ある日の午後。
突然甘いものが食べたくなった。
「んー」
ごそごそと貯蔵庫の中を探ってみる。
女の多い家だし、チョコレートの一枚くらいはあるかと思ったのだが…見当たらない。
お菓子どころか砂糖壺まで空という有様だった。
「…買いに行くか」
僕は溜息を付き、コートを取りに部屋に戻った。
私
チーン、とレジがいい音を立てる。
「お会計250Gです」
ウェーブの掛かった髪を揺らし、女性が軽く頭を下げた。
風龍エゲリア…だったっけ。
よく見る顔ではあるのだが、僕個人はそこまで親しくない。
「領収書お願いします。『羽堂』で」
「少々お待ち下さい」
淡々とした口調で言い、傍の紙束から一枚抜き取る。
伏せられた長い睫毛を眺めているのも不躾な気がして、僕は視線を外し、店内を見渡す。
繁忙期を過ぎて閑散とした店内。
とはいえそろそろ三時だから、お茶目当ての客が入ってくるだろう。
「お待たせいました」
どうでもいい事を考えていた僕を、エゲリアの涼やかな声が現実に引き戻す。
両手で差し出された領収書を受け取って財布に入れた。
ぺこりと頭を下げる彼女。
例え商売用と解っていても、丁寧な仕草の女性っていいよなぁ…と、僕はそんなことを考えた。
こちらからも頭を下げ、出入り口に向かい…ノブに手を掛けようとした瞬間に向こうからドアが開いた。
少しびっくりする。
しかも入って来た顔が知った顔だと、尚更。
「あれ、フェレスじゃん」
「姉さん」
「おやつ?いいわねー」
「いや、買い出し。おやつも含まれてるけど」
因みにうちでは、おやつが茶菓子代として経費で落ちる。
年若い女性の経営だとこういう所が嬉しい。
トゥエルヴは、ふぅんと笑い、エゲリアに向かって手を振った。
「やっほー、エゲリア。今日も寒いわねー」
「…貴女はそんな恰好してるから寒いんだと思うの…」
「現マスターと同じ事言わないでよ。…それはそうと、またアレ、お願いね」
僅かな苦笑を浮かべるエゲリア。
はいはい、と言って店の奥に消えていった。
「姉さん、エゲリアさんと仲良かったの?」
「良かった…っていうか、よく顔合わせるからねぇ。自然と顔見知りにもなるわよ」
トゥエルヴは何ともない風にそう言う。
…見た目的に余り相性が良さそうには見えないが。
まぁ、僕には関係のない事だ。
店の奥から出てきたエゲリアが、紙袋をトゥエルヴに渡す。
トゥエルヴはその中から一つ、掌くらいの包みを取り出し、僕の方に投げて寄越した。
反射的にキャッチする。
「…ポプリ?」
「なんで食料品店でポプリ買うのよ。包みは似てるけどさ」
「コーヒーですよ。店で出してる奴」
二人して突っ込みを入れてくれる女性陣。
アフターサービスも万全だ。
言われてみればそれは、ほのかに芳ばしく感じられた。
頭がすっきりする様なそんな香り。
「コーヒー…」
「マスターが嫌いだから、家に置いてないっしょ?」
「ああ、うん」
羽堂はコーヒーが嫌いだ。
ミルクと砂糖をガバガバ(コーヒーの半分がミルクと砂糖で出来てる、レベルに)入れても駄目だったらしい。
これには本人が少し落ち込んでいた。
そんな事情は僕以上に知り尽くしているであろうトゥエルヴは、笑う。
「フェレスはコーヒー好きっしょ?」
「…うん」
「現マスターはコーヒー飲むんだけどね…」
トゥエルヴは、今でも羽堂をマスターと呼ぶ。
身体にしみついた癖を、今更落とす気も無いのだろう。
今でも気を抜いていれば、ふらりとうちに帰って来てしまうそうだ。
そしてイソレナさんを現マスターと呼ぶ。
予備知識が無いとごっちゃになってしまうので注意が必要。
「昔からここで注文してちょっと分けて貰ってたのよね」
「西の大陸から直輸入してるんですよ」
「これが好きなの。現マスターとは趣味が合わないのよん」
「そうなのかん」
適当に返す。
トゥエルヴは大笑いし、さっきと同じ包みをもう一つ取って投げた。
空いている方の手で受けとる。同じ包み…リボンの色だけが違う。
「メフィストに渡しといてよ。…多分、好きだと思うから」
「兄さん?」
「うん。フェレスからの方が素直に受け取ってくれるっしょ?」
「そうかな。姉さんから渡しても喜ぶと思うけど」
「そりゃ喜んではくれるだろうけどねー」
目が泳ぐ彼女。
僕は笑って両のポケットに一つずつ、包みを仕舞う。
「解った、渡しとく」
僕の言葉に、トゥエルヴは少しだけほっとした様に笑った。
帰り道、色んな事を考える。
僕とメフィストは兄弟だ。
血が繋がっているし、幼い頃からそれ相応の付き合いをしてきた。
トゥエルヴとアランは姉弟だ。
トゥエルヴにとっては『前の人生』の事があるから、少し不思議な感覚だろうとは思う。
僕にとってアランは、結果的に出来た弟だ。
仲はいいけど、やはり微妙な遠慮がある。
トゥエルヴにとってメフィストも、そんな位置の存在なのだろう。
彼女は見た目ほど、傍若無人では無い。
メティーと呼ばれた存在がかつて思った程、自分勝手でも無い。
僕とトゥエルヴは血が繋がっていないけれど、僕たちの関係を示す記号としては「姉弟」以上に相応しいものは無いだろう。
その言葉で済ませるには深すぎる様な気もするけれど。
僕の中には確かに彼女がいた痕跡が残っている。
彼女にも、僕の中にいた時の痕跡がある筈だ。
幽かだけれど、僕にはトゥエルヴとして生きた時の記憶がある。
曖昧で、漠然として…夢の中の出来事の様だけど。
彼女にもフェレスとして生きた時の記憶がある筈だ。
多分、僕にとってのトゥエルヴとしての記憶とよく似た曖昧さで。
だけど、漂う曖昧の中で輪郭を持つ、幾つかの記憶。
甘いのが好きで、けど苦いのも結構いける。辛いものは嫌い。
確認しなくても知っている嗜好。
トゥエルヴが僕に勧めてくれるコーヒーは、間違いなく美味しい。
確認しないと解らない嗜好。
メフィストがこのコーヒーを美味しいと思うかは解らない。
「私」の記憶、「僕」の記憶。
悲しい記憶、切ない記憶、あのひとのキヲク。
お互いそれについて言及はしない。
触れたくないし、触れられたくない。
「僕」と「私」の防衛線。
かつてひとつだった時に得た記憶は「夢の出来事」だと思い込みたい故の、防衛線。
無かった事にしましょうという無言の前提。
だから僕達は「姉弟」だ。
近いけれど異なる存在。
どれだけ近付いても重なる事は無い存在。
メフィストとアランは、僕たちにとっては隠れ蓑に近いのだと思う。
きょうだいという「設定」を、確かなものにする為の。
それを知ったら彼等は怒るだろうか。
それとも、許してくれるだろうか。
「知らせるつもりも無いけどね」
呟きは風に溶けて消える。
こちらを見付けたらしいメフィストが手を振っているのが見えた。
ポケットから手を出し、振り返す。
ほろ苦い香りが、鼻先をかすめた。