111番地の料理店に、新メニューが増えた。
その名は“ミスティープリン”。
何となく可愛らしい感じがする名称だが、その内容はジョークとしては面白く、商品としては危ういものだった。
ちなみにメニュー名に添えられたキャッチフレーズは“視界の悪い状態で調理してみた結果がこれだよ!”。
お客の好奇心と不安の天秤を不安の方に突き落としかねないような文句を考えた店長はその日、妙に上機嫌だった。
93.悪魔 −色々甘辛い話−
新メニュー、というポップな文字とその下の説明書きを読んでいたかなたは、ほんの少しだけ顔を引きつらせた。
「ほ、本当に始めちゃったんですか、アレを……」
「はい。実現可能な面白ネタは実行してみなくては、ですよ」
このミスティープリン、元々はかなたが某カフェにてプリンを作成した際に、間違えて同時進行で作られていた茶碗蒸しに生クリーム添えてしまったのを、たまたまその場にいた朱音が味見してしまい、その経験を昇華させた結果、このパーティグッツとしては受けそうな商品が生まれたのである。
ちなみにミスティーとは、つい数年前までは
「ちなみに類似品として“ミスティーたこ焼き”“ミスティートリュフ”、“ミスティーまんじゅう”がありますよ。試してみます?」
「い、いえ遠慮しておきます……ですが、何が入ってるのかは気になりますね〜」
「とりあえず食べられる物が入っています、とだけ言っておきます。実際自分で試食しましたから、食べられなくもないと思います」
「え……そうなんですか?」
「流石に自分が食べられないモノを提供するわけにはいきませんよー、お祭り事でもありませんし」
暗にお祭り事なら自分が食べられないモノも提供すると言っているのだが、かなたはそれに気付かなかった事にして(追及したところで楽しげ微笑みしか返ってこないだろうし)、普通のプリンとカステラを購入して帰っていった。
朱音はそれを笑顔で見送って、周りにお客の姿が見えないことを確認してから、ぐぅっと背伸びをした。
「はうー……今日は忙しかったですねー」
元々メニュー変更というものをあまりしない店なのだ。新メニューが出たという噂はそんなに大きくない朝町中にあっという間に伝わったらしく、普段は立ち寄らない人も冷やかし程度だが来店したので、その対応やらに追われていたのだった。何せ今回の新メニューは全て朱音一人で開発したので、他の店員ではちゃんと詳しい解説が出来ないのだ。その分色々な人と交流できたので、疲れも疲れと感じなかった。
それでも流石に人前でしゃんとしていられる程の元気は尽きかけいた。だが夕方になればそういう冷やかし客も減るし、傍でずっとレジを打っていたエゲリアが新メニュー内容を暗記したらしく(彼女曰く「何度も聞かされたら嫌でも覚えます」)、少し休憩に入っても彼女が代わりに解説できそうだったので、朱音は厨房の方に引っ込むことにした。
「さて、と……そろそろ取りかかりますかね」
どうやら、彼女はまだまだ休む気は無いらしい。
夕食の後、朱音は少し居間で待機するように龍達に言った後、使用した食器の山の代わりに、風呂敷をかけられた何かの山をお盆に載せて戻ってきた。一番好奇心が旺盛な秋桜が、それを目に入れた途端質問した。
「しゅー姉様、それ、なあに?」
「ふっふっふ。ちょっとめくってみるですよー」
ドキドキしながら風呂敷をめくった秋桜は、中身を見た途端、パッと目を輝かせた。
「おだんごだーっ!!」
「え、本当?」
「いっぱいある! どうしたのこれ!?」
「んふふー、どうしてでしょう?」
朱音の問いかけに頭を抱える子供二人を差し置いて、惣闇が一度窓越しの夜空で予想を確信にしてから答えた。彼ら闇龍にとってはかなり大きい存在である星は見事な真円を描いていたのだ。
「もしかして、お月見ですか?」
「はいですよー。折角の十五夜なんですし。今夜はずっと晴れてそうですしね」
彼女の言葉に、頭を抱えていた二人は曇らせていた顔を一気に輝かせた。
「本当!? しゅー姉様!!」
「やったー! 夜更かしして良いんだよね!?」
「ほどほどに、ですよー」
「ちょっと、マスター!?」
「たまには良いのではありませんか? 実際夜更かしというものを体験してみて、思いの外翌日身体が動かないという代償を味わえば夜更かしをしたいと言う回数も減るでしょうし」
むぅっとしているムンダーに対してにこやかにそう説得したのは朱音ではなくエゲリアだった。何故だか妙に棘のある言葉に、思わず朱音は渇いた笑いを浮かべてしまったが、ムンダーは更にむうっと頬を膨らませた。
「そんな風になったら可哀想だからダメだって言ってるんです!」
「痛い目を見ないと分からないと言うじゃないですか」
「そんな目に合わせなくても分かるかもしれないじゃないですかっ!」
「さぁどうだか」
炎龍と風龍による熱いバトルでも始まるのではないかと思われる程に緊迫した空気を、しかし朱音は気の抜けたような声で吹っ飛ばした。
「あのームンダー? その、ですね、別に子供抜きでやっても良かったんですけど、後でバレた時面倒じゃないですか? しかも事が全て終わった後ならともかく、最中に見つかった時の気まずさは大変なものだと思うのですが」
「う、うう……そうですけど……」
「ムンダー様、良いではありませんか。美しいものは大勢で見た方が、よりその美しさを見つけられるものですよ?」
お月見と聞いてから実は子供達と同じくらいウキウキしていた楓は、元から輝くように綺麗な顔を更に輝かせて言うので、ムンダーは返す言葉を見失ってしまった。何故だか彼女に説得されると反論しようという気が失せていく気がする。更に朱音は彼女の言葉に付け加えた。
「大体、あんな楽しみそうにしている顔を見て、やっぱり止めー、なんて言えませんよ」
「……まさかマスター、それを狙ったんじゃありませんよね?」
「私、そこまで深く考えられる人じゃないですよ?」
困ったように笑う朱音に、ムンダーはそれ以上強く言えなくなって、今夜だけですからねと子供達に念押しするだけに留める事にした。
ムンダーが突っかかるのを止めるや否や、エゲリアは小さめのランプを取りに倉庫の方へ去っていった(恐らくお月見中にも本を読みたくなったら読めるようにする為だろう)。
やれやれと苦笑しながら溜息を吐いていた朱音は、ふと視線を感じて辺りを見渡してみた。斜め後方、厨房の辺りから、ポコスが妙に真面目な顔をしてこちらをちらちらと垣間見ていた。
今度はこっちか、と若干うんざりしながらも、この後の楽しみの為に出来るだけ不安の芽は摘んでおこうと、朱音は彼の方に向かった。
「なんですかー? さっきから何度も見たりして」
「あ、いや、その……大丈夫か?」
「? 何がです?」
「体調。満月だろう?」
「あー……まあ、一日くらい平気ですよ。たまには私も月を楽しみたいですし」
「そうか」
無理はするなよ、とだけ言って、ポコスはお茶の入ったボトルを抱えて裏庭へ向かって行った。
「……無理をするのは私じゃなくて、腕輪とかの方なんですけどね」
サラシを多めに巻いているから平気だろうけれど。心の中でそう呟きながら、朱音はこっそりまた別の準備に取り掛かった。
思えば111番地の全員が一度に裏庭に集合した事など、何年も前にやった七夕の時くらいなのではなかろうか。その頃には居なかった秋桜達にとっては初めての事でもある。普段はイベント事は商売時か夕食時にしか体感しないこの家においては珍しいことである。
洗濯物を干す為に毎日ここを訪れているムンダーも、今夜は少し新鮮な気持ちでシートに腰を下ろしていた。一人で居る時よりもかなり狭く感じられるが、不快どころかむしろ穏やかな気持ちになっていた。
最後に閉店作業を終えてきた朱音がお茶を淹れる道具の入った箱を抱えてやってきて、そうしてお月見会が始まった。
朱音の、皆同時にお団子を食べよう、という提案で、(面倒そうな顔をしたエゲリアも含めて)一人一つずつ団子を手にして、
「いっせーのーせっ」
という朱音の声を合図に、全員団子を口を含んだ……はずだった。
実は口元に運んだだけだった朱音は、龍達が皆口に含んだ事を確認して、にこやかに告げた。
「ああ、ちなみに、三十個のお団子の中に一つだけ外れ団子を入れたので、当たったら教えて下さいねー」
その場にいた全員が団子を噴出さなかったのは限りなく奇跡に等しかった……わけではなく、むしろ当然の事だった。噴出したら最期、この赤毛の少女に真っ黒な頬笑みで静かに説教を喰らわせられる事を、彼らは十二分に想像できたからである。
龍達は全員、口に団子を含んだまま微動だにしなかった。朱音はそんな彼らをにやにや眺めながら、平然と団子を次々と食べていた。恐らく外れ団子と言っても、彼女にとっては食べられない事もない程度の味なのだろう。
だったら大丈夫かなと咀嚼し始める者も居れば、油断できないと身動き一つ取らないでいる者、飴玉のように口の中で転がし始めて様子を窺っている者も居て、さて誰か当たっただろうかと誰もが疑問に思っていた、ちょうどその時。
「うぐ……」
呻くと同時に口元に手を当てたのはポコスだった。それに全員が気付くより前に、彼らの女主人がポコスの口を、押さえている彼の手の上から更に押さえていたので、彼がどんな表情をしていたのかは朱音以外知る事が出来なかったが、きっと蒼褪めて強張った表情に違いないと推測する事はできた。
「ふふ、ダメですよー、ポコス……ちゃんと、全部、食べて?」
微笑みながら小首を傾げる朱音だが、薄暗い上に月明かりを背にしていたので、例え普通の団子だったとしても咀嚼できなくなりそうな迫力を伴っていた。その所為か、ポコスは若干震えながら彼女の手を何とか押しのける事しかできなかった。
ポコスの隣に座っていて、二人のやり取りを間近に見ていた灯磨は、普段なら絶対に目にする事の無いポコスの様子に、当人以上に青ざめながら朱音に問いかけた。ちなみに彼は咀嚼し始めた者の一人だったので、口の中はちゃんと空である。
「……あ、あの、主人さん、い、一体何を、入れたの?」
「それはですね……ポコスが呑み込む事が出来たら、教えてあげます」
「っ……」
この小悪魔め! と叫んでしまいたいポコスだったが、口の中、主に舌がおかしくなっていた為、言葉にできず心の中で罵る事しかできなかった。
少し喉に詰まらせかけながらも、どうにか意地で全部呑み込んだ彼は、今にも噛みつきそうな顔で彼女を睨んだ。
「……お前な……俺だったから良いようなものの……!」
「そんなにまずかったですか?」
「せめて、口から出させてくれれば良かったんだけどな……!」
「それって食べた事にならないと思うですよ?」
「……。……確認の為に聞くが……お前、これ何を混ぜたんだ? 角砂糖か? 餡子なのにジャリジャリしたぞ」
「それと塩を少々、です。私は普通に食べられましたけどね」
「嘘を言え!」
「即答ですか……」
本当なんですけど、と残念そうに溜息を吐いた朱音(かなりの甘党)だが、気を取り直したように茶碗にお湯を注いで(どうも予め茶碗に茶葉か何かを入れておいたらしい)、小さな竹製の泡立て器(所謂、茶筅)で軽く混ぜてから、彼に差し出した。
「はい、口直しにどうぞです」
「ありがとう……点てたって事は、抹茶か? それ」
「口直しですからね」
「そうか……って、家にあったっけ、茶筅とか」
「抹茶のお菓子を作るついでに茶道具一式を揃えた記憶があります。それに、点てるくらいなら誰にでも出来ますって」
ああなるほどと思って、少しはマシになるだろうとポコスは一気に抹茶を飲み干して、後悔した。にこにこと笑っている彼女が若干恨めしくなるほどにポコスの気落ちは激しいものだった。
「どうです? 打ち消しできましたか?」
「……。……朱音……」
「なんでしょう?」
「……そんなに、そんなに俺が嫌いか……?」
「えー、そんなでもないですよ?」
そう答えた朱音はにやりと半笑いを浮かべているものの目元は笑っていなかった。別に嫌いなのではなく、仕返しに何かされやしないかと警戒しているだけであるが、いたく傷付いたポコスは今にも泣きそうな恨めしそうな顔で彼女を軽く睨んだ。
「だったら何でこんな苦くした抹茶をよこすんだ、お前は」
「……ポコスさん、あの、抹茶って苦いものですよ?」
「それくらい知ってる。だがムンダー、だが苦さの中に感じる風味さえ無いほど濃く淹れた抹茶を飲むなんて俺はそんな流派知らないぞ」
平常時さえあまり良いとは言えない目つきが更に険悪になっているのを見て、一瞬背筋が冷えたムンダーは、眉根を寄せて朱音に問いかけた。
「……いったい、何杯入れたんですか、マスター?」
「ちょっとうろ覚えですが……茶杓三杯半」
「加減と言うものを知れ」
地を這う様な低い声にビクリと何人か肩を震わせたが、一番それを強く向けられたはずの朱音は平然と不思議そうに首を傾げていた。いつもなら彼女も少し驚くものだが今回は全然効き目が無いらしい。
「そんなに苦かったですか?」
「苦いというかそういう次元を超えて口の中が地獄だ」
「でも甘ったるさは飛んだでしょ?」
「甘ったるい方がまだマシだったぞ」
「んー、注文が多いですなー」
「注文とかそういう問題じゃなくてだな……!」
「ふふふ。本当に、貴方はからかいがいがあって楽しい、ですねぇ」
「お前なー……。……」
にんまりとしたチェシャ猫のような笑顔と、一瞬詰まったその口調、そして何よりも月明かりが照らした彼女の瞳の色に、ポコスの頭は一気に冷えていった。彼は目の前に居る相手にしか聞こえないくらい小さな声で威嚇する。
「……
「あら……気付かれないと思ったんだけど……分かりましたよ、過保護さん」
そう答える彼女の瞳は、月明かりが射しても紅く反射せずに吸い込んでいく闇色に近い色をしていた。いつ頃から入れ替わっていたのかは知らないが、気付いた以上ポコスは彼女に引っ込んでいて欲しかった。
「他のに説明するの面倒だろうが、俺自身お前が何かはなんとなくしか理解してないってのに」
「それもそうだねぇ。まあ楽しかったから良いや」
やれやれ、と彼女は目を閉じて、次に紅い瞳をのぞかせたと同時に眉根を寄せて考え込んでしまった。とりあえず戻ってきた事に安堵しながら、どうやってこの沈黙を誤魔化そうかとポコスは思案するが、それは朱音の方もも同じだったらしい。気まずそうに視線を彷徨わせながら彼女は口を開いた。
「あー……とりあえず、口直しで食べます? 今度は普通の、ふっつーのお団子ですよ」
「……喜んで頂きます」
もうなにも無いだろうからと許諾したポコスに、朱音はほっとしたように笑みを浮かべてお団子の山から一つ取って彼に差し出した。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがと――」
「と言うフェイクでした」
頂きますと言って朱音はそのまま自分の口にお団子を運んだ。誰もがぽかん、と静かにその様子を見ていた中、ぷつん、と何かが切れる音がした。
「……お、ま、え、はーっ! 期待させておいてそれか! 結局そうなのか!」
「あはははははははって
……入れ替わっても入れ替わらなくても小悪魔的なのは同じなんだなと、仕返しとして彼女の頬をふにふに摘まみながらポコスはぼんやりそう思った。
もっとも、子供の前で堂々といちゃつくなと呟いたムンダーが急須(お湯入り)を構えたのが見えたのですぐに手を離したのだが、いちゃついてませんときっぱり宣言されてしまったので、(精神的ダメージ的に)仕返しにはならなかった気もするが。
「……なんかさ、今日主人さん積極的と言うかテンション高いよね、何でだろう?」
「疲れてる、とかかな……?」
「満月だからじゃありませんか?」
「どうでも良いです。静かにはして欲しいですが」
「……まあ、楽しそうでございますから、良いのではありませんか?」
そう談笑している龍達によって、着実に普通の団子が減ってきているのだが、ポコスはまだそれに気付く様子は無かった。