「一つ、訊きたいことがあるんだけど」
彼女は――少女の愛する人が仕える女主人は――笑顔を作り、そう言った。
紫の髪、その間から覗く紅い瞳。
同じ紅色と言えども、自分のものとは違う。
何が違うって、…なんというか、上手く言葉にはできないのだけれど…まるで笑っていない瞳。
それに反して顔面にじっとりと貼り付くのは、まるで媚びる様な笑顔。
それは、嫌な予感を呼び起こすに充分な表情。
「ミルクの何がいいの?」

王子

さらさらの金の髪、淡い薄紫の瞳、曇り無い白い肌。
さして手を掛けてもいないのに、そのパーツは何処までも完璧で。
成長すればさぞかし…と、誰の胸にも期待を抱かせる。
「でも、ミルクだし」
理由になんかなりゃしないような言葉の断片が、重く胸に圧し掛かる。
更に言葉を紡ぎ続ける彼女。
「性格や価値観が合う、って訳でも無い。あの子は誰にでも合う。
 話が合うという訳でも無い。ミルクと、正しく『話が合う』奴なんて今まで見た事が無いね。
 じゃあ、何がいいんだろう?見た目?お金?それとも別のもの?」
上げた口角は、嘲りにしか見えない。
しかし彼女のその表情よりも、少女の意思が何より少女自身を傷つけていた。

そう問われて、返す言葉が見付からない。

実際問われてみると、どう返せばいいのか解らない。
何か惹かれる所がある筈なのに、それをどう言い表していいのかが、全く解らなかった。
何も答えられず…だが、視線を逸らせば、何もかも喪う気がする。
だから彼女は無言のまま、睨み返す。
紅い瞳が見詰め合い、視線が絡み合い、数秒。
不意に空気が弛緩した。
羽堂は小首を傾げてにっこりと笑う。
先程までの何処か違う笑みじゃない、『普通の』笑み。
「ごめんね。ちょっと気になったから」
「いえ…」
「言う気になったら教えて頂戴。興味があるから」


「…………」
68番地、羽堂邸。
既に見慣れた感のある洋館を出て、家路につく。
頭の中では、幾つもの考えが絡み合い、ぐるぐると回っていた。
回る思考が熱を生む。
熱は脳内に留まり、ヨキの思考を阻害する。
それでも回る思考は、更なる熱を生み…。
やがて、自分が何処をどう歩いているのかも、解らなくなった。
思考回路を巡るのは、先程彼女に掛けられた言葉と、彼の姿。
言語野を掠る事も無く、巡り続ける。
「あ、ヨキちゃん」
思考に掛かった靄を取り除いたのは、彼の声だった。
はっと視界が晴れる。
ミルクがにこにこ笑いながら、自分を見上げていた。
「ミルクさん。こんばんは」
「おっでかっけでっすかー」
何だか懐かしい気分になるようなならないような、そんな節を取りつつ彼は問う。
ヨキは、ええ、と頷いた。
そもそもは、彼に会う為に68番地を訪れたのである。
ところが彼は不在。折角だからという彼女に付き合い、もてなしを受けている内にこんな時間になってしまった。
「うふふ、ですか。ミルクは今おでかけて、カエルさんなのですよ」
「ええ…」
「また遊びましょーね」
「ええ」
懐っこい微笑み。
知らない内に、自分の頬も緩む。
二人は当たり障りの無い会話を交わし、それぞれお互いの家路を急ぐ。
ミルクのお陰か、少し晴れた思考回路で、ヨキは色々なことを考えていた。

見た目?
勿論好きだ。
金色の髪も、可愛らしい顔も、好きに決まっている。
できればいつかは自分よりも背を高くしてほしいと思う。
だけど、それが全てでは無い。
彼の髪の色が違っていても、背が低いままでも、自分は彼が好きだ。

お金?
お金は、人間と共に暮らす上で必要なものだ。
誤解を恐れずに正直に言う、嫌いな訳が無い。
だけど、それは彼への感情には関係ない。
もし彼がそれらを持たない野生の龍だとしても、自分は彼が好きだ。

性格?
朗らかな所が好きだ。
全てを許す様な笑顔が好きだ。
後に引きずらない、さっぱりした所が好きだ。
だけど、きっとそれが無くても自分は――。

ああ、結局答えは見つからない。
どれもこれも決め手にはならない。
彼女への答えが見付からない。
とはいえ、彼女は、答えが見付からないからといって自分を迫害はしないだろう。
しないだろうけど、ここで諦めるのは、どうにも癪に障る。
自分の気持ちに対しても、納得がいかない。
彼に対しても、申し訳が立たない。

「おあ」
背中に、ぽふ、と小さな衝撃。そして奇声。
ヨキは考えるのをやめて、振り返った。
ミルクが、難しそうな顔をして小さな鼻を擦っていた。
自分の背中に追突したらしい。
「どうしたんですか、ミルクさん?」
「えへ」
先程別れた筈の彼。
再び会えたことを嬉しく思いつつも、首を傾げる。
すると彼は、満面の笑みを浮かべた。
その頬が紅く染まっているのは、夕陽の所為か、それとも照れなのか。
できればほんの少し、後者の感情があればいいなと思う。
ヨキは小さく息をつき。きらきら輝く金色の髪に、目を細めた。
「…本当に綺麗」
「んむ?」
唐突な呟きを、ミルクは理解できなかったらしく、逆の方向に首を傾げた。
「あ、髪」
慌てて、言い訳の様に口に出す。
ミルクはにっこりと、もう一度笑みを浮かべた。
「ヨキちゃんも綺麗ですよー」
「…………あ。あの、どうしたんですか?」
照れの余り、話題を逸らしてしまう。
ヨキの問いに、ミルクはようやく本題を思い出したらしく、おゥ、と言った。
「おうちまで、御隠居するですよ」
御一緒と言いたいのだろうか。
どういう言い間違いだ。
「え、えー…私の家まで」
「ですよー」
「大丈夫ですよ、まだ明るいですし」
「女の子がたほー以降カエルさんの時は、送っていくのが良いのですよ」
たほー?
…………。
たほう。
タほう。
タ方。
夕方。
…これは難易度が高い。
「ほ、本当にいいんですか」
「ミルクがいいと言っているのでいいのですよ」
「ご、ごめんなさい」
まるで逆ギレの様な口調になった彼(本人にそのつもりは無いと思われる)。
ヨキは慌てて頭を下げた。
「ミルクはもうしなのですよ。えっへん」
「ミルクさん、多分『紳士』です」
もうし。
申士。
紳士。
ヨキも大分慣れてきている。
慣れてどうする、という意見もあるにはあるが。
「行くですよ」
「あう」
ヨキの突っ込みを華麗に無視し、ミルクはヨキの手を握る。
そのままてくてくと、彼女を引っ張る様に歩き出した。
「…………」
繋がれた、白い手と手。
ヨキの頬が、じんわりと熱くなった。
先程の思考の摩擦が生んだ熱とは違う。
柔らかくて繊細な、心臓に悪い熱。



そうしている内に、昔のことを思い出した。
あれはまだ、自我がはっきりしていない時のこと。
主人が自分に、一枚の写真を見せた。
それは言うまでも無く、彼の写真。
自分は一目で、彼に恋をした。
彼と、自分の父や母、そして腹違いの兄との因縁を知ったのは、その後の話。

その後、自我が出来て、写真の彼への想いは募る。
初めて手を引かれて、あの家に行った。
腕を組んだ彼女と、その傍に付き従った彼。
写真で見るよりずっと素敵だと思った。
自分は二度目、彼に恋をした。
マスターは、彼女に言った。

『銀兎と、蒼梅の娘が生まれました』
『良ければ、ミルクちゃんのお嫁さんにどうでしょうか』
『クレオン種のメス。名前は、ヨン姫です』


「…あ」
ヨキは唐突に、彼女の問い掛けの意味を理解した。


主人はあの日、何の意図を持って、その写真を見せたのか…。
それはきっと、刷り込み目的だったのだろう。
主人は多分、叶えたかったのだ。銀色の兎、その血に纏わる悲願を。
まんまと自分は、切願へと変化した悲願を刷り込まれた。

そして彼女は、恐らくそれを知っていた。
『自分』が、『彼』を愛するという『悲願』は、『偶然』の上には成立しない。
主人が立てた、『偶然』を装った『演出』。
あの日自分は、とある龍の悲願を巡る物語の、『役者』になった。
彼女の目は、私に問いかける。
お前は未だ『役者』のままなのか。
それとも――。



「…………」
そこまで考え、笑みが零れた。
こういうのを何と言うのだろう。
飼い主バカ?ツンデレ?いや、違うか。しかし他に言葉が思い付かない。
非常に間違ったツンデレ、とでも言おうか。
何とも迷惑な傾向だ。
「…………ねぇ、ミルクさん」
「なんですか」
「お姫様は王子様を好きになるものなんですよ」
「…………?」
笑いながらの、ヨキの言葉。
ミルクはこくんと首を傾げる。
構わずヨキは続けた。
「悪い人から救い出されたお姫様は、初対面の王子様を好きになるんです。そういう風に出来ているから」
そうじゃないと、話が成り立たない。
子供にこそ予定調和は大切だ。穿った話は後でいい。
お姫様は王子様を好きになる。王子様はお姫様を好きになる。
理由は無い。そういう風に出来ているのだ。
ミルクは解らないながらも、首を傾げて笑った。
「そして、末長く幸せに暮らすんですね?」
「ええ、末長く幸せに暮らすんですよ」
ヨキは彼の手を握り返して微笑む。
こんなことを彼女に言っても、納得はしてもらえないだろうなぁと思いつつ。



最初がご都合主義でもいい。
そこに理由が無くてもいい。
ただ、お互いは愛し合う様に出来ている。
論理も姦計も存在しない。
そこにはただ、二人がいる。

世界が約束した調和の檻の中、二人は永遠に幸せになるのだ。



back