金メッシュのおさげを揺らして首を傾げた少女は問いかけた。
「メーお兄さんには、磨智お姉さんに、指輪、あげますよね……?」
はたしてこういう状況でする質問なのだろうか。地に埋められた銀髪の青年はそう思う前に、内容に驚いた。
2.指輪 ― ある光龍達の一時 ―
時は少しばかり遡る。
「すみませんすみませんすみません……っ!」
地面の上に座り込んだ少女は、自分と相手がぶつかった部分を撫でながらひたすら謝罪を述べていた。
それを見上げていた青年は、こめかみを引きつらせるのを頑張って抑えようとしていた。全身が(と言っても頭しか見えないが)ぷるぷる震えているのは恥ずかしさ故か苛立ち故か。
「大丈夫だ、大丈夫。全然、ぜんっぜん怒ってないから……だから頭撫でるのは止めろ!」
「ひいやああっ! ごめんなさいごめんなさいぃ……まさかこんな所にヒトの頭があるなんて思わなかったんですああ本当にごめんなさい頭のネジ変になったらごめんなさいてっぺんハゲたらごめんなさい……」
「撫でるなっての誰がハゲるか! ったく。まぁ、普通予想しないだろうし……と言うか、誰かが埋まってることそれ自体、そうそう無いだろう、あって欲しくないし」
常日頃から、地面に頭が転がっている(正確には、体は埋められていて頭部だけ地表に出ている)なんて想定して歩いている人やドラゴンは、たとえ死神やデーモンとばったり遭遇する事もある朝色の町の中と言えど皆無だろう。
ちなみにここは126番地かなた宅の裏である。普段は住人以外通らなそうな場所に、何故111番地の光龍シルバニオン(名前は秋桜)がいるのかというと、同じ家の風龍エゲリア(名前はまだ無い)のおやつを奪われた怒りから逃れる為に、色々な裏道を使おうとしたからだった。
そして、逃げる事に夢中で足元をよく見ていなかった彼女は、126番地の光龍メイベルドー(名前はメー)の頭に見事蹴躓いたのだった。
「で、では、どうしてメー君お兄さんは埋まってるのですか?」
「あー……ちょっと、な……」
「……あ。磨智お姉さんですか?」
メーが磨智の地雷を踏むと埋められる。そういう話を、秋桜は女主人の朱音や、兄として慕うポコスから聞いていた。
秋桜の言葉に、メーはひくっと口元を引きつらせる。
「お前……知ってるなら聞くなよ」
「あああ、そ、その、本当にメー君お兄さんが埋められているのは初めて見たものですから」
できれば見られたくもなかったし、ましてや踏まれたくもなかったメーである。
頭部だけ残して、他は綺麗に埋められたまま深く溜息を吐いたメーを、秋桜はじーっと見てから言った。
「ふむー……これも愛情表現、なのですよ。きっと。私のお母さんも、いつも照れ隠しで殴ったり蹴ったりしてたそうですし」
「……それ、ちょっと、DV入ってるんじゃ……?」
「? でぃー、ぶい?」
「いや……知らないなら知らないで、それで良いと思うけど……」
家庭内暴力だなんて、知らないまま(知ったとしても体験しないまま)生きている方が良いだろうから。
はぁ、と溜息を吐いたメーを見ていた秋桜は、あ、と何かを思い出したように声を上げた。
「ところでメー君お兄さん」
「なに……って、とりあえず“メー君”で切るか、“君”は取って後の言葉を続けるか、どっちかにしてくれないか?」
「え? あ、はい、じゃあそうします。改めて、メーお兄さんに質問なのですが――」
メーの前でちょこん、と正座をした秋桜は口を開き、そして冒頭に至る。
メーはしばし固まって、ぼんっと顔を沸騰させた。まるで真っ赤な林檎、あるいは熟れたトマトである。
「な、なななになになにをいきなり!?」
「あげます、よね? ……磨智お姉さん、メーお兄さんの恋人さんですよね?」
じっとりと、いきなり真剣な半眼になった抹茶色の瞳に、思わずメーはぞおっとした。おまけに周りの土の温度も心なしか冷えてきている様な気がしてならない。別に脅されなくても肯定するのにと思いながら、それでも照れくさいような、恥ずかしいような、寒くて口が上手く動かないような、とにかく何故か震える口を何とか動かしてメーは言った。
「……そ、そう、だ……けど……」
「けど? 何かあげたくない理由でもあるんですか?」
「そぉじゃなくてだな……」
「あ、あげるんですね? 良かったですー、私不安だったんですよ、私のお父さんお母さんだけ変なんじゃないかって」
「はっ?」
すっごい変だったぞ、お前の両親。
その言葉が口から出てこなかったのは単に驚きすぎただけであった。
「私のお父さんは、付き合った記念に指輪を買ったんだそうです。お小遣い全部使って頑張ってペアリングにしたんだそうですよ。で、お母さんはしょうがないひとね、って笑ってはめてくれたんですって!」
「……ほおー……」
かなり、美化されてるんだろうな。メーはそう思って頭の中を廻る妙な想像(ウフフアハハなやたら周りがキラキラしている恒磋と昊陽)をスルーする事に成功した。
実際、秋桜の認識と事実は確かに異なっていた。「しょうがないひとね」では無く「バカ通り越して頭の中お花畑じゃないの、あんた……」である。つまりツンデレ分が足りなかったのだが、そこは娘には夢を持たせてあげようという秋桜の女主人達の配慮だろう。あの夫婦はうっかりすると唯の漫才コンビになりかねなかったから。夫婦漫才ですらないのがミソである。
「それを知ってるのに……ポコス兄様ったら! いつかしゅー姉様と付き合うのに成功しても指輪は贈らないかも、って言ったんですよ!! 信じられないです! お父さんよりカッコ悪いって言われちゃうですよ!」
「いや、誰も言わないって……って言うか、それは各々の自由だろう……」
「どうしてって聞いたら、『あいつは指輪つけて調理したら、絶対料理の中に落としそうだから』ですよ!? ま、まぁ、ちょっとはありえそうですけど、夢が無いです! 本当にしゅー姉様に恋してるのかわからなくなるですよ!」
「あー分かった分かった落ち着け。そんなに怒鳴るなよ、耳塞げないから辛いんだけど」
「怒鳴ってるんじゃないです。意気込んでるんです」
ぷう、と膨れる秋桜。よく膨れているので、まるで餅だな、とメーは思った。多分両手が使えたら少しみょーんとひっぱってみたかもしれない。そんな光景を磨智に見られたら今度は確実に頭まで埋められるだろうに、メーはあまり深く考えていなかった。現実には実行できない事だったからだろう。
「それで、ちゃんと恋人さんのいるメーお兄さんはどうなんだろうと思って聞いてみたんです。こうしてお会いできたのは偶然ですけど」
「……べ、別に俺じゃなくたって良いだろう……なんで俺に聞くの?」
「そ、れは……に、似てたからです。メーお兄さんと、お父さんが」
メーの頭の中に「あっはっははは照れ屋さんですねー待って下さいタラニス嬢ーっ!」と声を大にして近所を駈け廻る銀髪金眼のマクグレーネが現れた。頭の中に消しゴムがあったら、ゴシゴシ何の痕跡も残らないほどの強さで消したくなるほど腹の立つ幸せそうな笑顔で。
メーは眉間に皺を寄せながら思った。俺はあんなうかれぽんちじゃねえ、と。
「……誰が誰と似てるって?」
「メーお兄さんとお父さんです。髪の色とか目の色とか、結構よく似てると思うのですが」
「中身は全く欠片も似てないだろうが」
「ご、ごめんなさぃ……」
一気に涙目になってがたがた震えて始めた秋桜を見て、メーは我に返った。このまま彼女が泣いてしまったら、きっとマスターや他のドラゴン達に冷たい目で見られるだろう。女の子を泣かせてはいけない。ダメ、ゼッタイ。
「まあ……。その、なんだ。似てるかどうかはともかく……その、お、俺は……あー……」
「……やっぱり、あげないんですか?」
「い、いや……」
「んー、別に高くなくても良いと思うのですよ。えーと、シロツメクサとか、レンゲの指輪だって、心が篭ってればOKなんじゃないかと思うのですよ」
「……まあ、それは俺も思うけど……」
渡した当人が忘れていても、メーが渡した花束をずっと持っていた彼女の事である。色々言われるかもしれないがずっと持っていてくれそうな気はする。
だが、流石にもう恋人同士になってそれはないんじゃない? と多方面から言われそうで、その場面を想像するだけで少し気が重くなるメーはその選択肢は選べなかった。実際、メー自身も選ぶ気も無かった。ただ、正直に言うには恥ずかしい。
う〜う〜と呻いているメーをじっと見ていた秋桜は、ぽん、と手を鳴らした。
「はずかしいのですか」
「う、ううううるさいな!」
「あとは……あ、指のサイズがわからないとかですか?」
「っ……」
図星だったのか、ビクリと体を震わして、顔を固くして黙りこくってしまったメーに、秋桜はころころ笑って言った。
「大丈夫ですよー。私のお母さん、お父さんから指輪もらった時、実はちょっとだけ小さくて、くいくいっと引っ張って伸ばしてはめたそうですし」
龍ってそこら辺便利って言うか凄いですよねー。とは彼女の女主人の呟きである。いつものニコニコ笑顔ではなく困ったような引きつったような笑顔だったので、秋桜の頭にしっかりインプットされてしまった台詞だった。
メーは秋桜の言葉に眉根を寄せて、自信無さ気に呟いた。
「いや、それ多分磨智にはできない気が……って言うか、お前のお父さんなら間違えないよーな気もするんだが……」
「んーと、フィルター効果? か何かで、実際より細く見えたんじゃないかってポコス兄様は言ってましたですよ。
ちなみに、もしお父さんが知ったら、えーと、切腹? ハラキリ? しかねないから、みんな秘密にしてたそうです」
「ああー……成程」
色んな意味でメーは納得した。秋桜は、そこはどうでもいいのですよ、と地面をぺし、と叩いた。
「そ・れ・で。結局メーお兄さんはどうするんですか?」
「ど、どうって……」
「あげるのですか? あげないのですか? イエスオアノーですよ。」
「そ……れは……」
メーはハッとした。そして呟いた。
「磨智にも黙ってるのになんでお前に教えなきゃいけないんだ……?」
しばらく固まっていた秋桜は、ゆるゆると、驚いたように目を見開いた。そして、
「……おおっ!」
「は?」
ぽん、と手を打った。彼女の目はきらきら輝き始めていた。
突然の変化についていけなかったメーは呆けているが、彼女は全く気にしなかった。
「だったら、それもそうですねー。ヤボでしたなのですー。すみませんですー」
にこにこ、むしろにまにまと笑う秋桜に、メーは怪訝そうな視線を送る。
「……なんだお前。いきなり変な顔して……」
「何でもないですよ〜安心しただけです〜」
「は? 安心って……」
秋桜は、膝を抱えるように座り直して、両親によく似た悪戯心を秘めた瞳で笑って言った。
「メーお兄さんは夢のあるヒトで良かったー。って事ですよー」
「はぁ……?」
「ではではお邪魔しましたっ!」
とおっ! と大きく跳んで帰っていった秋桜の耳には、ちょっと待て! というメーの大きな声は届かなかった。
「……なんだってんだ……?」
メーが、先程の自分の呟きが秋桜の問いに対する肯定だという事に気付くのに、あと数十秒。