何処にでも転がっている風景の切り貼り
「美に美を重ねると醜悪になる。そういう価値観はいつの時代にもあるものですね」
その少女は本から目を上げぬままでそう呟いた。
時折頁を捲る以外ぴくりとも動かない彼女は、その儚げな佇まいも手伝って、何かの造り物の様にすら思える。
集中すると瞬きの回数すら減るらしく、本当に発条仕掛の玩具の様だ。
「一定の音韻を守って詩を詠み合い、言葉の美しさを競う遊びがあります」
ぱらり。
紙擦れが少し離れた者の耳にまで届く。
それだけこの場が静寂であるということだ。
「だけれども一つの詩の中に月と花を同時に詠み込んだ様なものはむしろ嫌われた。一度に二つ使用する事で、逆にそれぞれの持つ力の様なものが弱まる結果になると」
そして、言葉は途切れる。
ぱらり、ぱらり…と、その場を支配する音が紙擦れだけになって。
少女は言葉を続ける様子もなく、再び玩具に戻る。
どうやら単に思い付いた言葉を発してみただけらしかった。
白い少女はそんな友人の横顔をしばらく眺めたが、いつもの事なので余り気にはしなかった。
丘の上に、二つの影が見える。
先を歩くのは、紅い日傘を差した少女。
機嫌が良い様で、時々柄を捻ってくるくる傘を回してみせる。
後を歩くのは、簡素な恰好の少年。
少年と言うよりは、男の子と言った方が近いかもしれない。
頬に貼られた傷絆創膏の下に、うっすらと血が滲んでいるのが見える。
「この丘はいつ来ても花が咲いているわ」
少女は呟く様に声を出す。
機嫌が良さそうな仕草とは違って、落ち着いた声だった。
男の子は興味が無さそうで、ざっと辺りを一瞥した後、頭の後ろで腕を組む。
どうやら少女の散歩に付き合わされているといった所か。
「だけど不思議ね。何故花は美しいのかしら」
「…何故って…」
「何故花を美しいと思わなければならないのかしら」
男の子が口を開く。
しかし日傘の少女は最初から彼の返答は求めていなかった様子で、構わず言葉を続けた。
「色が沢山あるのが美しいのなら、最初から二十四色のクレヨンでも眺めていればいいのに」
「…………」
「…とか言ってみる私だけれど、人並みに花を美しいとは思うのよ。どうして私は花を美しいと思うのかしら」
「…………」
「どうしたの、そんな顔をして。伯母と散歩する時くらい笑顔を作る器量を持ちなさいな」
彼の伯母は特別扱いが難しいらしかった。
「おねえちゃんはヘンなの」
「…そうなの?」
小さな女の子にありがちだが、彼女は美しいものが好きだった。
けれど、美しいものとは彼女にとって美しいものであって、万人にとって美しいものだとは限らなかった。
彼女にとって美しいものとは自分の好きなものだった。
彼女は決して花が嫌いな訳では無かったけれど、動く分、虫の方が好きだった。
虫の方が好きだから、彼女にとって花や植物の類とは虫の餌としての存在以上には成り得なかった。
優先順位の問題、それだけの話。
個人的な興味が一般的な価値観を凌駕する事など、さして珍しい事では無い。
「でも、僕はおねえちゃんが好きなの」
「…嬉しいの」
チューリップを見れば、ああチューリップだなと思う。
薔薇を見れば、ああ薔薇だなと思う。
桜は美しいと思うが、梅と比べて特別際立って素晴らしい所がある様には思えない。
水仙とクロッカスは見分けが付かない。
黒衣の青年は、花について特別知識も関心も持っていなかった。
彼にとって花とは彼の生活に彩りを与えてくれるものであり、それ以上では無かったのである。
食卓に花が飾られていれば美しいなとは思うが、自分が率先してその花の世話をしようとは思わないし、その花が無くても寂しいとは思わない。
「即物的だとよく言われるけれど」
青年はそれについてこう語る。
「人生に彩りがあっても悪く無いけれど、彩りが無くても人生は動くよ」
そういう青年の服は全体的に黒く、アクセントに時々赤が混じる程度だ。
正直服装のセンスは余り良くないが、それも彼の拘りの現れなのかもしれなかった。
そう彼が主張しても言い訳に聞こえるのが関の山ではあったが。
雪は好きだ。
儀式の時に着用する黒ローブはとても暑い。
雪が降るほど気温が下がれば、その黒ローブがとても着心地良く感じられる。
月は好きだ。
満月の日には魔力が増幅する。
新月の日には呪術が成功し易い。
それ以外の日にも、月の魔力を利用した儀式など幾らでもある。
花は好きだ。
花弁を使えば占いが出来るし、花が終わった後の実を煎じれば薬にも出来たりする。
植物の力と言うのも決して馬鹿には出来ない。
一年の多くの時を自室で過ごすこの少女にとって、「美しいもの」はそれだけでは価値を持たない。
付随する何かがあってこそ初めて、彼女にとってそれは素晴らしいものとなる。
自分で自分が変わっている事は知っていたけれど、彼女は自分の行き先を修正する気にはなれなかった。
今この現在、この価値観のままで、彼女はある程度満足していたから。
「この花、何て言うんですか?」
机の上の花瓶を眺め、少女は尋ねる。
少し離れた所で背を向けている少年は、「知らない」と答えた。
「知らないのに摘んで来たんですか」
「綺麗だったから」
「…………」
少女には色々言いたい事があった。
女なら花が好きだとか思うんじゃねぇ、とか。
花を渡してはい終わり、じゃなくて他に言う事があるんじゃねぇか、とか。
だけど彼女はそれを口に出さなかった。
思う所はあれど…少年が自分に贈り物をしてくれたというその事象だけで、満たされてしまっていたから。
浮かんできた『言いたい色々』は要するに、そんな簡単なことで満たされてしまった単純な自分を説得する為の暗示に過ぎない。
だけど、そんな『色々』ではとても殺しきれないくらいに、少女は嬉しかった。
少女は特に花が好きという訳では無かったけれど、嬉しかった。
「…ありがとうございマス」
少女は小さく呟いた。
余り大袈裟に喜ぶと何だか負けた気分になる。
そんな素直じゃ無い自分を、少し呪った。