抱える事になってしまう。
「面倒でもいいじゃないか。その方が達成感がある」
「私は面倒は嫌いです。結果が同じなら手順が少ない方がいいに決まっている」
嫌そうに言うが、ルーガの表情は変化しない。
ツンデレ…という訳でもなく、単に彼が表情に乏しいだけだ。
「手順が少ない方を取るか流血が少ない方を取るかは価値観の違いとして。俺は後者を推します。何なら手伝うから」
「…………」
メティーの言葉に、ルーガは顔を上げる。
本の隙間に挟んであった紙切れを黙って突き出した。
同じく黙ったままそれを受け取り、開く。
細かい字でびっしり書きつけてある文字群。
代わりの材料、なのだろう。
このメモ書きを用意していたということは、メティーが断る事も予想していたということだろうか。
そしてその場合、手伝いに駆り出すのも想像していたということだろうか。
上手く使われている気がする。
まぁ、それで自分の腕が無事で済むなら御の字、という気もするが。
「これを集めてくればいいんだな?」
「手早くお願いします」
今度は本に視線を落としたまま目を上げないルーガ。
メティーは、彼の気が変わらない内に…と、とっとと駆け出した。
「買えるものはこれで全部かな…」
メティーはメモを眺めながら呟いた。
青い林檎、クベバの実、クコ酒、絹糸、ハーブが数種類。
先立つものは受け取っていないので自腹購入。
後で二倍にして請求してやろうと思っていたりする。
「スライムの核、狼の牙…まあ、この辺はうーちゃんに頼もう」
主人はお試しダンジョンによく潜りに行く。
これくらいの物ならば特に見返りも要求されないだろう
さて、これからが難問ゾーンだ。
「…地龍の涙」
地龍と言えば…。
「は?」
店番に立っていたリュコラヴォスは、あからさまに変な顔をした。
いきなり『涙が欲しい』と言われたら当然の反応と言える。
「まあ、かくかくしかじか」
「…かくかくしかじかとだけ言われても解らんけど。
まあ、大体の事情は解る…」
メティーの手にした紙切れを気持ち悪そうな顔で見る。
流石に同居人は話が早い。
「そういう訳で、涙が要るんです」
「…そんな事言われてもなあ」
考え込むリュコラ。
彼女は特別涙もろいタチでもない。
欠伸でもすれば少しは出るかもしれないが、欠伸で出る涙の量など高が知れている。
「涙腺操れる程器用でも無い。…太陽なら出来そうな気もするが」
「ああ…」
脳内に浮かぶイメージ。
確かに、彼なら涙くらい自在に出せそうな気がする。
しかし問題はメティーの頼みを聞いてくれるのかという点だ。
「殴って泣かせた方が早い気がします」
「…殴られたくらいで泣くかな、あいつ」
その選択肢はリュコラに対しても存在するのだが、敢えて気付かない振りをする二人。
男女の壁がメティーを紳士的にさせている。
「というか、地龍が殴られたくらいで泣くのかというとまた疑問…」
「よーっす」
何か言いかけたメティー。
それを遮り、第三者の声がする。
ポコス…あの、料理店のウェイターなポコスが、ドアの前に立っていた。
二人の視線が向けられたのを見て、既に開いているドアを後ろ手でノックする。
「呼び鈴押しても返事無いから勝手に入ったぞ。
悪いんだけど研ぎ石一個貰えないか?家のがどっか行っちまった」
「…………」
「…………」
顔を見合わせるメティーとリュコラ。
ポコスの言葉は半分素通りしている。
「…だな」
「…ですね」
「は?」
頷き合う二人。
ポコスは怪訝な顔をする。
十数秒後、彼はその場に大の字に寝転がる羽目になっていた。
腕の方をリュコラ、脚の方をメティーに抑えられている。
勿論事情説明など一切していない。
突然二人掛かりで襲われたポコスは目を白黒。
一応暴れてはみるものの、突然の事にまだ脳が対応仕切れていない様だった。
まあ、普通はまさか知り合いの店に買い物に来てこんな目にあうとは思わない。
常に警戒しているのならそれはそれで頭がどうかしている。
「…はて、抑え込んではみたものの、どうすればいいものか」
他人事の様に呟くメティー。
「…色々耐性ありそうだから、難しそうだなあ」
ポコスを見下ろしながら呟くリュコラ。
こちらは完全に他人事。
「何だよ、離せよっ!」
「…ポコス」
「…………」
メティーの優しげな呼び掛けに、ポコスは一瞬黙る。
メティーは微笑みを浮かべたまま、
「…今日、ここの主人は三階で読書をしているよ」
「…………!」
雑談の様な一言に、ポコスの表情が固まる。
主人が在宅
↓
騒げば下りてくる
↓
ここの主人と自分の主人は親交がある
↓
連絡される
↓
今の自分の姿を見られる・報告される
「…………」
暴れるのをやめ、黙り込むポコス。
普通に考えると彼は被害者なのだから、むしろこの状況を見られてマズイのは二人の方だ。
しかし彼は男の意地というか沽券というか、そういうものを取った。
にやあ、と笑うメティー。
「お前、なんか悪役っぽいな」
「実際悪役ですからね、今。悪役は悪役らしくするべきです」
「ピカレスク・ロマンなのか?」
「そうっぽくもあり、そうでない様であり。…さて」
メティーはそっと、彼の体に手を伸ばした。
数分後。
ポコスはメティーに、
…くすぐり倒されていた。
「…………」
リュコラはただ、呆れた様な顔をしていた。
なんとも形容しがたい表情で二人を見つめている。
「えーと、この辺かなー」
こちょこちょこちょ。
脇腹の辺りに絶妙なタッチで指を這わせる。
「…っ、……!」
笑い声を抑えながら身をよじる。
が、太股の上にメティーが膝を付いている為、逃れようにも逃れられない。
体重は上手く分散されているらしく、痛くは無い。
痛くは無いが、痛くされた方がまだマシだった様な。
涼しい顔でめちゃくちゃ楽しそうなメティー。
「…男ってこういうの好きだよな…」
くすぐり攻撃とか、電気あんまとか。
端から見ててあほらしい制裁を加えるのが。
思うに、動物の群れの中の「順位決めの儀式」の延長なのでは無いだろうか。
死なない程度の喧嘩して、相手が腹を見せれば勝ち、みたいな。
そうしている内に涙腺が刺激されたのか、ポコスの目の端に涙が貯まってきた。
「あ、もう少しだな」
「よし、ラストスパート」
「…………ー!」
無言の絶叫とでも言うべきものが聞こえた気がした。
ルーガから渡された試験管。
底の方にちょっぴり水分が溜まっているのが見える。
「それだけでいいのか?」
咳き込んでいるポコスの背中をさするリュコラ。
ポコスからすれば手を振り払いたいくらいの気持ちかもしれないが、今はそんな余裕も無い。
「量は指定されてませんしね」
「そうか。まあ、良かったな」
「この調子で残りの材料も集めて来ます」
「ああ…いってらっしゃい」
『この調子』で集めるのは色々問題があるのでは無いだろうか。
そう思いつつも、リュコラはメティーの背中を見送った。
「…お前ら…揃いも揃って…」
ようやく口を利ける様になったポコスが抗議する。
「正直言うと、今回はお前のタイミングの悪さみたいなのにも原因があると思う…」
「知るかっ!…全く、脅迫とか…」
「あー。一応言うと、メティーは脅迫なんかしてないぞ。
お前は変な噂をばらまいたりするタイプじゃないけど、一応な」
「?」
「羽堂が三階にいる、っていう世間話をしただけ。
それでお前が取った行動はお前の自由意思」
「……まあ、そうなるけどな」
「加えて羽堂は読書を始めると、真後ろで大砲を鳴らしても気付かない。
が、まあ世間話だから会話の取捨選択は自由だよな」
「…性格悪いなー」
「知ってただろ?」
「お前もだ。…あー、喉が渇いた」
笑いながら毒づくポコス。
リュコラの差し出した湯のみを取り、茶を一気飲みする。
「お茶の代金60Gになります」
「金取るのか!?つーかうちの店より高っ!」
「…冗談だよ」
反応いい割に、後に引きずらない。
これだから弄られるんだよなあ。
弄られると可愛がられるは紙一重なんだけど。
リュコラはそんな事を考えながら、砥石もサービスでいいか、と考えていた。
一方メティー。
「次は…水龍の鱗」
涙、よりは交渉が簡単そうだった。
しかし羽堂邸に水龍はいない。
いないというか、今まで一度たりともいた試しが無い。
となるとやはり他の家の水龍を当たらなくてはいけない訳だ。
「水龍…」
記憶フォルダを漁って、交渉がし易そうな顔を探す。
商売付き合いしか無い辺りはパス。
零の家のトラバントは…確かあれは両生類っぽい形態の水龍だった。
鱗もあるだろうが見付けにくそうなのでパス。
となると…
「あ、メティさんー!」
最近よく聞く声に顔を上げる。
知り合いになって間も無い闇龍が手を振っていた。
品のある服装に、白いレースの日傘がよく似合っている。
メティーは手を振り返しつつ、思わずメモを確認した。
メモの下の方に『闇龍の毛』の文字。
「…………」
下心があったことは事実だ。
うちにも闇龍はいるけど、あれに頼むくらいならこの子に頼もうかな、みたいな。
しかし…毛、とは。
むしろこの題は家の闇龍に頼んだ方がいい気がした。
いや、頼まなくても家の中を探せば髪の毛の一本くらい落ちてるだろう。
家で黒髪はトゥエルヴしかいないのだから、間違え様が無い。
「どうしたんですか?」
「あ、いやあの…」
一瞬固まった隙に、エレはつつーと近付いてきた。
恋する乙女は、さりげなくポジションを確保するのに長けている。
いじらしく健気…ではあるのだが、この能力も時にはうざったい。
エレは目敏く紙切れに気付いた。
「もしかしてお買い物ですか?」
「あー…違うんですけど、お使いみたいなもので」
受け答えをしながら考える。
せっかくなので頼むべきか、それとも誤魔化すべきか。
頼むとしたら、頼み方に気を付けなければならない。
貴女の髪の毛を一本下さいなんて言えば、まるきりストーカーだ。
彼女とは特別親しくもない仲だが、下手に印象を悪くする必要も無いだろう。
そこでメティーは、彼女の身内に水龍がいることを思い出した。
そうと決めると、メティーは真顔でエレの手を両手で包む。
「エレ…さん」
「はい…えっ、ええっ」
このただでさえ熱い夏の日にそんな暑苦しいことを暑苦しい炎龍にされたら嫌がりそうなものだが、思った通り彼女は満更でも無さそうな反応を見せる。
頬を染め、傘を取り落とした。
空いた手も一緒に取り、彼女の目を見詰める。
もう目をそらせない。
「…これは天の導きかもしれない」
「は、はい?」
まあ、ある意味天の導きっぽい。
丁度良かったし。
「…申し訳ありません、突然」
手を離し、落ちた日傘を手に取る。
さりげなく相合い傘を演出。
客観的に見ると突然すぎて怪しいことこの上無い…のだが、美形フィルターと恋心フィルターを重ねればなんとかなっちゃうのが恐ろしい所。
この手の操想は、相手を操っているつもりで自分が操られている事もある…というのもポイントだ。
心を操るには心に触れる必要がある。
そして心には心で触れなければいけない。口先だけで何とか出来るのはかなり最初の段階だけだ。
心が触れ合えば、当然こちらがほだされる可能性も充分にあるわけで…。
要するに相手に糸を掛けた時は自分から相手に対してだけではなく相手から自分に対しても糸が掛かっている、という理屈だ。
が、エレに限ってそれを狙っていたりする事もあるまい。
「今日は日差しが強いですね」
にこにこ笑いながら世間話にシフト。
エレは未だ頬を染めながら頷く。
「はい…最近辛くて…お父さんが日傘を買ってくれました」
「それは良かった。貴女の美しい肌や髪が傷まずに済む」
「そ、そんなお世辞言っても何も出ませんよ?」
「お世辞でこんな事は言いませんよ」
これは本当。
事実エレは客観的に見ても美しい。
日傘が更に儚げなイメージを演出して男心を擽っているのも本当。
彼女の主人はまさかそんな事を考えてはいるまいが。
「…もう。…メティさんだって」
「僕は男ですから。…しかし、こんなに暑いとそれでも参ってしまいそうになりますね」
顔をしかめ、空いた手でシャツのボタンを上から二つ程外す。
ぱたぱた空気を入れるポーズを取ると、エレはくすくす笑った。
「メティさん、暑そうな格好してますからね」
「暑いですよ。炎龍でも暑いものは暑い。こう暑いと水でも被りたくなりますね」
「まあ、兄さんみたいな事を言いますね。
兄さんは毎日海に行きたい行きたいと駄々をこねてばかりですよ」
兄さんというのは水龍ダニルウ、ダニのことだろう。
まさか太陽が泳げもしないのに海に行きたいとそこまでごねたりはしまい。
「海ですか、いいですね。夏には丁度いい。
エレさんは泳げるんですか?」
「ええ。流石に兄さん程とは行きませんけど」
エレは胸を張った。
可愛い女性が自慢気に胸を張る姿は何処か微笑ましく見える。
同じ属性同じ性別の奴が家で同じ事をしてるとかなりムカつくのだが。
これは心が『やってることの是非』よりも『相手のスキキライ』に重きを置く故の事だろう。
「それはいい。活動的な女性は好きです」
「はうっ…め、メティさんは…」
「あー、僕は…泳げはするんですけど…」
「苦手、とか…炎龍さんですものねえ。
でも泳げるなんて、立派です!」
言葉を濁して何処か遠くを見ると、エレが勝手に判断してくれる。
これは嘘。
メティーは体を動かすのは好きだし得意だ。
確かに水は特別好きという訳では無いが、特別嫌いという訳でも無い。
それに地龍の様に『腹に砂袋があるからそもそも浮けない』の様な問題が無い限り、生き物は泳げる様に出来ているものだ。
炎の力は行使しにくくなるというのは確かだが、ただそれだけ。
水を掻いたり蹴ったり、推進力は純粋な体力であるから、炎龍であることと水泳の可否とはまるで関係が無いのである。
エレは自分の周りに他に炎龍がいないと言うことと、身近に太陽という凄まじい水嫌いがいる所為で気付かなかった様だ。
「あはは、お恥ずかしい」
「そんなことありません!」
「…優しいんですね…」
「あうう」
いちいち動揺が顔と口に出る。
その反応がまた可愛らしい。
弄りたくなるというのはポコスも同じ…なのだが、もう少し丁寧に弄ってやりたいというか。
不思議な感情である。
「そ、そうだ…兄さんに聞いた事があります。
世界には海の傍で海から取れるものだけで生活している民族がいるそうです。
その民族は子供が産まれると、魚の鰭や貝殻を干した飾りを作ってお祝いするんだそうですよ」
磯臭そうな民族である。
しかし良くあることだ。
そうして海の神の祝福を得るという風習なのだろう。
「だけど、そんなものよりずっといいものがあって、それが水龍の鱗なんだそうです。
どの親も、自分の子供の祝いに水龍の鱗を入手しようと必死になるそうで」
「へえ…」
「兄さんに頼んで、メティさんの分の鱗貰って来ますね!」
冷静に考えて。
普通に考えて。
メティー自身も龍であるので、その民族が感じている様な神聖性を水龍に感じている筈も無い。
加えて鱗というのは要するに体を覆う皮膚が体を守る様に変化したもの。
人間で言うなら切った爪やら日に焼けて剥がれた皮やらと同じ感覚と言えばいいだろうか。
更にダニは男。
それも、結構ゴツイ男。
同種、同性の生き物の皮膚。
嬉しいのか、それ?
エレ自身も龍である為その感覚は同じである筈なのだが、恋する異性を前にして色々ネジが飛んでいるようだ。
…と、普段なら思う所なのだが、今回は目的が正にそれそのもの。
メティーは微笑んで『嬉しいです』と言った。
これで鱗の確保は完了。
続いては…うん、厄介な方の課題が残った。
色々と考えを巡らす。
…このまま『鱗を受け取りに』と家に付いて行き、彼女の部屋にでも入れて貰って探してみる…
駄目だ、気持ち悪い。気持ち悪すぎる。
気付かれない様に入手出来たらまだいいが、気付かれた日には地獄だ。
羽堂邸の三階から紐無しバンジーでもかましたい気分になってしまいそうである。多分自分それじゃ死なないけど。
そもそも気付かれる気付かれない以前に行動自体が気持ち悪い。
一瞬彼女の部屋(入ったこと無いけど)で櫛や床の隅を漁る自分を想像して暗澹たる気分になった。
一旦頭の隅に浮かんだ光景を払拭するには行動するのが一番だ。
突っ立っていると次々嫌な想像をしてしまう。
「それからエレさん、失礼ですがお願いが…」
すっぱり頭を切り替え、真正面から頼むと決めて行動に出た瞬間。
「…………」
「…………」
「…………」
いつの間にか出現していたトゥエルヴが、真横にいるのに気が付いた。
なんだかニヨニヨしている。
ニヤニヤじゃなくてニヨニヨ。
そうとしか表現できない。
油の切れた人形の様な動きで振り返り、揃ってそちらを見る二人。
トゥエルヴは笑みを崩さないままでぱたぱた手を振った。
「あ、気にしないで。続けて続けて」
「…………」
メティーはつかつかと歩み寄り、トゥエルヴの頭に手を置く。
そのまま…むんずと適当に手を握り、力任せに引っ張った。
さすがにごっそりとは抜けなかったものの、指の間に黒い髪が何本も残る。
「痛ー!ちょっ、今の、痛っ!」
「痛い様にやったんだから当たり前だ!」
頭を押さえて喚くトゥエルヴ。
メティーは悪態を返しながら、預かって来たビニール袋に抜いた髪を突っ込んだ。
隣でエレが状況に付いていけずあたふたしていたりする。
「そんにしたって女の子にその攻撃は反則でしょ!」
「女の子として扱って欲しいなら女の子として行動しやがれ」
「ハゲてたらどうすんのよー」
「黒のペンキで塗れ。…あー、最初からこうしてりゃ良かった」
ぶつぶつ言いつつビニール袋を畳んでポケットに突っ込む。
苛立ちがそのまま現れ、ぐしゃぐしゃだ。
「メティーのいけずっ!町の掲示板に『ずっと待っていました。別れても好きなヒト』ってあんたの名前で書いてやるんだから!」
「めっちゃ地味だけど嫌な嫌がらせだ!」
「あと、相合傘の下にあんたの名前とそれっぽい架空の名前を書いてやるわ!」
「嫌だけど他の誰かに迷惑を掛けまいという心意気は買った!」
嫌がらせは嫌がらせというくらいだから嫌なものと相場は決まっているのだが。
言うだけ言ってから泣き真似をしつつ走って行くトゥエルヴを見送る。
結局何がしたかったのかはよく解らない。
少しぽかんとした後…エレへのフォローに追われた事は言うまでも無い。
ごまかしきって紆余曲折あって、鱗もなんとか入手して。
残りは二つ。
炎龍の生き血、そして風龍の爪。
前者に関しては戻った時に注射器でも借りれば採取できる。
腕は嫌だがこのくらいならなんとかできるだろう。
光龍についての何かが無いのは、ルーガが自分の体で調達するつもりなのだろうか。
…ならば、あと一つ。
風龍の爪…これも大した問題ではあるまい。
龍の爪というのは猫の爪によく似ている。つまり、必要の無い時には引っ込める事が出来るのだ。
加えてそもそもの作りが人間の様な一枚板では無い。三角錐の固いキャップが幾つも重なった様な形になっている。
キャップ状の爪の下で新しい爪が育ってくると、無性に爪とぎがしたくなる。
適当な木の幹でばりばりと研げば、キャップが剥がれ新しい爪が出てくる…の様な感じ。
風龍が好きそうな場所に出向いて、爪とぎの跡を探せばいいだけだ。
すぐ下に剥がれた爪が落ちている筈である。
風龍が好きそうな場所とは、風通しのいい場所。
平原…龍の狩場辺りなら見つかり易いに違いない。
「…………」
メティーは息を付き、小さなメモ帳から視線を外し、遠い目をした。
ゴールが近付くと、スタートが気になる。
当初は腕を落とされたくないばかりに必死で逃げたが、結局ルーガは何をするつもりなのやら。
帰ると、ルーガは大鍋で何かを煮込んでいた。
黒いマントの様なものを羽織り、何故か被っているのは魔女帽。
似合わないにも程があるのだが、本人は真剣だ。
「…変なにおい」
「おかえりなさい」
ひょいと鍋を覗き込む。ルーガは出た時とは打って変わって明るく返事した。
既にかなりの時間煮込まれているのか、既に内容物は原形を留めていない。
別に見たかった訳でも無いが、気になる。
しかし訊かない方がいい、訊くとロクな目に遭わないというのもまた自明の理。
ルーガとの付き合いは好奇心との戦いと言っていいかもしれない。
一応当たり障り無さそうな所を訊いてみる。
「…何で魔女帽なんだ?」
「何故魔女帽だといけないのですか」
「いけなくはないけど、そういうのって女モノだろ」
つばが広くてうねうね長い、黒い帽子。
ご丁寧にうねうねの先には白いリボンが結んである。
どう見ても女モノだ。
「形を整えると気合いが入るでしょう。精神統一です」
「…整ってるのか?」
むしろ乱れている様にしか思えない。
大鍋、謎の内容物、魔女帽、黒マント…そこまでは揃っているのだが、ルーガ自身が余りにそこにそぐわない。
しかし本人は鏡でも無い限り自分の姿は見えないから、別に本人的には問題が無いのであろうか。
メティーは集めてきたものを机の上に投げ出す。
上から二番目の引き出しを開け、注射器を取り出した。
「これ使うぞ」
「どうぞ」
振り向きもせずに答えるルーガ。
メティーは続いて針を取り出し、指先に摘むと、ふっと息を吐きかけた。
息と同時に炎が起こり、針を焙る。
かなり大雑把な加熱消毒である。しないよりはマシ、みたいな。
要するに自分に刺さる方にだけ菌がいなければいいのだろう。
メティーは手際良く採血を済ませ、手近な試験管にそれを移した。
これで頼まれた用事は全て果たした事になる。
「…礼は弾めよ」
「それはもうトランポリンの如く」
例えが微妙だった。
後姿だけでも、ルーガがにやりと笑むのが解る。
怪しさが服を着た様な男だ。
「…ちょっと訊いていい?」
結局好奇心に負ける。
ルーガは何も答えない。
否定しないということは肯定の証。
付き合いが長くなると扱い方も解ってくる。
「お前、なんでこういう事しようと思ったの?」
彼の経歴は、大体だが知っている。
彼は別の家で生まれ、育ち、成人の姿でやってきた。
町の中でも有力者と言える者の家に生まれ、特別不自由も無かった筈である。
鬱屈した願望がどうのこうのとかいう事では無さそうだ。
後ろ姿で少し考えるルーガ。
「…囁きでしょうか」
「囁き?」
「耳元で声がする」
この辺で、と言いつつ、ルーガは自分の肩の後ろ辺りの空気を掻き交ぜた。
首を傾げるメティー。
「…声って、自分の良心の声みたいなもの?」
「よく解らない。物心付いた時からあるものなので。最初は自分の意思だと思ったのだがそうでも無いような気がする。
他の者には聞こえていないようなので、どうやら別の何かの様だがよく解らない」
彼の口調に、冗談だとかそんなものの様子は無かった。
「それが色んな事を囁く。取り留めも無く。この訳の解らないものを取り除きたいと思ったのが最初だった」
「…………」
「信じやすい性質の人なら神の声とでも思うのかもしれない。或いは大宇宙の意思とか」
「…それは、電波だな…」
大宇宙の意思。
なんとも…なんというか…アホらしい。
何がって、単語の響きが。
言われたらまず自分の耳を疑う。次に相手の頭を疑う。
初対面の人にそんな言葉を掛けられたら次から関わらない様にしようと思うこと請け負いだ。
「私は自分では頭がしっかりしているつもりです。しかし不安になる。私は狂っているのかもしれないと。
この声を取り除く方法を探し自分を狂人では無いと証明する方法を探している内に実際狂人と化していたとそういう話です」
自らの知識欲の為に、誰かの腕を求めるルーガ。
誰に確認するまでも無く、ルーガは間違いなく、おかしい。
「…その作ってるのは、それに関係するものだったりする訳?」
「今はもうそれについては諦めています」
ルーガは言いながら、攪拌棒を鍋に立て掛けた。
メティーの横を素通りし、彼が取って来た材料に向かう。
紙袋を取って中身を確認すると、再び鍋に向かい、ぽいぽい無造作にそれらを放り込み始めた。
鍋の中身はその度に色を変え、時々えも言われる臭いを吐き出す。
どういう状態になれば成功で完成なのかは解らないが、終わる頃には鼻が曲がりそうだった。
「共存を画策してる訳?」
「…生まれてから今に至るまでこの声の言う事は常に正しい」
メティーの問いに、ルーガは神妙な面持ちで呟いた。
「…私がどれだけの知識を求めてもどれだけの秘術を完成させてもこの声には敵わない。そんな相手と共存?」
「…………」
ルーガは詳しくは言わなかった。
だけど、解る気がする。
それはきっと、仲間だとか増してや友達だとか言うものじゃなくて。
何だか、もっと別の関係。
与えられた不本意な立場だった。
とはいえこの世の中、誰にでもある程度そういうものはある。
皆、与えられた役割を演じている所がある。
だけれど彼のそれは一方的で強制的なものだった。
例えそれが幻聴であったとしても、ルーガの意思としては不本意だった。
「貴方はまだ取り返しを付けられる」
彼の言葉はメティーに言っているというより、自分に対して言っている様でもあった。
今日関わった色々な存在の姿が一瞬頭を過ぎる。
自分は彼らをからかう立場にいる様で、実質甘えている。
彼らの輪から排除されることは無い、という甘えの元に動いているとも言えるのだ。
何だかんだで回りといい関係を築いてきたという証拠だろうか。
ルーガの様に…訳の解らない存在によって、生まれながらに排除された者とは違うのだ。
「貴方は覚えておくといい」
自分はもう無理だ、諦めろ。
与えられた役割からは逃げられない。
そんな風に考えるのは、穿ち過ぎだっただろうか。
「…覚えておくよ」
訊いた時の軽い気持ちは何処かへ飛んで、メティーは短く言って頷いたのだった。