某月某日。
それなりに攻撃力高めの鎧が出来たので、天気も良いからと散歩がてらに68番地に来たのだが。
「……お出かけ中かな?」
見える範囲で窓が全部閉まり施錠され、玄関の呼び鈴を鳴らしても反応が無い。
なにかどこかでイベントとかあっただろうか。最近めっきり引きこもる事が増えてきたので外部の情報に疎くなっていて仕方がない。
居ないのならば、と手持ちのメモに「攻撃力10以上の鎧出来ました」と書いて郵便受けに入れておく。こうしておけば後で連絡が来るだろう。
ふ、と一つ息をついて羽堂家の玄関から離れる。
さて、そのまま家にとんぼ返りするのも悪くは無いのだけれど、折角なのだから何処かに寄って行こうか。
朱音様の所でお茶して、皆にはお土産にカステラ何本か買って行こうか。ああそうだ、紅茶が切れかけていたから何かおススメないかも聞いてみよう。
ついでにカフェ用のお茶も切れそうだったから注文しておこうか。朱音様の好みなら外れは殆どないだろうし。
そんな事をぼんやりと考えながら歩いていたら前方に見慣れた後姿が見えた。綺麗な青の髪にベージュの服。今日は帽子をかぶっていないんだなぁと思いながら彼女の名を呼んだ。
「かなた様」
こちらの声に反応して立ち止まった彼女が振り返る。笑顔で手を振れば、若草色の目が笑みの形に細められた。
「あ、真夜さん。こんにちわ」
「こんにちわです〜」
挨拶をしながら彼女の傍へと小走りに近寄る。
つん、とつま先に引っかかる感触がしてバランスが崩れた。
「真夜さん!?」
かなた様の声を聞きながらべちん、と派手に転んだ。掌と膝が痛い。
彼女の方に注意を払っていて足元がおろそかになったってどれだけ間抜けなんだろう。
転んだ痛みより精神的なダメージの大きさに凹みつつゆっくりと起き上がる。
かなた様が心配そうに駆けよってきてくれた。優しいなぁ。
「大丈夫ですか?」
「またやっちゃいました。お恥ずかしい」
手をパンパンと叩いて砂を払い、スカートについた砂埃も払う。膝に触った時に地味に痛かったので多分すりむいているだろう。後で水で洗って砂流さないとなぁ。
そんな事を考えていると、全身を冷たい感触が包んだ。
「へ?」
状況を把握できないで硬直していると、次に襲いかかってきたのは「息苦しさ」だった。
「か、は……」
冷たい、苦しい。鼻の奥がツンと痛む。
呼吸を阻害する要因は無いはずなのに呼吸が上手く出来ない。
耐えきれずに再度膝をつく。すりむいた膝が痛むがそれどころじゃない。
この感覚は何かに似ている。昔どこかで感じた様な感覚だ。
必死に記憶を手繰ろうとするが、苦しさと痛みが邪魔をして思いだせない。なんだっけ、と服の胸元を握りしめながら現実逃避気味に思考を巡らせていると、ふわり、と背中に暖かい感触を感じた。
「真夜さん!? 一体どうしたんですか!? 大丈夫ですか?」
顔を上げると、すぐ傍にかなた様が心配そうな表情でしゃがんでいた。背中に感じた暖かさは彼女の手だったようで、ゆっくりと背をさすってくれる。
「だいじょ、ぶで……」
そう答えている途中で急に一気に肺に酸素が流れ込んできた。俯いてげほげほ、と噎せこむ。
「……ああ、吃驚した」
「私もびっくりしました。何があったのですか?」
「私にも一体何がなんやら。急に皮膚は冷たくなるし息できなくなるし。
何かの感覚に似ていたんですけど思い出せませんでした」
立ちあがって服の胸元に寄った皺を軽く引っ張って伸ばす。結構力を入れていたようで深めの皺が寄ってしまっていた。
一緒に立ち上がったかなた様と並んで歩く。
「急に息できなくなったんですか?」
「はい。冷たいと思ったら息できないし鼻痛いし苦しいし一体何が起きたのかと」
「まるで溺れた時みたいですね」
かなた様に言われてようやく合点する。そうだ、あれは昔川でおぼれた時に良く似ていたのだ。
「ああ、確かにそっくりでした」
けれど、先程まで水など無い所にいたのだ。まさか水もないのに溺れる事は無いだろう。
何があったのかは分からないけど、後で念のため病院行った方がいいかもしれない。
「それにしても溺れると高確率で鼻に水入って痛いですよね〜」
「そうですね。苦しいですし本当に辛いですよね」
そんな事をお喋りしながら公園の中に入る。公園の中を突っ切った方が家に向かうのには早いのだ。
噴水が水を吹き上げているのが見える。キラキラと光を反射してとても綺麗。
そしてそのすぐ傍に女の子が一人と、びしょぬれの大型犬くらいの大きさの龍が一体。両方ともとても見慣れたシルエットでちょっと頭が痛くなった。
「あれ、アニスちゃんですよね? 一緒にいるのは……誰でしょう。地龍っぽいですけど」
「あーあれはうちの引きこもり地龍です多分。龍形態で出歩くなんて珍しい。
……二人とも、どうしたのこんな所で水に濡れて」
声をかけるとアニスがバッと振り返る。たたた、と軽い足取りで駆け寄ってきてアニスは私の腕をぐいと引っ張った。
「店主聞いてよ。アレスったら噴水に落ちて溺れたんだよ」
『だって何もしてないのに膝が凄く痛くなって吃驚したんだ。
そうしたらバランス崩して……』
とたとた、と軽い足取りで濡れたアレスが傍に来る。足跡が石畳について可愛い。
「だから噴水のヘリに乗っちゃだめってあれほど言ってるのに!」
おかんか、という勢いでアレスに説教するアニス。10代半ばの女の子が大型犬(龍だけど)にお説教する光景と言うのは非常に微笑ましい。
それにしても……溺れた、ねえ。
ちょっと引っかかって、エプロンを外しながらアレスの傍にしゃがむ。エプロンでわしわし、と彼の鱗を拭きながら聞いてみる。地龍の鱗は頑丈なので多少乱暴に扱っても平気なのは助かる。
「膝、どこかにぶつけた記憶ある?」
気持ち良さそうに目を細めながらアレスは首を横に振った。
『無いよ。転んでもいないし』
「で、膝今も痛い?」
『うん。結構』
試しに彼の後ろ脚に触れてみるが、怪我している様子は無かった。
怪我をしていないのに膝が痛い、か。
最後にもう一つ質問をしてみる。
「……さっき溺れた時、鼻に水入らなかった?」
『入ったよ。すっごく痛かった』
「ふーん……」
一つの仮説を思いついてスカートの上から膝に手を置く。痛い。
『ふぎゃ!』
悲鳴が目の前の地龍から聞こえた。
もう一回置いてみる。今度はもう少し押す感じで。やっぱり痛い。
『痛ぁぁぁ!』
「あー、そう言う事か」
苦笑して後ろでこちらを見ていたかなた様を見上げる。
「どういう事ですか?」
「こういう事です」
立ち上がり、ぺろ、とスカートを膝までめくる。予想通り擦り傷からは血が滲み傷口は石と砂が少し混じっていた。
スカートの裾に血がついているのは見なかった事にしよう。うん。
「うわあ、痛そうです」
かなた様の眉間に皺が寄る。アニスは傷よりもスカートの血の方が気になっているのか少し遠い目をしている。
「見た目ほどじゃないんですけどね。で、この膝を……えい」
つん、と傷に触れる。びり、とした痛みが脳裏に走る。
「ふぎゃ!」
アレスが再度悲鳴を上げる。超涙目になっている。可愛い。
「とまあ、感覚が龍と共有されているっぽいですね」
先程溺れた様な症状が出たのは単純にアレスが溺れたからだったらしい。
そう説明してぱっとスカートから手を離し、軽く叩いて整える。
「ああ、なるほど」
納得したようにかなた様が頷く。
「実は、さっき羽堂さんの所に拳で友情を語りに行ったら『某メイベルドーの危険が危ないから帰れ』と言われまして」
「確かにそれはメーさんか誰かが危ないですね」
うっかりかなた様が死ぬ寸前に追い込まれた場合、そのショックがリンクしている竜に飛んで行くのだ。危ない事この上ない。
「でも意外ですね。こういう場合アラン君がそういう役回りになりそうですけど」
「アランとは実は契約してませんから。彼にとっては不幸中の幸いでしょうか」
『その分僕が痛いんだけど』
「そのへんはひとつアニスが痛い思いせずに済んで良かったと思えばちょっと気分的に楽かもしれない」
『……妥協する』
ぶう、と不本意そうに黙ったアレスから視線を外し、アニスへと声をかける。
「アニス、悪いけど役場に言って状況の報告と確認おねがい。
あとついでにこの件が落ちつくまでバイト休むって伝えて」
「はーい。代わりにアランにお使い頼んでもらっても良い? これ買うものリストだから。
流石に店主とアレスは大人しくしてた方いいよね?」
そう言ってアニスはメモとお財布を差し出してくる。
「了解。よろしくね」
素直に受け取ると、アニスは「行ってきまーす」と言って小走りに役場のある方へと駆けて行った。
「真夜さんバイトしていたんですか?」
「この間カフェ用の物件相談した時にちょっと色々頼まれまして。
どこも万年人手不足みたいですよ」
「どこも大変なんですね……あ」
そう言った瞬間、かなた様の表情が変わる。自分の口元を押さえて涙ぐむ。
「酷い……」
「かなた様?」
何事が起きたのかと思い声をかけると声を悲しみで震わせて言った。
「誰かが私の買っておいた限定チョコ食べた……楽しみにしていたのに」
「口の中に美味しい味が広がっているんですね……」
悲しみに打ちひしがれた表情でこくりと頷くかなた様。
「ちょっと文句言いに行ってきます」
すこし座った目でそう言うその姿は『食べ物の恨みは恐ろしい』と言う言葉を思い出させた。
そういえばかなた様チョコレート好きって言ってたもんなぁ。
ぺこりと頭を下げてから駆けていく後姿を見送りながら、チョコを食べてしまった子へこっそりと合掌する。
「……私たちも帰ろうか。早く膝洗いたいし」
『うん。アランが何処かに出かける前に捕まえないといけないし』
そう言ってアレスは目を閉じて意識を集中させる。輪郭が一瞬ぶれ、人の形に変わる。
ぺたぺたと服に触れ、感触を確かめるとアレスは満足そうに笑った。
「よし、もう殆ど乾いた。やっぱり人型より龍の方が乾きやすくて便利でいいや」
……便利だなぁ龍。
すこし羨ましく思いながら、二人でならんで家へと向かう。
「ねえ真夜姉、膝洗うって痛い?」
「うんそれなりに。でも洗わないで超回復使ったら皮膚の中に土残るから洗うよ絶対」
「ううううう、やだなぁ」
心底嫌そうな顔をするアレスに思わず笑ってしまう。正直この程度の擦り傷でここまで痛がると言うのも、この程度の怪我は日常である此方からすれば不思議なのだが。
「あんまり痛くならないように気をつけて洗うから我慢して」
あまり救いにならないであろう言葉をかけながら、うっかりのふりして消毒液たっぷりかけたらどうなるんだろう、とアレスが知ったら起こるであろうことをのんびりと考えたのだった。
おしまい。