「なぁ、磨智」
「なぁに? 緋那」
「私、これを着る必要、あった?」
「やだなぁ。緋那。必要不必要でばっか判断するの、緋那の悪い癖だよ? 生きてるには、少しは遊び心もたないと」
「…………」
 それ不要だって言ってるよな。
 思い、緋那ははふぅと息をつく。
 まったく、調子のいい奴だ。
「いってらっしゃいv」
「…いってくる」
 それでも嫌だと拒絶しきれない辺り、自分はとことん彼女には甘いのだろうけれど。

 −森のように、囲まれた−

 ことのおこりは、今から数分前をさかのぼる。
 磨智とメーの言いあいどつき合いじゃれあいに巻き込まれて、メーと一緒に前日の雨でぬかるんだ土の中に倒れ込んだ。
 服を洗濯機へいれて、身体の汚れを落として。
 さて着替えようと思ったら、申し訳なさそうな―――それでも笑顔の磨智に手渡されたのが、これだったというわけだ。
 ところどころに真っ白いフリルのあしらわれた、ふわふわとしたクリーム色のブラウス。スカートもそれに合わせたように、ふんわりと広がったスカートは赤味の強い、それでも優しい桃色。
 …恥ずかしい。
 とても恥ずかしい。柄ではないとかそういう問題ではない。純粋に、普段する格好ではないと思う。晴れ着のようだ。
 けれど『せっかく作ったのに…』とか目をうるませられるとキツい。断りづらい。…こういうことしてるのが、磨智には甘いと言われる原因だと、分かってはいるけれど。
 はぁ、と溜息がもれる。
 こんな恰好で外に出ることなんて、本来嫌なのだが。馴染みの花屋から以前から予約していた鉢植えの用意ができたと言われ、そういうわけにもいかなくなった。取りに行くなら早い方が良い。
 他の奴に頼もうにも、こんなときに限って磨智は他にでかける用事があるというし、メーはそれの相手だし。かなたは二日酔いでうんうん言ってるし。風矢はわりと常時いないし。…ベムに頼めばもってきてくれるかもしれないが。この格好を見られるのは、すごく鬱陶しそうだし。そもそもそういう好意を利用するようなマネは、どうかと思う。一緒に出かけるならともかく、使いっぱしりはいくら相手があいつでも気が引ける。
 …そんなこんなで、出かけることになった。

 1人目的の花屋に入って、注文していた鉢植えを抱える。
 会計を済ませた後、さっさと帰ろうと店を出ると、不意に背中から声をかけられた。
「あれ? 緋那さん。なんだか今日は随分可愛いカッコウですね」
 ぴく、と肩が震える。緋那というのは間違いなく私の名前だし、その声には聞き覚えがあった。
 仕方なく振り向くけば、予想通り。にんまりと笑う茶髪の少女がいる。
「ダージリン…だったよな」
「ええ」
 男物のコートをまとったどこか風変わりなこの地龍は、142番地のダージリン。
 主人を通して面識ある程度の仲である地龍は、人懐っこい―――すぎるくらいの笑顔で、顎に指を添え、言った。
「見せたい相手がいるんですか?」
 なんでこの女の言うことはこう唐突なのだろう。
 アホか、と言いかけて、思わず首をふる。いきなりそんなことを言ったら、私の方がアホである。
「磨智が着ろとうるさかっただけだ。変な勘ぐりするな」
「あれ? そうなんですか? ボクはてっきり」
「てっきりもぽっきりもない。仕方なく、着てるんだ」
 そんなに仕方なく言われると傷つくなぁ、とか言いそうな奴もいないので、遠慮なく言いきってみる。
 けれど、こちらを見る目は変わらない。妙な期待で輝いている気がする。
「…それより、お前はなにをしてるんだよ」
 こいつのペースまま話が運ばれるのが嫌で、逆に聞き返してみる。
「ボクですか? そうですね、今は花を見に来たんですよ」
 以前言ったでしょう、こういうことにも興味があるって。
 言いながら歩いてきた彼女は、店頭に並んだ鉢植えを見る。
 くりくりした目には、確かに好奇心がある。
 しかし。
「…それ、買うのか?」
「似合わないのは分かってますけどねえ」
「誰がそんなこと言ったんだよ、違う。…お前の見ているのは今が盛りの花で、育てるには向かない」
 ついでに、土に栄養がないと育ちにくい繊細なものばかり―――というのは、地龍相手には釈迦に説法というやつかもしれないが。
 ともかく、それではすぐに枯れてしまう。
「それより、もっと楽なものを選んだほうが良い。例えば―――…」
 適当なものをいくつか指差しながら、2,3の解説も添える。
 詳しい育成法は店員に聞けばいいのだから、その程度で十分だ。
「はぁ。本当に花が好きなんですね」
 だから、私の話したのは、あくまでほんのさわりだけ、なのだが。
 彼女は妙に感心したようにそう言った。
 ほめられている。
 ほめられていると言うのに、なぜか素直に頷き難い。
 全体的になにかたくらんでいる雰囲気があるというか。得体が知れないというか。…得体のしれない奴はあれ1人で十分だと言うのに。
「すごく、似合います」
「…あんたの言葉はなんとなく皮肉っぽい」
「純粋に親愛の気持ちで言っているんですけどねえ…」
 そうは言われても、がっくりと肩を落とす様子はやはり無意味に大仰に思える。馬鹿にされているような気持ちになる。けれど。
「けど、そう聞こえるのもしかたないのかもしれませんよね。
 ボクは人とずれているようだし…」
 けれど、その声音に決して揶揄ではないなにかが滲んだ気がした。
「…この町の連中は皆ずれているようなものだろう」
「いやいや。ボクから見れば皆デキが良いように見えますよ。
 ボクは、そんな服も似合いませんから」
 その笑顔は、もしかしたら。
 ほんの少し、寂しそうだったかもしれない。
 もっとも、人の本心なんて大それたものを察することはできない。そんな気がしてしまった。一時の気の迷いと言う奴だ。
「…着ればいいじゃないか」
「え?」
「なんならやる。うちのマスターがあんたのところの主人に世話になってる礼だ。
 うちの磨智はいくらでもこの手のものを作るぞ。昔メーが着せられた奴とか、今は入らないって嘆いてる…、っていっても一応男物だから、やはり作りなおしになるかもしれないな」
 作り直しになっても、磨智は頼めば作ってくれるだろう。頼まれたら作るよ、と本人が明言しているのだから。
「やる前から御託を並べていじけるくらいなら、やってみればいいだろう」
 私はごくごく当然のことを言ってみただけだ。
 それでも、彼女はパチパチと瞬き、驚いたような顔をした。
 答えを促すつもりで、黙って見つめる。
 すると、その顔は徐々に苦笑めいたものへ変わった。
「…残念だけど、ボクはこういう風なのは似合わないですから」
「だから、まだ着てないだろうが」
 少し苛立った心地で言う。
 けれど、苦笑めいた笑みは深くなる。
 かと思うと、くるりと踵を返された。
「ありがとうございます。
 でも、ホントいいですから」
 では、ボクは忙しいので。
 そう言って背中を向けたまま手を振る彼女は、そのまま立ち止まらずに歩き続ける。
 ひらひらと風で踊る長いコートを見ながら、一歩踏み出そうとし…止めた。
 人に着ろといった手前不誠実かもしれないが、この格好でこれ以上歩きまわるのは辛い。帰って着替えたい。
「…ああ。じゃあな」
 ぽつ、と呟いた言葉が届いたかどうかは分からない。
 それに―――届いても届かなくとも同じかもしれないと、ふと思ってしまった。

 人通りの少ない場所を選んで帰路に就きながら、つらつらと考える。
 それなりに顔を合わせているのに警戒してしまう―――そのことは、少しだけベムにしていたことを思い出す。
 けれど、あの地龍に感じる感情は、まったく違うものだ。
 初めてベムに会ったころ感じていたのは、途方もない戸惑いと根拠のない不信感。近くに来られすぎたからこそ、分からなくなった。
 あの少女に感じるのは、どちらかと言えば間逆の感情だ。
 慣れ慣れしく接してくるくせに、妙に遠い感覚。
 言葉の、行動の端々に滲むのは、黒々と暗い森でも前にしたような、奇妙な感覚とよそよそしさ。
 いくつもの木々が生い茂る森のように、その本心は伺えない。
「……でも」
 そのことを不満に思うほどの友好は、残念ながらない。
 それでも、彼女を囲う暗がりが、むごく寂しそうに見える。
 だから。
 黒い森を照らす光があれば良い。
 自分にとって、つい甘やかしてしまう地龍がそうであるように。
 いつか誰かが、なにかがそれになればよい。
 ふぅ、と息がもれる。
 以前、少し言葉を交わした時。コートで守っているのは、心や考えだと言わんばかりだった彼女。
 それなら、それを脱げる相手が、どこかにいれば良いな。
 思い、もう一度息を吐く。
 肺に満ちるのは、温かく綻んだ空気。なのに、なぜかどこか乾いて感じた。


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