「悪」とは――
わるいこと。人道・法律などに反すること。
不道徳・反道徳的なこと。(大辞泉より)
というわけで百合表現あり。注意です。



76.悪



「……ただいま」
『お帰り店主。随分よれよれだね』
「うん、よれよれ」
『防具全滅。体力もギリギリだ』
『久々に大損害だね』
「レア鎧3つもあったのに半分も行かないうちに壊れた。
 お陰で戦えなくて延々逃げ回る羽目になったし。あああもう腹立つっ!」
『それで、怪我は大丈夫?』
『とりあえず大きい傷口は塞いだ。細かい傷も薬は塗ったからあとは放っておいて良い』
「瞑想して治す。着るものなかったから最強装備にしているし丁度良い」
『じゃあ店主は休んでいて。
 邪神と賢邪はささのんさんの所で盾と鎧にしてもらってくるから』
「お願いアニス。ついでに質屋覗いてベースになるもの無いか見て欲しい」
『はいはい。アランはお風呂に入ってきなよ。血だらけだよ』
『返り血浴びたからな……』
「ごめんなさい」
『服は水に浸しておいてね。後で手洗いするから』
『いや、これ位なら自分でやっておく』
『そう? ありがとう。
 それじゃ行って来ま〜す』
「行ってらっしゃ〜い」

そんな会話をしたのが今しがた。
「よっこいしょ……っと」
二人を見送った後、傷の痛みを無視して居間のソファーに寝転がる。
天井をぼーっと見ながらネクタイを軽く緩める。
目を閉じゆっくりと深く息を吐き、ゆっくりと息を吸い静かに呼吸を整える。
意識を風の精霊達へと寄せ、自分の意識を薄く広く周囲に溶かすようなイメージを浮かべる。
外から聞こえる音が次第に曖昧になり、全ての感覚が遠のきその代わりに大気を巡るマナの流れや精霊の声を感じる。
優しい音に身を任せ、体を巡る暖かい流れに心を委ねた。



カランカラン♪
『……いらっしゃいませ』
ドアベルの音に続いて、静かな声が迎えてくれた。
炎龍のルルだ。最近店番やドラテンをすることが増えた彼女とは何度か面識が会った。
『やっほールル。真夜さん居る?
 強化お願いしたいんだけど』
私の言葉にルルは静かに頷いて母屋へ続くドアを示す。
『居間に居る。お茶、飲んでいって』
『良いの?』
『エルルンなら、大歓迎』
そう言って立ち上がり、ドアを開けてくれる。
『……所で、その呼び方は』
『嫌?』
ルルの表情はあまり動いていない。
けれどその目が、そのまとう気配が。非常にしょんぼりしているように見える。
『いやまあ、別に良いけど。
 それじゃあ、お邪魔しまーす』
勝手知ったる弟の家、ということで迷う事無く居間へとたどり着く。
マスターの家に比べればシンプルな構造になっているので迷いようは無いのだけれど。
真夜さんにその事を言ったら「自分の家で迷子になるなんてことは避けたかったから」と笑いながら言っていた。
思わず足音を殺して近寄ってみる。
青白い顔は呼吸していないようにも見えたが、手のひらをかざしてみたら微かに呼吸はしていた。
何となくホッとして、手に持っていた依頼品を置いてその側に膝をついて観察してみる。
ネクタイは緩められているが、喉元まできっちりとしめられたボタンが寝るには少し苦しそうに見えた。
そろりと手を伸ばして、1つ2つ、と外す。白い喉元と鎖骨が見えた。
普段露出をしていない人の肌も見る、という事実に動悸が高まる。
『吸血鬼の気分ってこんな感じかしら』
身を乗り出し悪戯半分にその首筋に唇を寄せる。彼女の目が覚めるかも知れないがその時はその時。
真っ赤になるか動揺するかパニック起こすか怒り出すか……その姿を見て楽しむのも悪くは無い。
そんな事を考えながら強く吸う。
思いのほか鮮やかについたアトに満足して体を起こすと、ぐい、と腰を引かれて身動きが制限された。
「こ〜ら」
酷く、甘い声。普段の声質とは異なる毒のような甘さ。
「悪戯もほどほどにしないと大変な事になるよ?」
くすくすと笑いながら言う台詞は、いつもの彼女のものとは全く違っていた。



瞑想中は無防備になる。全ての感覚が内面へと向き、他者の気配に気が付きにくいからだ。
だからこそ気が付くのが遅れた。
闇龍の気配はしていた。ただそれをお風呂から戻ったアランだと思っていた。
シャツに触れられる感覚がしてから気が付いた。違う、と。
瞑想を止め、ゆっくり意識を浮上させて相手の様子を伺う。
耳に入ったのは『吸血鬼の気分ってこんな感じなのかしら』という女性の声。
この声は……エルヴ嬢?
現状を把握しようと目を開いた時、痛みを首筋に感じた。
あ〜うん。油断した。そうとしか言えない。
そういえば羽堂様が以前私をエルヴ嬢の好みのタイプとか以前言っていたような気がする。
まあ、仕方ないか。起きた事は仕方が無い。
……ついでだしちょっと悪戯してみようか。先に手を出したのは向こうだし多少なら問題は無いだろう。
「こ〜ら」
子供を咎める様になるべく柔らかい口調で。笑みを混ぜてあまり深刻に聞こえないように注意をして彼女の腰を引く。
「悪戯もほどほどにしないと大変な事になるよ?」
そう言い、不意打ちでエルヴ嬢が反応出来ていないうちにくるりと体の位置を入れ替える。
手早くエルヴ嬢の両手を纏めて彼女の頭の上に固定して彼女の足の間に体を滑り込ませる。
ありていに言えば押し倒した状態だ。
「あんまりそうやって無防備だと、その内こんな風にされちゃう可能性だってあるんだよ?」
『え、あ、えぇぇ!!?』
我に返ったらしいエルヴ嬢がじたばたと暴れるが甘い。悪いが動揺状態で暴れられた所で外れるような固定方法をしていない。
「きっちり関節さえきめてしまえば、人だって龍を何とか出来てしまう。
 特に人化しているときはやりやすい」
こつん、と額同士をくっつける。あ、エルヴ嬢が真っ赤になった。
「だから、十分に気を付けて?
 貴女に何かあったら私は悲しいし、他の人たちも悲しむ」
『〜〜〜』
「お返事は?」
『は、はぃ……』
「よし、良い子だ」
ちゅ、と小さく音を立てて真夜がエルヴ嬢の額にキスを落とす。
現在のエルヴ嬢の状態=真っ赤+涙目+硬直
……ちょっとやりすぎた、かも?
まあ此処まですれば少し自粛してくれるかも知れない。変わらない可能性のほうが高いけど。
そんなことを考えながらエルヴ嬢から体を離す。
タイミングよく居間のドアが開きアランが入ってきた。



入りにくい。非常に入りにくい。
ルルにエル姉が来ていると聞いたので顔を出しにきたのだが、所謂「オトリコミチュウ」という状態のようだ。
普通は慌てて入っていくべき所なのかもしれないが……真夜やエル姉のこの手の行動に関して本気に取るのは正直面倒。はっきり言えば関わりたくない。
だからといって盗み聞きし続けるのは嫌だからと此処を離れたら恐らくエル姉には会えずに後でルルに『……不義理』とか文句言われるのは間違いない。
どうするか……と考えていると、中から真夜の「良い子だね」という声と人の動いた気配。
多分このタイミングなら入っても問題ないだろう。
中に入ると、平然とした真夜と動揺しているらしいエル姉が居た。
あ、エル姉涙目だ。珍しい。
『エル姉?』
声をかけると、びくっと体を震わせた後、ぎこちない仕草で立ち上がる。
『茶、入れるから飲んでいけばいい』
「ああ、私が煎れるよ〜」
『い、いい。もう帰るから』
そう言ってソファーの側に置いてあった包みを真夜へと渡す。
『これ、現マスターからの強化依頼。
 内容は紙に書いてあるから』
押し付けるように渡すと、エル姉は早足で部屋から出て行こうとする。
「エルちゃん」
常とは違う呼びかけに、ドアに手をかけていたエル姉の体が、びくり、と震え硬直する。
その様子を見てふふっ、と笑いながら真夜は言った。
「またね♪」
心の底から楽しそうに真夜が言った。エル姉はまた真っ赤になって飛び出していった。
その姿を見て真夜はくくく、と心底楽しそうに笑う。
「……や〜もう、可愛いなぁ」
笑い声こそ控えめだが、その肩は大きく震えている。かなりツボだったらしい。
『悪人め』
「必要悪って言葉もあるんだから問題なし」
『アレ必要悪なのか?』
「さぁ?」
『さあってお前……』
自分が言い出した言葉なんだから肯定位しろ、と思うが言った所でそうなるわけでも無いので言わないでおく。
『お前がそーゆー趣味だとは思わなかった』
ため息混じりにそう言えば、なんとか笑いをおさめたらしい真夜がソファーに座り直しながらパタパタと手を横に振った。
「別にレズビアンでもバイセクシャルでもないよ〜
 ただどんな愛でも愛だよね、と思うだけで」
そう言ってごろりとソファーに横になる。どうやら瞑想の続きをするようだ。
「エルヴ嬢には……いや、エルヴ嬢にも幸せになって欲しいからね。
 まあ、効果あるかどうかは分からないけど予防線は張っておこうかと」
『予防線?』
「うかつに触ると焼死するぜ、みたいな?」
『訳が分からん』
「ま、子供は分からなくても問題ないよ」
『誰が子供だ』
「自覚が無い闇龍殿」
さらっと言われて咄嗟に言い返そうと口を開こうとしたが、ここで何を言っても言い返されるだろうということは予想できるのでぐっとこらえた。
ふふふ、と真夜は小さく笑って目を閉じた。
「皆が幸せになれれば良いのにね」
独り言のように呟かれた言葉が、妙に重く部屋に響いた。





おまけ。

「気になるのはさっきので全力で避けられるようになる可能性があることなんだよね。
 フェレスさんに引き続きエルヴ嬢もかな〜」
『……何をやった』
「劇で全力で刀を向けた」
『………』
「闇龍に嫌われやすいのかなぁ私」
『完全にお前の行動が原因だろうが!』



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