神の存在を意識したことはない。
故郷は宗教国家ではなかったし、私の家庭も宗教に熱心と言うわけではなかったから。
生きていればそれなりに辛いこともあったけれど、幸いにしてそれいつだって私自信に原因があって、世の理不尽を嘆いたことはない。
己自身に原因があることに耐えきれず家を飛び出したのだけれど…私は世界の基準に当てはめて、幸福な方だという自覚もあった。
もしかしたら、欺瞞で。単なる強がりだったけど、真実だったとも思っている。だから。
だから、わざわざ神に祈ったことはなく、その存在に感謝することも、恨むことも、同様になかった。
戯れとはいえ神に祈るようになったのは、ここ朝の町に来てからだ。
私が神を恨む時。それは―――
「ま、まだ、3回くらいしか、使ってないのに…」
目の前にはスライムもどきの死骸。そして―――わりと新調したての剣の残骸があった。
嗚呼、神様。あんまりです!
それは、この町で暮らすものが一度は経験したことのある嘆きであろう。
祈り −届く場所は知らず−
とぼとぼと帰路を進む。
ああ、戦利品のない帰り道の身軽なこと。…涙を誘うくらいに身軽だ。
うう、カジノでちょっと勝ったからってテンションあがってダンジョン行くからこんなことに。あのまま帰っていればいい気持ちで帰れたのに。
あれこれ呟きたいことは数あれど、今隣には誰もいないのも悲しい。…カジノ行くだけのつもりだったからなあ。愚痴に付き合ってもらうために呼び出し…たりしたら、怒られるだけだなぁ。誰を呼んでも。
…想像したら余計へこんだ。もういい。そろそろ立ち直ろう。
気分を変えるためにも俯けていた顔を上げる。すると、見なれた建物が目についた。
129番地、真夜さんのお宅だ。
…特に用事はないけど。懐に優しい掘り出し物があるかもしれない。…別になくたって、真夜さんの顔を見ていくだけでも良いし。
そんなことを思って、私は扉に手をかけた。
「こんにちわー」
声を上げると、エプロンドレスの女性が振り向く。羨ましいくらい真っ直ぐな髪も、さらりとゆれた。
「かなた様。こんにちわ」
柔らかに笑い、真夜さん。
その笑みのまま、言葉は続く。
「なにか入用ですか?」
「いえ、特に目当てのものとかはないんですけど…掘り出し物があるかどうか、見てこうかなぁ、と」
答えて、ふと気づく。これではただの冷やかしだ。
気まずくなって、話題を変える。
「それにしても暑くなってきましたねえ」
「今日は天気もいいですからね」
「寒いよりはいいですけど、ちょっとヘコみます。
冷たいものの美味しい季節になるのは嬉しいですけど」
「いいですね。ビアパーティでもしたくなります」
しばし、どうでもいい会話が弾む。
世間話で盛り上がれる人がいるって幸せだなあ、とか思ってると、つい余計なことへ話が及んだ。
「そういえば、新調した剣がご臨終だったのですよー。暑いとその苛立ちも増加しちゃいます」
「確かにがっかりしますね。
壊れないと経済のバランスが崩れてしまいますし、しかたないことなんでしょうけどね」
「それもそうなんですけどねえ…神様あんまりだー!みたいな気分ですよー。神様はいけずです。最悪です」
目元をぬぐう仕草を交えて呟いてみる。
聖職者さんの前で神を貶していいのかとか考えなくもないけど、多分真夜さんは…ていうか、この町の司祭さん達は細かい冗談に突っ込みいれるほど、信仰心に溢れていないと思う。だから大丈夫。
「神様は基本的に頼りにならないですからね」
真夜さんは僅かに笑った。
その表情は、いつも通りだ。
いつも通りの、真夜さんだ。
そのことに妙にほっとする原因は、先日の出来事だ。綺麗な湖を見つけて、水死体まで見つけてしまったかと思ったあの日のことがあるからだ。
―――あの日、着物姿の水死体に見えたそれは、良く知った人の顔で私を見て聞き覚えのある声でこう言った。『死んでませんよ』と。
水死体は水死体ではなく、研究所帰りの真夜さんだったのでした。腕から流れる血は研究所でこしらえてきたものであって、致命傷ではなかったのでした。…それなのに私が勘違いしてパニックてしまったんだよなあ。
うう、生きてる人、しかも親交のある人にどざえもんとか言っちゃたよ。かなりへこむ。失礼なことをしてしまった…
でも。
あの日の朝、すれ違った真夜さんはなんだか妙に暗い顔をしていたから。
だから、いろんな意味で心臓に悪かったのも本当だった。
だって、その顔が暗いことに気づけても、私にできることはないに等しいから。
だから余計に心配ばかりが募る。…悪循環だ。
そんなとき、思いだすのは旅をしていた頃に見た様々なこと。
―――旅をして、随分世界の裏側を見た。
逆にいえば、それまで世界の裏側のことなんざ気にもとめたことがなかったんだけど、随分色々なものを見た。―――そして、想像することができる。察することができる。
私が見たものなんざ、まだまだ裏側の浅瀬にすぎないのだろう、と。同行者が気を遣ってくれたというか…優秀な人だったから。そんなに危ない目にあったことがないのだ。
だから、不意に考えることがある。
私が大切だと思っている方々が、その裏側の深遠に足を踏み入れていたところで、気づくことはないないのだろう、と。
だけど、先日のように暗い顔をしているところを見ると、少し想像してしまう。その過去に、なにかあったとしても力にはなれないのだということを。
この町は、特殊な町だ。数々の伝説をごく当たり前のように体現していることも、強盗殺人が合法であることも、そう。そんな特殊な町ながら、入国・移住手続きは非常に容易い。名前だけで事足りる。
正直、ごく簡単なあの手続きが住人登録だとは気付かなかった。あれよあれよと126番地の鍵を渡されて、非常に驚いた。
…話を戻そう。
だから、経歴を言わぬまま生活ができる。だから、お互いの過去など知らない。
勿論、そのことに不満はないし、正直助かっているのだけど…たまに、いたたまれなくなる。
大切だと思っているのに、なんの手助けもできないなぁ、と。
悩みの種を知ったところで力になれる可能性は低いけれど、考えてしまうのだ。
かつては他人の幸せなんて妬むだけのものだったけど、今は幸せになってほしいと思う人が増えたから、少しでも助けになりたいと思う。
―――ま、だからと言ってなんでも話してくださいねとか言うのは柄じゃないし、そういう台詞は嫌いだから言わないけど。
だから、こういうことを考えてしまった時は、できることをしてみることにしている。
「真夜さん」
仕切り直すように、そっと呼びかける。
くだらない愚痴を聞いてくれる優しい人にできることはないのかもしれないけれど。
それでも、出来る限りこの時が続けばいいと思うから。
「この間、美味しいクッキー手に入ったのですよ。
そのうち広場に持っていくので、その時は皆でお茶をしましょう」
笑顔で誘えば、真夜さんはふわりと笑った。
「いいですね。
私は、お茶の方を持っていきますよ」
その笑顔は、先日に見たどこか苦しそうな笑顔ではなくて。
安堵の息を吐く代わりに、笑みがこぼれた。
過去なんて知らないし、知る必要もない。
それでもこうして、ささやかな未来を約束することはできるのだから。
小さな幸福を重ねていけば、そのまま良い未来につながるかもしれないじゃないか。
私は何も知らないし、察することもできないけれど。
だけど、代わりに祈ろうと思う。あの笑顔が続きように、と。
安穏と生きてきた無宗教者の祈りの届く先がどこにあるかなど知らないけれど。
―――どうか、私の大切なヒト達を囲む世界が、優しくありますように。