その木を見つけたのは本当に偶然だった。
周囲はもう葉が色濃く茂っているというのに、一本だけ満開の桜の木。季節外れという言葉では済まされない光景。
散りもせず、雨に濡れることもなく、風に揺れもしないその桜は、時を止めたかのようにずっと咲き続けていた。



94 啓示



時を止めた桜への干渉は一切出来なかった。桜自身が拒絶したのだ。
だからと言ってこのままにしておくわけにもいかないが、けれども如何すれば良いのか皆目見当もつかない。
途方に暮れている所に通りかかったのが小町嬢だった。通りかかった、というより、彼女の目的がこの木だったのだが。
「大宇宙の意思は、宴会をしなさい、と仰せです」
真顔でそう言う小町嬢。
ああ、これが噂の大宇宙の意思か。そんな事を考えながら念のために聞き返す。
「宴会……ある程度まとまった人数でやるどんちゃん騒ぎであるあの宴会ですか?」
「はい。その宴会です」
「桜を何とかするために?」
「はい」
「何とかするための手段が宴会……」
「そう大宇宙の意思が仰っています」
淡々、と真顔で小町嬢が言う。
「此方の歪みは以前より起きていましたが、当初大宇宙の意思は、まだ機ではない、と仰せでした。
 ですが、今朝大宇宙の意思が、機は熟した、と仰せでした」
「そうしたら私が居たわけですね」
「はい」
こくり、と真面目な顔で頷く小町嬢。
しばし考えるが他に良い案も浮かばない。今回の件は自分の手札では何とも出来ない事柄だ。ならば、どんな案でも良いから実行に移した方が良い。
「他の案も浮かびませんし、とりあえずやってみましょうか、宴会。
 ただし、本来の目的は伏せて。日程調整と人員収集は今夜カフェで私がやりますが、宜しいでしょうか」
「お願い致します」
大宇宙の意思だの空間の歪みだの結界の綻びだの言うと色々とこじれそうなので、季節外れの花見という事で声をかけたい。その方が人を集めやすいだろう。
そう思い提案すれば、小町嬢は首を縦に振ってくれた。
挨拶をして去っていく小町嬢の後姿を見送りながら、ふと脳裏を一つの考えがよぎった。
……この提案を私から出させるために、大宇宙の意思は小町嬢に今日啓示を示していたのだろうか。
その考えに、小さくため息をつく。たとえそうだとしても害はないのだから問題はない。
そう結論をつけて思考を切り替える。宴会に呼ぶ人員を脳内でリストアップしながら129番地に戻るべく歩みを進めた。



小町嬢と会話をした翌日、その宴会の日程は組まれることになった。
こうもタイミングが重なると、大宇宙の意思がどのような存在なのかが非常に気になる。それなりに偉いカミサマとか精霊か何かなのだろうか。まあ、人外なのは間違いないのだろう。
散らぬ桜の下での宴会。幸いな事にお祭り好きなカフェのメンバーはほぼ集まった。
最初はそちらに一緒に居たのだが、散歩ついでにそこから少し離れた所に移動する。何となく一人になりたくなったのだ。
木に背を預け、咲き誇る桜を見上げる。散ることのない桜は美しいが、酷く違和感を感じた。
持ってきた小さめの酒瓶から手酌で杯に酒をなみなみと注ぎ、一口含む。ライスワイン独特の香りとほのかな甘みが口に広がった。
「……真夜姉、何現実逃避してるの?」
横から声をかけられて視線を向ける。そこには見慣れた地龍の姿。
「おー引きこもりな地龍のアレス君、よく来てくれたね」
「引きこもりって……留守を預かっているって言ってよ〜」
冗談交じりにそう言えば、アレスも慣れたもので笑いながら言い返してくる。
地龍アトレウス種のアレス。アランと同時期に生まれたものの、出番の少なさが災いして影は薄い。
「現実逃避しているわけじゃないんだけどさ……なんかあそこに居たら主目的忘れそうで」
「あー……確かに」
視線を桜から外し、周囲を目で示す。
離れたところで太陽さんに絡む咲良嬢がいる。真っ赤な顔&潤んだ瞳は反則だと思う。太陽さん頑張れ。
また少し離れたところでは寝てしまった羽堂様がイソレナ様に寄りかかって寝ている。らぶらぶなのは良い事だ。
少し離れたところではかたつむりに話しかけるメーさんがいる。内容がなんだかのろけに聞こえるけど気にしないでおこう。
上空では楽しそうに笑いながら飛んでいる龍が何匹もいる。楽しそうなのは良い事だ。そういうことにしておこう。
他のマスター&ミストレスは……なんか戦闘して盛り上がっている人も居るけどもうそういう宴会芸なんだということで割り切る。
また少し離れたところではダクデビ4兄弟が飲んでいる。
正確には、変わらぬペースで飲むフェレスさんに、すこし眠そうなアラン、完全につぶれているエルヴ嬢とメフィストさん、という状況だが。
周囲に転がる酒瓶の量が半端じゃない。惚れ惚れするほどの量だ。あの細い体の何処にあんなにも入るのかが凄く気になる。
また少し離れたところでは風矢さんと小町嬢が並んで桜を見ている。周囲の混沌っぷりに干渉されることなく、爽やかな空気を纏っている。流石だ。
「……で、何とかなりそうなの?」
「まだ何とも」
正直そう返すしかない。大宇宙の意思は明瞭な道筋を示しているわけではない。
大宇宙の意思が見ているヴィジョンが「歪みの修正」と仮定して、そこに至る「工程」も見えず現在の進捗状況が何%なのかも分からないのだ。
「ま、何とかなることを祈るしかないでしょう」
「真夜姉って結構適当だよね」
「まあね。あまり考えすぎは体に良くないし。
 で、飲み物の追加持ってきてくれたの?」
アレスを呼んだ本来の理由は、飲み物の補充の為だ。飲み物がハイペースで消費される光景はなかなかに目に鮮やかだった。
……パッチー様がコーラを樽で一気飲みを始めた時には流石に驚いた。
「ある程度はね。こっちにも何本か置いてく?」
「うん。よろしく」
アレスは持っていた鞄から何本か酒瓶を取り出して適当に置く。手にとってラベルを眺めると、「秘めごと」とか「くどき上手」とか「左利き」とか書いてあった。
……前にネーミングセンスに受けて買ったやつだな、これ。
「補充ついでに向こうの空瓶とかもある程度持って帰っておくから、ほどほどにね」
「ん、ありがと。よろしくね〜」
空瓶が転がっている方へと歩いていくアレスを手を振って見送り、杯に残っていた酒を一息に飲み干す。ふう、とため息が口からこぼれた。
そのまま暫くぼーっとしていると、傍の場の空気が僅かに変化を始めた。
「始まった……?」
慌てて膝を折り居住まいを正し、桜へと意識を向ける。
風に舞う事のなかった桜が、花弁をほんの少し落とし始めた。
注意深く視線を巡らす。すると、細身で長身の青年がいつの間にか少し離れた所に立っていた。
淡い桜色の短い髪に白い肌、萌葱の着物に茶の袴。
整った顔立ちの青年は、皆の居る方をじっと見詰める。
薄い唇が開かれ、其処から声が零れた。
「リア充はz」
みなまで言わせず近くに生えていた毒キノコを引きちぎり全力でぶつける。
キノコは見事青年にぶつかり、何事かと青年は此方を見る。
「桜色のおにいさん」
ひらひら、と手を振り、営業スマイルでそう声をかける。そちらに向かって今度は木製の杯を投げた。
ゆるい放物線を描き、青年の手に収まる杯。
「一緒に飲みませんか? 一人酒にも飽きてきたので」
「他の方と飲めば良いじゃないか?」
「馬に蹴られるのも避けたいので」
笑顔でそう言えば、青年は暫く考えた後に此方へと歩いてくる。
「ならば、その言葉に甘えようか」
青年はすっと私の向かいに腰をかける。私は笑顔のまま静かに彼の手の杯に酒を注いだ。


「これでも喧噪がそれなりに好きでね。時折こっそり混じっていた」
「そうなのですか」
「ただ、最近歳のせいかこういうのはずっとご無沙汰でね。
 ここに来るのは二人きりになりたいバカップルばかりだ」
「……そうなのですか」
「良く思ったものだよ。バカップル爆発しろ、と」
「思うな」
「ははは」
思わず口調の崩れた突っ込みを爽やか過ぎる笑顔でスルーする青年。でも目は笑っていない。
……この性格の歪みがこの場の歪みに繋がったんじゃなかろうか。
そう思ったが、顔には出さないように細心の注意を払い青年へと酌をする。
この青年が桜の化身なのは間違いないだろう。ならばこの青年がこの場の歪みの鍵となっているであろうことが予測される。
とりあえず裏を取るためにも、適当な話を振った方がいいだろう。
「おにいさんは……」
私の言葉を遮る様に、青年が口を開く。
「おにいさん、では寂しいな」
悪戯っぽい微笑みを浮かべてそんな事を言い出す。
「では、御名をお聞きしてもよろしいのですか?」
「さぐら。稲に座るで稲座。自分でつけた」
「結構そのままの名前なのですね」
桜の語源は諸説あるが、一説に春の里にやってくるの神が憑依するくらだからというのがあるのだ。
「はっきりと物を言うね」
「お気に障りましたか? 稲座様」
「いいや、却って良い」
薄く微笑んで返せば、稲座は楽しそうな顔で此方を見る。
「お姉さんは?」
「真夜、とお呼びください」
「まや、ね。分った」
に、と笑って酒のまだ入っている杯を脇に置き稲座が此方に顔を近づける。
「真夜」
静かな、けして大きな声で呼ばれた訳でもないのに耳に凛と響く声。思わず背筋を伸ばした。
「はい、何でしょうか」
「膝枕してくれ」
手に持っていた酒瓶をうっかり取り落としそうになる。
……いきなり何を言い出すんんだここいつは。
「そんな、思い切りあきれた顔しなくても良いじゃないか」
心の声が顔に出たのか、拗ねるようにそう言う稲座。
「呆れられないとでもお思いだったのですか?」
「膝枕は男の浪漫なんだよ」
「浪漫は分らなくもないですが、唐突に何を仰るのですか」
「いやあ、向こう見たら羨ましくなってね」
稲座が視線で示す先を見ると、其処には小町嬢が風矢さんに膝枕をしていた。
風矢さんがなんだかぎこちない様子なので、もしかしたら大宇宙の意思が小町嬢に指示をしたのかもしれない。
ふと小町嬢と目があった。可愛らしく小首を傾げられた。
なんとなくばつが悪くなり稲座に視線を戻す。彼はと言えばじーっと期待に満ちた眼差しで此方を見る。
「……仕方ないですね」
ふ、とため息をついてそう答えれば、稲座は満足そうな笑みを浮かべて人の膝の上に頭を乗せてくる。
「首痛くなっても知りませんよ?」
「構わないよ……どうせ短い間だけだ」
横向きに横たわる稲座。なんとなく手持ち沙汰なのでそっとその頭を撫でてみる。
特に拒絶されなかったのでそのまま撫で続ける。
皆の居るところから大きな笑い声が上がった。なにかあったらしく大きく盛り上がっているようだった。
ふふふ、と稲座が笑う。
「……どうしてももう一度聞きたかったんだ。煩くも愛おしい、このざわめきを」
もう自分では動けなくなっていたけれど、どうしても。
そう告げる横顔は穏やかだった。
「だから無理矢理時を止めた。そう長くは持たないことを分っていてもだ」
「そうでしたか……」
指先が震えそうになるのを堪え、平静を装い稲座の頭を撫で続ける。
稲座は彼の頭を撫でていた私の手を取り、仰向けになった。
「こうしてそれなりにうまい酒も飲めたし、鬱陶しかったバカップルの気分も味わえた。
 ……良い気分だ」
そう言うと彼の逆の手が伸びてきて、私の髪をひと房ゆるく引いた。
「最後にもう一つだけ頼みがある」
「はい」
「介錯してくれ」
「……かしこまりました」
私の返事に「ありがとう」と言って髪から手を離すと、稲座はこちらの手を握ったまま静かに目を閉じる。
どんどんと透明に近づく姿を見つめ、一言呟いた。
「『風よ、舞え』」
言葉に応じた風精達が局地的に季節外れの強風を吹かせる。ざぁっと音を立てて桜の花びらが天へと舞い散る。
風に巻き上げられた花びらが、はらりはらりと真上から降り注ぎ、静かに膝の上に降り注いだ。
ふと横を見ると、先程稲座が座っていた所にある杯が目に映った。
花弁が数枚入ったそれを手に取り一息に飲み干す。次いで自分の杯も一息に干す。
ざっと髪を手櫛で梳き、立ち上がり服を軽く叩いて花弁を落とす。杯2つと空になった瓶を持つ。
ふと思って小町嬢へと視線を向ける。風矢さんに膝枕をしたまま、真っ直ぐな眼差しで桜の木を見ていた。
「………さて、そろそろ帰る準備しないと」
自分に言い聞かせるように呟き、皆の所へと向かった。



二日後。
小町嬢に声をかけられ、共に桜の木があった場所に足を運ぶ。
桜の木はすっかりと枯れ、朽ちていた。
そっと木肌に触れれば、ぼろりと皮が崩れ落ちた。
「一昨日が嘘みたいですよね、本当に」
「この姿が、本来この木のあるべき姿なのです」
静かな声で小町嬢が告げる。
「此方の歪みは、修復が完了致しました。
 この後どうするかは貴女が決めると良い、と大宇宙の意思は仰せです」
その言葉に暫く考える。
「……それでは、このままで。
 そのうち倒れ、大地にかえり他の植物の滋養になるでしょうから」
切り倒す、という選択も浮かんだが、そのまま静かに朽ちていくのを望む。
人がそれなりに入る所なら危険なので倒した方が良いかもしれないが、ここなら問題はないだろう。
しばし桜の木を見上げてから、改めて小町嬢に向き直る。
「小町嬢」
「はい。何でしょうか」
「ありがとうございました」
小町嬢へ静かに深く頭を下げる。正確には、彼女と、彼女に啓示を示した「大宇宙の意思」への敬意をこめて。
大宇宙の意思からの啓示を伝える巫女姫は、微かに微笑んで言った。

「全ては大宇宙の意志の思し召しです」



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