それは、142番地に訪れたとき。
蘇生を終えてそこの主とまったりと談笑する主人を待つ間の、刹那の出来事。
「編み物…どすか?」
かけられた声に反応し、ベムは編みかけの毛糸へ落としていた視線を上げる。
ぼうっとした眼差しの先にいるのは、長く黒い髪に、やはり黒い着物を着た闇龍。闇に溶けていきそうな姿の中、その顔は白く、瞳は赤い。
遠き島国風のその姿は、教会にはどこか不釣り合い。けれど、ここ142番地では、この上なくなじんだ顔である。
これが神に傅いたなら、ある意味絵にはなるだろうな、とベムは思う。それでも。
教会で暮らしていても。教皇を主とした契約を結んでいても。
きっと彼女は、神なんかじゃなくて、好奇心とか、そんなものの教徒なのだろうけど。
編み物の手を止めぬままそう思い、ベムは小さく頷いた。
教徒 −従うものの名は…−
「でも、ここ、邪魔なら移動するけど」
「そないなわけではありません」
人の家に廊下に座り込んで編み物に熱中するな、という意味だったのかと思ったが、違うらしい。
「用事がなければ話かけてはあかん、ということもないですやろ?」
「……」
ベムは無言で首肯する。それだけで、返る言葉はない。
それに乗らなければならないということもないだろう、とでも言うような興味なさげなその態度に、至和子はころころと笑う。
笑みを向けられたベムはといえばどことなく優美なその様をちらと一瞥してから、やはり無言で編み物へ戻る。
彼はその整いきった容姿と浮世離れした雰囲気に腰が引ける光龍でも、何が楽しいのだか、と表情でつっこむ風龍でもないからだ。
「こちらこそ、邪魔をしてはるみたいですね」
「別に」
彼の集中力は誰かと話す程度で切れるモノでもない。
家の中で追っかけっこ始めるバカップルやら、飽きもせず喧嘩を繰り返す馬鹿二体やら、飽きもせず炎龍に説教される羨ましい主やらで非常に騒がしい家に住んでいるのだから、当然だ。
黙々と編み目を増やしていく彼と、それを眺める彼女。当然、その間には沈黙が落ちる。すぐ傍の部屋から、彼らの主達の話声が聞こえてくるだけだ。
どこまでも黙々と編み目を増やしていくベムに、至和子は小さく嘆息する。
「…ベムはんは寡黙やなぁ」
「…たぶん、貴女の思い浮かべてる二人がうるさいだけ」
静かに答えるベムの脳裏に彼女と出かけて楽しんできたことについて恋人にものすごくちくちくと嫌み言われて気づいてなかった光龍と、彼女になにか言われてどことなく苛立っていた風龍が浮かぶ。
考えてることただ漏れ男と、ポーカーフェイスのふりした百面相男。仲は良くないし共通点も少ない、ように見えて共に根が正直な辺りは似ている。
その性格を大きく分けた分岐点は、おそらく光龍は馬鹿正直で風龍は自分に正直だったのだろうな、と彼は思っていた。
本人たちに言うとまたやかましそうなので、そっと思っているだけだが。
「メー君と風矢はんなあ」
名前を出さずともそれは伝わったのか、至和子はしみじみと頷く。
「あの二人にはお世話になっております」
彼女が(一方的に)世話してるだけではないだろうか。
そう思いながらも、ベムはゆっくりと顔を上げ「そう」とだけ答える。
別に口に出すほどのことだとは思わないし、面倒だ。
顔を上げたものの、その間にも編み棒を操る手は止まらない。
淡々と。淡々と。作業を続けていく。
会話がキャッチボールに例えられるなら、その態度はバッティングセンターのごとき。なぜならうっちぱなしで戻ってこない。
とでも言ってくれそうな女装させ趣味の地龍が不在な現在、闇龍と炎龍との間には、再度沈黙が落ちる。
至和子はふうと嘆息する。先ほど長く、苦笑のような色をにじませて。
そっと頬に手を添える仕草すらどことなく雅やか―――なのだが、ベムの目は手元へ戻っている。編みかけの毛糸を見つめる橙の瞳は真剣そのものだ。それは彼の想い人へ贈る予定なのだから、当然だ。
結局、興味もなければ悪意すらない炎龍の生み出した沈黙を破ったのは、彼の主の間延びした声だった。
「ベームーくーん…ってあれ?
取り込み中?」
「マスター」
首をかしげる主に呼び掛けて、ベムは静かに頭をふる。
「何でもない」
そう呟くなり、編み棒と編みあがった完成品は手早く鞄へしまい、すくと立ち上がる。
そのままの流れで、すいと振り向く。
切れ長の紅の瞳と、眠たげな橙の瞳が、一瞬だけ交わる。
「…じゃ」
「ええ…はな、また」
僅かに頭を下げて、なにやら渋い顔をする主人を連れて歩きだす炎龍を、闇龍は苦笑じみた表情で見送った。
126番地へと歩くベムに、傍らのかなたは控えめに声をかける。
「ねえ、ベム君。私、話の邪魔したんなら、待っててもよかったんだけど…」
「別に話してない。緋那以外の女と話してもつまらない」
「…君のそれは病気だよ」
「恋の病?」
「そんなかわいいもんじゃないと思うなあ…」
なんともいえぬ複雑な思いに苦い表情をする主に、ベムはちらと一瞥を送る。冷めた一瞥、というのも違う―――温度がないとでも言うべき、ただ静かな一瞥を。
彼は別に目の前の主は嫌いではないし、害意もない。
その代わり、興味はないし、関心もない。
彼女に対してだけでなく、ほとんどの存在に。先ほどの闇龍にしたって、そう。
例外は―――ただ一人。
「………」
鞄を少しだけ開き編みあがった作品をちらと見たベムは、その例外を思う。
お前の作るのは変なのばかりだが、以前くれたタワシは使いやすかった―――と珍しく好評で浮かれつつ編んでみたそれは、炎のような明るい赤と、ワインのような深い赤を組み合わせたもの。
毛糸を選んでいると、貴女の姿が浮かんでついこの色を―――。
「…っていったら、また怒るかな」
本音なのに。自分にしか聞こえぬ声で小さくごちた後、小さく彼女の名を呼ぶ。
甘く深く胸に染みいる唯一無二の名は、呼ぶだけでも彼の唇を綻ばせた。
その甘い感情だけが、彼が従う全てだった。