その日、咲良はウエイトレスのアルバイトをしに、111番地を訪れていた。
その日はやけに黒い曇り空だった。
32.姫 −青年とその周りのお姫様方の話−
111番地に着く前に雨が降らなくて良かったと咲良が内心ホッとしている傍らで、彼女を迎え入れたウェイター姿のポコスは扉を閉めるついでに外を見上げて、その雲行きに顔をしかめた。
「……これは、来るな」
「え? 何が――」
咲良の言葉を遮るかのように、鋭く眩い光が戸口から室内に飛び込んできた。
「っ!?」
「噂をすれば――」
なんとやら。という彼の呟きは、耳を劈く様な雷鳴によってかき消された。その雷鳴に負けないぐらいの悲鳴と共に。
「いやああああああっ!」
「っ!? お、おい、咲良!?」
「やあああ!」
そういえば咲良は雷が大の苦手だということを思いだしたポコスは、慌ててドアを閉めるが、それでも雷鳴は響き渡る。動揺のあまり咲良はポコスに飛びつくが、それでも怖いのか彼女は叫び続ける。
「雷いやああああっ!!」
「耳元で怒鳴るな落ち着け!」
ポコスの声も聞こえていないらしく、雷鳴とほぼ同時に悲鳴を上げる彼女に、ポコスはどうしたものかと頭を抱えた。外に近いこの場所よりはもっと奥に移動したいポコスなのだが、前方からがっつり捕えられている状態ではとても動けない。
「(……太陽に知られたら殴られるかもな)」
まぁ事情話せばなんとかなるだろう。それだけ願ってポコスは後ろ手にエプロンの帯の結び目を解いて、そのまま反転させるかのように、がっちり張り付いている咲良の腰に結び直した。それから軽く屈んで、シャツを握り締めていた彼女の両手を一度外して今度は自分の首に回させて、そのままの姿勢で背中と膝裏に手を回して抱き上げた。エプロンを着けさせたのも、そのように抱きあげるには咲良のスカートはあまりに短めだったからである。

さてどこへ行けばいいものやらと、お姫様抱っこ状態のまま数秒思案して、そういえばこの家にも雷が苦手な龍が居た事を思い出して、とりあえずその様子を見に行く事にした。
この時間なら彼女は自分の部屋に居る筈だと階段を上り、すぐ目の前にある彼女の部屋の扉を咲良の背中に回していた手で開ける。
いつもは明かりが点いていてもどこか薄暗いその部屋の中に、目が眩みそうな程に明々と光の球が浮いていた。
何だこれ、と思ったポコスだが、もしかするとこの部屋に居る龍が呼び出したのかもしれない。最初は忘れていたが、よく考えれば彼女もまだ雷が苦手だったような気がする。ポコスはそう結論付けて、目的の姿を探しに本棚の間を覘いて回った。
部屋の一番奥の最後の本棚の裏に回って、ようやく彼は目的の姿を見つけられた。
そこには二人の少女がいた。
一人は本を片手に膝を抱えて床に座り込んでいた。濃緑の波打つ髪の下半分が床に付いてしまっているが、そこは全く気にしていないらしい。視線は真っ直ぐに本に注がれているので、ポコス達が来た事に気付いていないらしい。
もう一人の、一房だけ金色に染められた銀髪の少女は、本を見ている少女にぴったりくっついて、同じように膝を抱えていた。こちらは足音と同時にポコスの方を見上げて、恐怖に塗り潰されていた瞳をぱあっと輝かせていた。
「ポコス兄様! と……あれ、咲良、さん?」
「ここにいたのか。秋桜、入口の明かりもお前が点けたのか」
「う、うん。エゲリア姉様が、あまり暗くない方が良いって言うから……でもやっぱり怖いよおおぉ!!」
「解ったから泣くなって……おい、エゲリア。大丈夫か?」
「…………」
「……エゲリア?」
しばらく待ってみても返事が無い。そういえば、ポコス達が彼女達を見つけてから、エゲリアの手は全く動いていない。普段は二分も経たない内にページをめくってしまう彼女にしては珍しい事である。つまり……
「(相当余裕無いな、これは……)」
ポコスはひとまず咲良を床に降ろし(彼女はすぐさま隣の秋桜に縋りついて行ったが)、膝を付いて三人をさっと見渡して、とりあえずこれだけ人数がいれば大丈夫だろうと、彼は錯乱している二人にもちゃんと届くように少し声を大きくして言った。
「他の連中が大丈夫か気になるから見て回るけど、三人共ここで大人しくしてられるな?」
言い終わるか否や。
三本の手が逃すものかと言わんばかりに力強く彼のシャツやズボンの裾を掴みにかかっていた。やっぱり駄目かと彼は苦笑する。
というかさりげなくちゃんと聞いてたのか。と、緑色の袖口から覗く真っ白い手の甲を見てポコスは肩を竦めた。
「解った解った。一緒にいてやるからとりあえず手を離せ。身動き取れないから」
怯えながらもどこか安心した様子を見せる三人の頭をそれぞれ軽く撫でて、まぁ仕方が無いかとポコスは三人と同じように床に座って、雷が鳴り終えるのを待つ事にした。
そして、時たま窓からではなく、天井の方から煌く光には気付かないフリをする事にした。
* * *
「(……一瞬目が合ったと思ったけど気のせいでしょう、なんて思った私が甘かった……)」
朱色の髪の少女は、目の前の腰に届く長髪の男が放つ何とも冷めた視線を受け流しながら、内心少々焦っていた。
茶色の髪を項の少し下辺りで一つに纏めているその男は、呆れたように彼女に言った。
「お前さ、楽しいか? 怯えてる女の子の写真撮って楽しいか?」
「正直、可愛すぎて心臓止まりそうでした」
「自重しろ」
「ごめんなさい。泣き顔最高です」
たとえ反省はすれども自重する気は無いらしい。むしろ、止めようにもそれができない、のかもしれないが。
それを悟ったらしい男はがっくりと肩を落として溜息を吐いた。彼はその溜息に乗せる様に呟いた。
「大体な……あの場にいるくらいなら下の連中の様子見るくらいするとかすれば良いだろうが」
「そう言われましても……ムンダーと惣闇は雷なんて平気ですし。灯磨は秋桜に情けない所を見せたくないからと頑張って我慢してたので、そこは男の子の意地を尊重してあげるべきかと思いましたし。楓は……嬉々として稲妻を見つめていましたし」
「は……あぁ、美しいってか」
「花火を観る感じなのかもです」
刹那の輝きである事に変わりは無いですし。と少女は憶測している。が、敢えて言わずとも彼なら多分解っているだろうから口には出さなかった。正直彼女にはあまり雑談をしている余裕が無かった。目の前にいる彼の所為で。
その彼は、本気で怒っている訳ではないみたいだけれど、それでも多少は不機嫌そうである。実際一人で少々パニックになっている三人の対応をするのは大変だっただろう。
「(そのあたふたしてる様子も良かったんですけどねぇ……)」
彼としては援護が欲しかったのだろうかと今更ながら改めて彼女は少し反省するのだが、それがあまり顔に出ないので彼には飄々としているようにしか見えなかったりする。彼はすぅっと目を細めて口を開いた。
「いずれにせよ、本気で怯えてる所を面白がるのはどうかと思うぞ」
「面白がっている訳ではないんですけどね……だって可愛いじゃないですか、泣き顔」
「まぁ……確かに泣き顔は良いものだけどな」
「……自分も言っておいて何だとは思いますが、貴方が言うと何か怖いです」
「そうだろうな。良い勘してると思うぞ、朱音」
彼がそう言って朱音の顔に両手を添えて、ニヤリと口元を釣り上げたのと同時に、普段は優しいがたまにおかしくなってきたこの従者を今この場でどうやって沈めようかと、思考回路がショートしそうな速さで考え始める朱音だった。
その後、朱音が涙目を浮かべる事態になったかどうかは当人達のみぞ知る。
「(……どんなに可愛いお姫様だからって、何でもかんでも甘やかすのは問題だろう……?)」