「……地龍殿。郵便物が届いたみたいですよ……」
外から入ってくる湿り気のある空気が辺り一帯に漂って、6月の雨季に入った事を物語っていた。
小さな唇をそれまで傾けていたカップから僅かに離して、玄関口に付近に設置した簡易テーブルの方からカウンターの前でせっせと食器の整理に勤しんでいる同僚に語りかける。とても涼やかな印象の、抑揚のない声だった。
深い緑色をしたボリュームたっぷりの長い髪はウェーブを描いて彼女の腰まで腰までを覆っている。その頭髪の前髪の間から覗く顔立ちは、まだまだ少女と言える筈の風貌に不釣り合いなくらいの印象さえ与える、どこか達観したような雰囲気を放っていた。肌理の細かい白い肌と相まって、どこか作り物めいた雰囲気さえ漂わせる美貌を有するこの小柄な娘の姿をとる龍の緑色の双眸は、依然としてテーブルの上の書物の文字から離れる気配は無い。彼女は風龍エゲリア。書物をこよなく愛することから『読書魔女』の異名を持っている。
「エゲリア、お前も少しは手伝えよ……」
そんなエゲリアに向かってげんなりした様子で言を呈したのは、ブラウンのエゲリアと同じく、ただしこちらは癖の無いさらさらの髪を腰まで伸ばしてゴムでしばった長身の若い男龍だ。細身ではあるものの決して貧弱さを感じさせない、適度に引き締まった体つきをした美丈夫である。こちらの彼は地龍ポコス。それぞれがこの家のマスターがここにやってきたのとほぼ時を同じくして仕えている龍である。
ここは朝の生まれる場所町111番地、シェフを務めるマスター朱音が店を取り仕切っている料理店の店舗と住居の境界に位置する箇所だ。ただし、今日ばかりはちょっと事情がいつもと違っていると言えた。現在店内に残っているのはこの111番地の最古参である地龍風龍とあと一匹だけ。それと言うのも今月が六月に入ったという事もあり、朱音がこの111番地に料理店を開いた開店記念祝いを行う事が決まったのだった。
まずは111番地に住むマスターと使役龍のお祝いパーティー。次いで来客として訪れる町の住人と更にその使役龍にもまた何か特性の料理を振る舞う。そんな計画の為にほとんどが今現在は出払っていると言う状況である。
「朱音の開店記念祝いが控えていて、俺ら以外はほとんど買い出しに出かけているってのに、こんなときにも本ばっかりなんだな、お前は。
……まったく、いずれは本と結婚してしまうんじゃないのか?」
「…………」
ポコスのからかい混じりに発したその一言を聴いた瞬間、ページを捲りかけていた細い指が止まる。どこか異様な空気が玄関越しに置かれたテーブルの周囲に流れた。深緑の上下の服の下から覗く肌が肌理の細かい事もあって、まるで精巧に作られた陶磁器のからくり人形が動きを止めてしまったかのような雰囲気すらある。
「おい?どうしたんだ?エゲリア」
ポコス自身からしてみれば、軽い気持ちで言った冗談のつもりだった。
訳もわからないままにそのまま青年地龍は呆けた表情になる。
エゲリアは表情を変えることなく、しかし初めてポコスの方にその少し鋭い双眸を向ける。
「いえ……何でもございませんが地龍殿。それで、郵便物を取ってきてくれ?ですか?……了解しました。」
特にいつもと変わりはなかった。無表情で感情の起伏の感じられないひたすらにクールな知りあった頃からのエゲリアの態度。そのまま腰かけていた椅子から無駄のない動作で立ち上がると、その小柄な体格を素早く玄関口の方まで動かし、ほんの一分足らずで届いた荷物を手にして戻ってきた。
「お!それ、ついに届いたのか!」
小包に書かれていた宛名を目に入れるや否や、今の一連のエゲリアの反応に軽い困惑を見せていたポコスの表情が一気に明るく輝く。
「地龍殿。この小包の中身は一体……?」
この地龍がこの状況、このタイミングでここまで露骨に歓喜する理由となると、これはエゲリアでなくとも彼をある程度以上知り得る者なら誰でもピンとくる事であったのだが、それでもあえてエゲリアは質問をしてみた。
「……あ?ああ!まあ、見てみろよ。エゲリア」
エゲリアの質問に一瞬反応が遅れるほど、完全に自らの空気を周囲と別のものに変えているポコスは上機嫌のままその紙包みをテーブルに乗せると器用に包みを剥がしていく。中から現れたのは一目見ても年代を刻んだ事が分かる、深い木目調の四角い箱。そしてその上には小さなドレス姿の長い髪を蓄えた少女のビスクドールとガラス越しに覗く歯車とシリンダー。
「オルゴール……ですか?マスター殿へのプレゼントとでも?」
エゲリアはそのアンティークを目に収めると、ポコスの隣に並ぶ位置まで歩み寄って尋ねる。
「ああ!この間骨董屋で見かけてな。朱音にプレゼントしようと思ってるんだ!」
そうエゲリアに説明するポコスの視線には、しかしエゲリアは映っていない。あくまでも、それはマスターでありそれを超えつつある一人の女性を見ているのだった。
「開店祝いまでマスター殿に内緒で脅かすつもりなら……
別に私にわざわざ見せる必要なんか全くないではないですか……」
そう呆れたように言うエゲリア。そんな風にやり取りが続いていた時だった。
「ポコス兄さまーっ!エゲリア姉さまーっ!!見て見てーっ!きっちり出来るようになったんですよっ!!」
玄関口のドアとは反対方向の、二階の階段へと続く廊下の方から鈴の音のように澄んだ幼い声が響いた。その声のした方には魔術師を模した派手な黄色のマントをすっぽりとその小さな体に羽織って、更に頭にも同色のシルクハットを乗せている可憐な雰囲気の抹茶色の大きな瞳をした人間なら、まだ見た目十歳になるかならないかと言った感じの少女がちょこんと立っていた。
シルバニオンの秋桜。彼女こそが今現在111番地朱音邸に残っているもう一匹の龍である。
「……お、おう!秋桜。お前も手品の練習が終わったのか?」
理由ははっきりとせずとも、つい今しがたまでエゲリアとの間にピリピリした空気が漂いかけていた事を感じていたポコスは気を取り直して秋桜と言う助け舟に対して表情を綻ばせた。このタイミングで秋桜が来てくれたのは助かったというのも内心でポコスが多少なりとも感じた本音だった。
「えへへ。このシルクハットの中には何が入っているでしょうか?」
無邪気に笑いながら秋桜はシルクハットを頭から外すと逆さまにする。見せられているポコスの視界には何もない空っぽのように見える。もう片方の手に握っているステッキを張りきった表情で翳すとまるで気合いを入れるように掛け声を掛けた。
「えいっっ!!」
ステッキを力一杯に振る秋桜。銀色の髪の中でそこだけ金色に染めている一房が大きく揺れた。ステッキがシルクハットの直前でピタリと制止すると同時に様々な色の紙製の花がシルクハットの中からポンと姿を現した。
「ね!出来たでしょ?どうかな?ポコス兄さま」
舌をペロリと出しながら、得意げな笑みを浮かべる。
「へえー!凄いじゃないか秋桜。つい二日前までは全然出来ないってエゲリアにぐずってたのに」
腰を屈めてちょうど秋桜と目線の位置が合うまでになった体勢で、その銀色の肩までの髪を撫でるポコス。
「もうー……その事はいわないでくださいよポコス兄さま!あれからエゲリア姉さまにみっちり教えてもらって勉強したんですよ?」
そんなポコスのあしらいに頬を膨らませると、秋桜は不機嫌そうにポコスを睨んだ。そしてポコスの方は名前が出てきた事でほんの少しの間だけ忘却していた。と言うよりも無意識にそうしておきたかった当面の風龍の事を思い起こした。おそるおそる振りかえるとエゲリアはそのまま近寄ってくるのが見えた。
「エゲリア、さっきからお前ちょっと……」
様子が変だぞ。と言おうとしたポコスの脇をそのまますり抜けて、エゲリアは秋桜の疲労して見せたマジックの道具であるシルクハットとステッキ、そしてマントをじっくりと見る。
「秋桜殿……大分上達したようですね。では、また新しい手品を教える事にしましょう」
「ほんとうですか!エゲリア姉さま」
ポコスを無視して、瞳を輝かせている秋桜の手をとってエゲリアは二階へと上がっていく。
ポコスはかなりばつの悪そうに鼻の頭をポリポリと掻いていたが、結局まだ終わっていなかった開店記念に使うパーティー用の飾り付けのリストを纏める事を思い出して、カウンターの方に戻ろうとする。
そこである事を思い出して、二階の階段を上るエゲリアにもう一度だけ声をかけた。
「そうだ、エゲリア。俺ももうちょっとしたら一旦出かけるつもりだけど、多分その間に来客が最低一人あると思う。悪いけどそいつが来たら出といてくれないか?」
エゲリアの歩みが一瞬止まる。やはりまるで機械仕掛けのような正確さで振り返る。
「そいつ……と言いますと?」
「俺と同じ地龍だ。142番地の乾って教皇のところにいる奴だが……
こいつが、まあ……なんて言うんだろうな……」
そこに来て、ポコスは何やら急に言葉を濁し始めた。
「……どうされたのですか?地龍殿……」
初めてエゲリアの方が逆にポコスの様子に不審がる番であった。
「まあ、何て言うんだ。あいつは相当に変わった女だ。
ここにはツケを払う約束をしててな。もうちょっとで来る約束なんだ」
『ツケ』と言う言葉を聞いて、尚不思議な気がエゲリアはした。
この店でツケを貯め込むなど、あの朱音がマスターである以上龍と人間が籍を入れるよりも可能性が薄い事のはずだ。
「……まあ……分かりましたが。では、地龍殿。私たちはこれで」
今度こそ、不思議そうに首をかしげている秋桜の手を引いてエゲリアは二階の部屋へと戻った。





「では……今度は一緒に演じて見ますか?秋桜殿」
本棚の前のミニテーブルの前でエゲリアが用意していたのは二着のマントだった。手品のレッスンをまた一旦終えて今までのマジックで使う事にした二着のそれぞれ緑と黄色の同じデザインのシルクハットも合わせて秋桜に黄色の方を差し出す。
「すごーい!エゲリア姉さま!私たちに合わせた色なんですね!」
さっそく受け取ったマントを小脇に抱えてシルクハットをかぶって見せる秋桜。
「秋桜殿……マントと言うものは最初は防寒具……旅に出るときに暑さや寒さから身を守る為の物だったと言う事は以前に話しましたよね?」
唐突に話をマントの起源についての話題を切り出すエゲリア。話を振られた秋桜はきょとんとその真顔で解説している表情を見るが、すぐにパっと顔を輝かせて返答する。
「うん!そしてこういう手品や魔法を使う人たちが仕掛けの為に着るようになったりしたんですよね?」
あくまでも興味があるのは自分が今勉強しているマジックに関する事らしい秋桜はエゲリアの話題を自分なりの形で消化する。
「そう……ですね。いえ、そもそもマントと言うのが単なる防寒具とは一線を画すようになったのはその姿を隠すものであるからなのです……」
そう言いながら、エゲリアもまた緑色のマントを纏う。その姿はデザインの関係上、まるで緑色のコウモリみたいな印象を与える。
「へえー、でもマントって、確かに隠れたりするイメージがありますよね」
分かっているような分かっていないような、秋桜の返答。
エゲリアはそんな秋桜の耳に近寄って耳打ちする。
「また……地龍殿を……驚かしてみませんか?」
秋桜は驚いたようにその瞳をいっぱいに見開いて、それからその小さな唇を大きくにっこりと曲げる。
「いいですね!わたしまたポコス兄さま驚かしてみたいです!」
なら一緒に行こうと言わんばかりにエゲリアは黄色いマントの裾をとると、秋桜の肩から首元まで優しく丁寧に着せる。最後にテーブルの上に乗っていた赤いサングラスを嵌める。
「あ!そういうのもあるんですか?いいなあ……」
秋桜は物欲しそうにサングラス姿の緑マントの魔術師風エゲリアを眺めている。
「……ああ、これも使いたいのですね?良いでしょう……」
そう言って、エゲリアは部屋を出る前に秋桜にもサングラスを手渡す。同時に秋桜の襟元からマントのしわを取るかのように丁寧にさすって言った。







「あのー……ちょっとごめんなさーい!!」
玄関口の方からやたらとこの場の雰囲気にそぐわない、良く言えば溌剌とした。悪く言えば能天気に聞こえる声が突然に響いた。三体の龍の今の心象では、間違いなくマイナスの方向にしか効果をなさないだろう事は確かであった。それでも、エゲリア、ポコス、秋桜の三体の龍は互いが互いに顔を見合わせると。ほんの一瞬の逡巡の後に玄関口の方に注目を向けた。
その中でポコスはほんの少しだけ顎に手を当てた後、玄関口のドアに駆け寄ってノブを回した。
「ひょっとして、誰かが何か見たのかな……?」
それはやたらと楽観的すぎる考え方だったのかも知れないが、ポコスとしても今は少しでも何かに縋りたい気分であった。ノブが開いて姿を現したのは、しかし親切な近所の人でも悪意に見入った強盗でも無く。
「あー……ごめんごめん、ポコスサン。ボクがこないだ散々迷惑かけちゃった分をフォローして貰って。約束通り、ツケの代金を払いに来ました……
あれれ?何なのこれ?」
ポコスがその姿を認識して突っ込むよりも早く、半ば勝手に店内に上がり込んで来たのは、褐色の肌をした若い龍だった。上は白いブラウスに下は短パンのラフな姿。髪はポコスと良く似た色調の落ち着いたブラウンで、それを短く無造作にしている。全体的にハッキリとした顔立ちに人懐っこい笑みを浮かべている。特に目を引くのは大きなグレーのコートを羽織っている事だろうか。
「えっと、このお兄さんどなた?」
「…………」
突然の闖入者とそれに対応するポコスとのやり取りに問答無用で横槍を入れる秋桜。そのほんの一言で、入ってきた闖入者は笑顔を崩さずにそのままの体勢で凍りついた。
「秋桜……こいつはこれでも……れっきとした女だ」
ため息を吐きながらポコスは秋桜に突っ込み、やって来た龍にフォローを入れる。
「こいつがダージリンって言って、さっき話していた142番地の教皇さんとこの地龍だ」
ポコスは先に先手を取られて動きを止めてしまった地龍の紹介を秋桜とエゲリアの二人にする。地龍のコミュニティの中心部としての責任感から来る事でもあった。
「あーっ!お姉さんだったんですね?言われてみたら確かに女の子ですねお姉さん。
改めて初めましてダージリンお姉さん」
邪気の全く入っていない、素直な言葉だっただけにダージリンの心象に関するダメージはかなり響いたように見えた。そして、それに追い打ちを掛けたのはエゲリアだった。
「……貴女の格好がそもそも勘違いされても文句の言えないものだと思いますが。……ああ、しかし貴女のような方の需要も多いのでしょうね」
「需要?」
「じゅよう?」
反応したのは秋桜も一緒だった。ポコスは何やら口出ししたくない様子で軽く目を逸らす。素で意味がわからないと言った様子でダージリンは顔を上げてエゲリアの方を見る。むしろ復活に対する大きな効果があったようだ。
「いえ……なんでもございません。二人とも気になさらないように」
「それはそうとさ、これはいったいなにがあったのかな?」
気にするなと言われたその瞬間に、本当に気にするそぶりを微塵も感じさせずにダージリンはカウンターの上に目をやっていた。
「お……おい!ダージリン!勝手に俺たちの家を覗きまわるな!」
ポコスは慌てて制止しようとする。
そのカウンターの上にあるのは、半ば解かれた包み紙の中から覗く落ち着いた木目調の箱。その中身は空洞になっていた。
それはつまり今より時間にして一時間足らず前に……
「私たちが来た時にはオルゴールが無くなっていて地龍殿がおろおろしていました……」
「風姉さんにその事を聞かれて、ポコス兄さまはおろおろしていましたね」
エゲリアと秋桜が交互に口添えする。これは盗難事件……だった。
「それで、ボクがここに来るちょっと前にはオルゴールが無くなっていた
……と。そう言う事なんだ?」
そう言いながら財布から傍目にも結構な金額だと言う事がわかるだけの額を、レジ越しにレジ打ちを担当しているポコスに渡しながらの格好でダージリンはここでほんの十分足らずの短い時間で起こった事の説明を聞き返す。
ダージリン自身が言うっていたところの『ツケ』を支払った分のレシート(その長さだけでそれがいかに頭の痛くなりそうな金額だったが容易に想像がつく分量だった)を受け取るとそれを指を使って棒状に丸めてコートの内ポケットに収納しながら、こめかみを軽くもう片方の人差し指で掻きながら今までの情報を反芻してみる。
「んー……つまりは、ポコスサンがそのオルゴールをしまおうと思ったらその時に秋桜ちゃんがマジックを見せてくれってせがんできたんだよね?」
片目を軽く瞑って考え込むような仕草を取りながら、ダージリンは更に念を押すように確認をしてくる。
「うん!私がポコス兄さまにエゲリア姉さまから教えてもらった手品を見せたくて部屋に入って行ったんです」
「……そして、私はすぐ後からついてきました」
エゲリアが秋桜の証言を後押しするかのようにその時に着用していたと言う緑色のマントをこれ見よがしに差し出して見せた。このいきなり現れたダージリンに対してかなり露骨によそよそしく返答を返している。
「そうなの?ポコスサン?」
口に手を当て、開けている方の目を今度はポコスに向けて問いただした。
「……あ、ああ。正確には秋桜が俺に手品を見せてきたのは今日二度目だったんだけどな。
俺がちょっと外出の準備をしようと思っていたら一度はエゲリアと一緒に二階に上がって行った秋桜が、またマントを取り替えて現れたんだよ」
記憶の糸を必死に手繰り寄せるようにして、ほんの三十分ほど前の詳細を思い出そうとするポコス。突如と111番地にやってきた地龍の少女がやっている質問は要はつまり……
「貴女が今やっている事は……まるで、事情聴取ですね」
「じじょうちょうしゅ?」
エゲリアの口にした言葉につられて秋桜は不思議そうに繰り返す。ほんの僅かだけ感情を露わにしたかのように強い口調でダージリンに口を挟んだエゲリアの表情こそいつも通りの無表情であるが、明らかに彼女は少々不機嫌になっていた。
「事情聴取……って、あれだろ?警察とかが……この町じゃあんまり馴染みは無いけれど、他のとこじゃ事件が起こるとそうやって詳しく事件の事を訊いていくんだろ?」
馬鹿正直にエゲリアの口にした言葉についての解説をするポコスであったが、当然エゲリアが言わんとする事の真意はその言葉自体では無く、それをしようとしている
「地龍殿……そうでは無くて……
いえ、それはともかくとして……ダージリン殿。貴女はそもそも一体何がやりたいのですか?」
読書を邪魔したわけでも無いのに、エゲリアの方から部外者である者に対してこうも突っかかって行くのは彼女とずっと過ごしてきた者にとってはかなり珍しい事だと言える。
「ん?……ああ、ボクが何故ここで起こったオルゴールの盗難に首を突っ込みたがるかって?
……それは、ボクにしたってあの中にちょっとした探し物があるから……かなあ……」
とにかく含みのあると言うより、何の答えにもなっていないと言ってもいいような答えを口にして
「とにかくだ、お前ももう用は済んだんだろ?っておい!勝手に触るなよ!
それこそ、その箱だって盗まれた証拠品だろ?」
ダージリンが勝手にすり替えられていた空箱を手に取り始めたのを見て、ポコスは慌ててその空箱をダージリンの手から奪って元の場所に置きなおす。
その様子をダージリンはまた身体全体を前にむけるくらいの姿勢で眺めていた。
「……ああ!ちょっといいかな?ポコスサン」
あまりにしつっこい上に意図も良く分からないダージリンの言動に辟易しつつも、ポコスは空箱から手を離してダージリンの方を振り向く。
「何なんだよ、お前は……」
「ごめんごめん、でもね。さっき気がつくと同じ場所に置かれて立ってその空箱だけれど……」
「それがどうしたってんだよ?」
「いや……ポコスサンも全く同じ場所に置きなおすんだなあって。
別にわざわざ同じ位置に拘る必要なんかなさそうなのに」
一瞬、その一言でポコスとその言葉を聞いていた秋桜があっと自分の手と空箱の位置を交互に見比べる。
「そりゃあ、俺たちも……朱音の奴だってそうだ。
ここは基本的にデリケートな食材を扱っているところなんだし、他にもそれらを絡めての日常生活を送るとなると色々とコツってのがあるんだ。
俺もエゲリアも、秋桜だって大分慣れてきたよな?」
ポコスは最後に秋桜に同意を求める目配せをする。秋桜は大きく首を振って首肯した。
「おい!まさかいきなり俺が自分で隠して騒ぎを起こしたなんて言うんじゃないだろうな?
だったら、お前もう探偵ごっこやめろ!って言わせてもらうぜ」
ポコスは憤慨してまくしたてる。ダージリンはほんのちょっと苦笑いをした後。両手をそのままポケットに位置まで戻してまた人懐っこい笑みになった。
「いやいや、可能性ってだけで言うなら、これでポコスサン自演になったって言う訳じゃないよ?
やだなあ……もうちょっと冷静になってよ。
これってつまりは……」
「あーっ!」
再び秋桜が大きく叫び声を上げた。もちろん、ほんの僅かの時間差こそあれど、それはここにいるみんなが至る考え。
「つまりは……私たちの誰かがここからオルゴールを盗んだと……
貴女は言いたいのですか?」
エゲリアは少しだけ目を細めて言う。ダージリンは口で返事こそしなかったものの、白い歯を見せて悪戯っぽく笑って見せた。
「ダージリンお姉さん、何だかすいりしょうせつのたんていみたいです!」
この状況にも関わらず、少しだけ興奮したように秋桜が感嘆の声を挙げる。
ちょっとだけ照れくさそうに鼻を掻きながらダージリンは笑って見せた。
「へへへ……ありがとね。まあ、とにかくボクとしてもこれ以上は流石にお邪魔虫みたいだし、これで帰らせてもらうとするよ。
……ああ、でもねポコスサン。最後にもうひとつだけ……」
帰宅しようと踵を返して玄関のドアに手を掛けたダージリンは、くるりと振り向いてポコスの方を向くとちょっとだけ力無く笑う。まるで問題を間違えた生徒に先生が向けるときのような表情だった。
「案外、無くなったオルゴールの見当を最初っから間違えているのかも知れないよ?」
そう言って窺うようにポコスの目を数秒間見つめて、そして今度こそドアを開けて出て行こうとした。
「……ん?ん?」
そんなダージリンのコートの裾を掴む細い腕。
エゲリアだった。いつの間にかダージリンの後ろに移動していた。
「……せっかく来たのですから、もうちょっと二階で雑談でもして行きませんか?ダージリン殿」





「えっと……こんなものかな?」
どこかぎこちない手つきで定規を紙から離して、ダージリンは一応の形にした造花の出来栄えを秋桜に見せる。
「出来たのですね。……あれ?これも何だかちょっと……
形がちぐはぐじゃないですか?」
ダージリンが造った造花は最初の一本以外はお世辞にも綺麗とは言えない造りだった。形もちぐはぐで色合いもずれている。
「う〜ん……上手くいかないなあ。
きっと今日は調子が悪いんだよ」
何度も重なった失敗が限界に達したのか、ダージリンは大きく背を伸ばして腰かけているソファに大きく身体を逸らす。
「言い訳するのは良く無いですよー?」
そんなダージリンをちょっと咎める秋桜。
隣に居るエゲリアを待つ為に、今はちょうど隣の部屋で秋桜と待機しているダージリンはついでに手品に使う材料の手伝いとして秋桜に手ほどきをしてもらっていたのだった。
「最初はまあ、そこそこ行けたんだけどさあ。
こりゃあ、思ったより結構難しいよ、うん。
これってエゲリアサンとかは上手なの?」
ちらちらと、部屋の壁に掛けてある黄色のマントに視線を移しながら質問する。
「……え?エゲリア姉さまは凄く上手ですよ。
本当に、定規も使わずに正確に手だけで作っちゃったんです!」
そう言う秋桜の表情はどこか誇らしげにも見える。
「……そんなに凄いと僻む気持ちも無くなっちゃうなあ……
エゲリアサンって、本ばっかり読んでいるイメージあったけど。
なんだ、それ以外にも普通に色々と出来るんじゃないか」
そんな風に感心という言葉を通り越して、ただひたすらに驚いている様子のダージリン。
「あーっ!でも、やっぱりエゲリア姉さまは何より本が大好きなのは間違いないですよ。
本を読んでいる時にうっかり怒らせるとそれは……」
そこまで言うと、秋桜は思い出した事で心底怯えたのか身体を縮めて震える。
見ているダージリンは気の毒になって、思わず自分の椅子の脇に掛けていたコートをかぶせてやろうとする。
「?そう言えば、あのマントってエゲリアサンも同じの着ていたんだったっけ?」
ふと掛けてあったマントに目を止めたダージリンは秋桜にその事も尋ねる。秋桜はまたまた不思議そうな顔でそのダージリンのブラウンの目線の行く先を見ながら答えた。
「色が緑ってのが違ってましたよ?
……でも、デザインは同じですね。
えっと、この
……
あれれ?」
そこで秋桜が場違いに驚いた声を挙げたので、ダージリンもまた視線が秋桜の手元に移った。
「どうしたの?いきなり」
「……?あ!……このお花の為に使っていた折り紙がいつの間にか赤に入れ替わってる……」
そう力無く呟くと、肩の力をがっくりと落とす秋桜。
ダージリンはそこでもう一度マントとその秋桜の手元の折り紙赤と僅かに残った白い折り紙を見比べる。
暫し立ち止まるが、すぐに秋桜に意識を戻して何か気休めになる言葉をかけようとした時だった。
「秋桜殿……今度はどうしました?」
ドアが開く音がして、声のした方向に振りかえった時にはエゲリアがそこにまた立っていた。状況を見て項垂れている秋桜とそれに近寄っているダージリンの構図を眺めている。
流石にこの光景だと何かいらない事をして秋桜を落ち込ませてしまったのでは無いか。と誤解もされる事を覚悟してちょっと緊張気味にエゲリアの方に向き直るものの、特にエゲリアはそう受け取った様子もなくそして秋桜の傍らの折り紙を見て一旦部屋に引き返した。数分以内にまた戻って来た時には、不足していた白い折り紙と秋桜に対しての……
「秋桜殿。貴女のミスではありません」
と言う、労いの言葉を持ってきて。
そして、ダージリンを連れて隣の部屋へと足を進めることとなった。




「う〜ん……で、どこから話すかなあ……」
申し訳程度のベッドとミニテーブルの他は、完全に書物に埋め尽くされている……と言って一切の誇張がない部屋でダージリンはまた椅子に腰かけてすぐに遠慮の欠片もなく大きく背筋を伸ばす。
「ダージリン殿……私としては、貴女に少しばかりだけ個人的な興味があるのですが……」
エゲリアの方は対照的に人形のようにピタリと姿勢を一切乱さないままに椅子に腰かけながらそう口にする。
カーテンが掛っている事で、唯でさえ薄暗い六月の昼下がりの陽光は遮られ随分と部屋の中は暗くなっている。
「ん?興味って……?」
オーバーなくらいに首を曲げて見せるダージリン。
怪訝そうな顔をするものの、目線はエゲリアの口元と瞳をしっかり注視しているのをはっきりとエゲリア自身は感じ取っていた。
「ですから……貴女がどう今回見た事について考えているか……
そこに興味があるのです」
エゲリアの口調はひたすらに静かで、かつ暗がりの中から窺える表情はまるで無表情だ。それだけにどこか不思議なプレッシャーがある。
「ま!ま!回りくどい話はよしてストレートにやるとしようよ。
そうだ。これはさっき秋桜ちゃんと造ったんだけれどね」
そんなエゲリアの瞳に対して、ほんの一瞬だけ動きが止まったもののダージリンはまたさっきまでのまるっきり空気を読んでいないような態度でこの部屋に来るまでに手にしていた花瓶をテーブルに置く。
「……赤と青の原色の造花の中に白が一輪。
少しバランスの悪い配色ですね」
置かれた花瓶にさり気なく目をやったエゲリアは、その違和感に対して厳しく一言告げる。
「これ一枚だけ上手く出来たんだけれどね……」
この部屋に着いてから、また苦笑いを見せてその白い造花の花弁をその褐色の指先で突っつくダージリン。
「……それこそ、あのマントのようなものですね。
使い方次第で様々なものから身を守ることも、物事を皆の目から隠す事も出来るけれど……
使い方を誤ると周りから完全に浮いてしまう……」
滔々とした語り方だった。それでいて、油断をすれば飲み込まれてしまいそうなそんな雰囲気。
深く椅子にもたれてやや遠く眺めるようにした後に、ちょっとだけ自分のブラウンの短い髪を両手で撫でると、腰を挙げてエゲリアの方に身体ごと顔を近づける。
「マジックなんかではみんな本職の手品師が身につけているね。
あれは手品師やってる人にとっては、きっと一番ありがちな服になっているんだろうね」
まるで何かに納得するかのように興味深そうに目を輝やかせるダージリン。
「例えば……あの地龍殿の手元から紛失したオルゴール
……あれをマントで身を隠すように隠せるとしたら
……ダージリン殿はどう言う手段を考えますか?」
その質問でお互いの動きが一瞬止まり、まるで時間が止まってしまったかのような状況に一瞬陥った。
暫しの沈黙の後、ダージリンは口に手を当てて考え込む仕種をする。
「ポコスサンの言葉を信じるなら、目を離した数分の隙にオルゴールは無くなった。秋桜ちゃんはエゲリアサンと一緒に階段を下りて来たんだったよね?
その二人は互いに言ってる事が噛み合っているわけだ」
ここで口から手を離してダージリンはまた更に姿勢を前に寄せてきた。
「でもって、秋桜ちゃんは一緒に階段を下りてくるエゲリアさんを見ていたし、ポコスサンは最初に入って来た秋桜ちゃんを見ている。
但し、マントにサングラス
……えーっと
……それもあれ、赤いんだったよね?」
ここでダージリンのブラウンの瞳はエゲリアの奥底をベール越しに覗くように凝視した。そしてそのまま話を続ける。
「あのカーテン……秋桜ちゃんの方が使っていた黄色のマントと同じ色の生地だよね?
……とにかく、赤いサングラスってのはサプライズじゃないと具合は良くないよ。
少し色の識別が利きにくくなる。
途中で何か表示や……服の色合いが変わると結構気がつかないかも知れない」
「……」
「元々、マジックってのは……ある程度先になにやるかを決めとくものだからね。
だから、事前にこんな事するって知ってたなら、別にそうなのかって納得しちゃう。
……ああ、むしろこういう思い込みってのを利用するって言うのがマジックには大事な事なんだっけ?
入れ替わりなんかはメジャーだしね。
桂被るのは良くある事だし、背丈はある程度靴とかで補う事は可能かな?」
「……なるほど」
「で、最初に現れた者と後に現れた者が同一人物って思わせ解けば、目的の物を上手く隠す事は可能……かな。
階段の足音の差も気付かれにくくなるしね。
後は隠し場所だけど、これは盲点になるような場所に隠せばいい」
そこまで言うと、ダージリンは秋桜の造った中の一輪。秋桜が自分の髪型を模して作った銀と僅かな金色の造花を一本だけ摘む。
「……流石ですね。
それで……私からも、最後にもう一つだけ」
エゲリアがここに来て立ちあがる。ドアの方に向かおうとするがその前にダージリンの間近で立ち止まった。
「貴女……それを証明するとしたら、一体どうしますか?」
それを聞いてダージリンはほんの僅か困ったように苦笑いした。
「エゲリアサン、これからどうするの?
これから、夜になるまでの間ね」
その問いもまた唐突に思えたが、エゲリアは最初からそれを期待していたかの如く自然な態度で受け取り口を開く。
「どうもしませんよ……
部屋で読書です。
地龍殿が何にせよ出かけて、秋桜を迎えに行かせて」
「あー……それならね」
その答えを聞いた瞬間、ダージリンはいきなりテーブルの上のスタンドのスイッチを入れる。この日の天候を見越してかスタンドの灯りは赤々と部屋一体を照らし出した。そのままダージリンは花瓶の造花の一本。
白い造花が前に来ている花瓶の上に当たっている電球の灯りを最大にした。
無言のまま、ひたすら時間が経過する。
お互い何も言わない。変化があったのは、白い花の方だった。
黒い染みが現れたかと思うと、それはどんどんと巨大化しいすぐに白い花はほとんど黒くなる。
「感熱紙……でしたか」
それがどうやら、レシートに使う感熱紙を切り取って造っていたらしい事にエゲリアは気がつく。
これでは、本を読んでいたと言ってばれたら後には引けないところだった。
エゲリアに取って、今ダージリンがやってくれた事はかなり屈辱的な事だ。
「ボクとしてはさ。手帳を回収したいんだよ。
ああ、ボクがちょこちょことこういう事を書き貯めている手帳。
忘れちゃったんだよね。前にここに来た時に」
どうやら、ダージリンがここまで粘りたがった理由もそこにあったらしい。
エゲリアはとにかく嘆息するしかなかった。
「これの事ですか?」
エゲリアはテーブルの引き出しを開く。中にはややサイズの大きな革製の鍵付きの黒い手帳。
「それ!返してもらうのがボクのホントの目的だったんだ」
「貴女の考えている事は分かりやすいのか……
分かりにくいのか……本当に謎です」
そう言いながら手帳を渡す。
ダージリンは受け取ると、まず最初に鍵をはずして中身を確認する。
ページをパラパラと捲りながら、あるところで目が止まった。
見慣れない流暢な筆跡の文字。
書かれているのは、あるアンティークのオルゴールのメモ。
内容は大体、そのビスクドールの部分。
長い豊かなウェーブのかかった髪をした、小柄な肌理の細かい少女を象っている……
「あ……」
大きくダージリンは口を開いた。そして、自分とエゲリア以外に誰もいないはずの部屋をキョロキョロと見渡す。窓にかかったマントとカーテンがうまい具合に外からの目を遮っていた。
「でも、あの地龍殿は必ず無くなったら……
マスター殿の為にそれ以上の事をする方なのですよ……」
エゲリアは最後にダージリンの方を見ずに、多分独り言なのかも知れない言葉を呟いた。
ダージリンは本気で気まずそうに頭を掻く。
何やら薄々勘が告げていたものが、ここまで気まずいものだった事を知り、
正直肩身の狭い思いにかられている。
「エゲリア姉さまー!なんかおやつと一緒にあった黒い鍵の付いた手帳があってね!
それを何とか外から見てたら、面白い知識が色々と書いてあるみたいだったよー!」
隣の部屋から秋桜の無邪気な声が響いてくる。
ダージリンはここで思いっきり取り乱した顔でエゲリアを見た。
エゲリアは、『いや知らない』と言う風に肩をすくめるジェスチャー。
今度は本気だった。
そんな2体に階下で帰って来たマスターとプレゼントを紛失した代わりに一緒に開店記念の買いものの約束を取り付けるポコスの言葉を聞きわけるには、マント一枚でも結構な隔たりがあった。



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