りいん――
澄んだ音が境内に響いた。
灯籠の灯りが闇に浮かぶ。
朱塗りの鳥居、石畳の広い参道、全てが闇の衣を纏っている。
朝町の一角にある神社の境内は昼間の縁日の喧騒がまるで幻だったかのように静まり返っていた。
りいん――
また、澄んだ音色が境内に響く。
時を忘れたかのようにただ風鈴の音だけが木霊する、そんな夜の神社。
そんな中静寂を破るように、さくさくさくと軽やかな足音が聞こえてくる
「やっぱり、縁日の後だとみんなはしゃいでるんだなあ」
感嘆したように足音の主は独り言を呟いた。
伸ばした長い緑の髪が緩やかな風になびくのが暗がりの中に映える。
昼間は縁日で賑わったこの場所も、今騒がしく行き交っているのはどうやら風の精霊だけのようだ――そう彼は風の精霊の意思を感じながら思う。
風の流れを彼は意思として感じ、言葉として聴く事が出来る。
風龍である彼――風矢には。
「っと……こんな事してる場合じゃないよな」
同属である風の精霊の予想以上の盛り上がりに暫し感覚を寄せていた風矢は、しかし本来の目的を思い出すとそのまま境内へと続く石畳の参道を真っ直ぐ進む。
ある龍に頼まれた重要な場所へ真っ直ぐ進む。
青白く浮かぶ石畳の参道を進んだその先にある本堂、その真正面まで来ると風矢は暗がりの中、月の微かな光を頼りにキョロキョロと辺りを見回す。
「これ……かな?」
とりあえずは、目当てのものだろうか。頼りない光の中で働く目の働きを精一杯に働かせて、記憶している条件に合致してものなのかどうかを確認する
幾重にもリングが重なって一つの球体を成した奇妙な器具。
「この地球儀……だっけ?みたいなものが――」
「それは渾天儀……どすなあ」
小さく、しかし妙に明瞭なトーンで聴こえてくる涼やかな独特の訛りある声。
「え?」
聞きおぼえがあるような……そう感じている間にも、涼やかな声が耳に入りこむ。
「昔のある大陸の人々が宇宙に想いを馳せて地上の動きを想像して作った模型……地球儀の前身の一つどすなあ」
「っっ!!どど…ど、どうして……」
風矢のクールな佇まいが一瞬で崩壊する。
過剰なくらいのリアクションで後ろを振り返ると、整った顔を強張らせながら問い掛ける。
「どう……して、貴女がここにいるんですか!?」
知らない者同士では無かった。直接の面識こそあまり無いものの、風矢自身のマスター、そして同居する悪友とも言うべき光龍地龍たちを通じて話を聴いていた事はある。
それこそ漆黒がそのまま人型になったかのような、腰の下まで伸びる長髪。濃紺の絢爛な布地が使われた独特の衣装――振袖を纏い、細い腕と顔は異様なほどに白い。
「ごめんやす、風矢はん」
そう言って穏やかに微笑む。唇と双眸の鮮やかな赤さが印象的だった。
142番地の教皇のところの闇龍至和子。それが彼女の名だった。
「え?こ、こちらこそ……それがそうと、何故貴女がこんなところにいるんですか?」
ようやく冷静さを取り戻して来た風矢は挨拶を返しながらも、既に普通なら皆が寝静まっている時間を狙って来た筈の自分以外に、(しかもいつの間にか)姿を現した理由をとにかく聴く。
「おや?」
風矢の言葉に対してこれは心外。とでも言いたげに、至和子は眉を顰める。
「夜中におまいりに来たら、ほんまにせわしない音がしてはるし。
そないなん誰でも気付きますわ」
その至和子の表情はまるで悪戯をした子猫を見つけた時の表情……とでも形容すればいいのだろうか。
「あぐ!」
風矢は言葉に詰まる。考えてみれば彼女は闇龍なのだ。夜中は逆に力が強まる時間帯だろう。
「これは……確かに失礼しました。僕も随分と迂闊だったみたいです」
分が悪いのは明らかに自分自身の方だと感じ、謝罪の言葉を述べる。
ある意味で、こういうタイプの相手は最も風矢は苦手かも知れないと感じた。
「風矢さんこそ、こんなところで何をしてはります?」
今度は至和子が風矢に質問をする番だった。今のやり取りのお陰で風矢は随分主導権を取られてしまっている。
「ぼ、僕はただこの神社に探し物があって来ただけです!」
頬の筋肉をひくひくと引き攣らせながら、若干喧嘩腰になってあまり答えになっていない答えを返す風矢。さっき見つけた奇妙な道具――至和子の曰く渾天儀をばつが悪そうに後ろに隠す。
「小町さんの……どすか?」
「な……?」
その一言で一気に風矢の顔が紅くなる。
「さっきから知ってたように一つの場所を探してはった。
そのくせ、その探した者がなんなのかようけ知らへんようやったし。
それに風矢はんくらい『ぷらいど』高い男子がわざわざ自分から世話焼きたくなる……このくらい材料そろったらなあ」
(ある意味この女悪魔だ!)
そんな考えが風矢の心に何度も反響した。
気がついた時には、すっかり外堀を埋められてしまっている。
「い、いい加減にしてくださいよ!至和子さん」
「それはそうと、けったいな話どすなあ」
思わず激昂したが、しかしまたここでも話を逸らされる。
橋のも棒にもまるっきり掛らない感じだ。
「え?」
キョトンとして呆ける風矢をよそに至和子は続ける。
「いえ、その小町……はんの聴こえる言う声」
至和子は小さな顎に手を当てて考え込むような仕草をする。
それはつまり、風矢の想う相手の最大の特徴でもある。
「大宇宙の意思……ですか?」
「そういうことですわ」
ちらりとその紅い切れ長の視線向けて頷く。
「で、でも彼女はそれはそういうものだって言っていますし」
これは本当のところだ。風矢の想い人である光龍、小町が常に声を聞いていると言う『大宇宙の意思』の言うところはこれまで風矢が知る限りでも外れた試しがない。最初は風矢自身もどこか訝しんでいたものの、今はそれが彼女自身をも苦悩させていた事を知っているし、軽んじる者に怒りを覚えるようにもなっている。
「人も龍も、自分の思っている以上にものを都合よく解釈する癖ってものはあるそうやなあ。
そこのおみくじしかり、血液型の占いしかり。
たまたまあてはまる思うた事をほんまや思いたくなるのを『ばーなむ効果』とか言いはるそうどすけど……」
「つ、都合好くって!」
風矢と同居している地龍の少女もそういう占いを好んでいるからこそ言える。小町の口にするそれは、そういうトリックじみた話の類では無い。そう反論しようとするが、その時に白い指先が自分の後ろの渾天儀を指しているのに気がつく。
「ところでその渾天儀、何のためにの道具や思います?」
「は……?えっと……いや、貴方さっき自分で昔のある大陸の人間が地上の動きを想像してものだって?」
訳が分からないとでも言うように、風矢は至和子の発言の矛盾を問う。
「そう、地上の動きを想像して作った模型どす。
ところで、風矢さんは宇宙ってのをどないに考えてはります?」
「う、宇宙を?」
唐突に話を振られた課題を思考してみる。
そう言われると、随分漠然としている気がする。
風矢が抱く宇宙のイメージと言えば、どこまでも果てなく続く真っ暗闇のン中で自分たちを包むちょうどこの夜のような闇。そんなイメージがあった。
「渾天儀が造られた頃は、地上は水の中に包まれていて、宇宙は水槽みたいに大量の水に囲まれていると考えられていたそうどす」
「み……水の中に」
「それに限らず、ある時期では天が地上の廻りを廻ると思われて、天は地上を廻っていないとどう証拠をつけるか?
それが段々と認識が変わって、ある時期では地上が天の間を廻っていると考えられるようになって。地上は天の間を廻るとどう証拠をつけるか?
そして認識がまた変って、そして直接に地上から別の月や星に辿り着けるようになってまた宇宙の認識が変わって……」
宇宙の事に関しては、マスターを始め誰かに聴いたり、本を読んだりして無意識のうちに確固とした認識をもっていたつもりだったが、それが随分あやふやになってしまったような気がした。
「そこで風矢はんは、宇宙ってのはなんなのか自信持って言えますか?」
言葉に詰まる。
「それ……は」
「案外自分で信じている常識はあてにならないならないもん違う?」
明らかに詭弁のようなものだ。しかし、言葉に詰まる。
「ふふ、私も意地悪しすぎましたわ。ちょっと立ち寄らせてもらうだけやったのに。
まあ、これもそれも……」
そこで初めて漆黒の闇龍は自ら動いて境内の中に足を踏み入れる。
何やらごそごそと境内の中、風矢の探した場所とは別の場所を探す。
やがて、その白い細うでから何やら長い布地が現れた。
「浴衣……?」
薄いピンクの可愛らしい柄だが、妙に丈が長くまるで背の高い男性が着用するみたいな
「あ!」
そこに来て、風矢も至和子の手にした者が何なのか思い至る。
横目でチラリと風矢を至和子は見る。
「今日の縁日あの二人を二度ほど目にさせてもろうたけど。
ほたえが過ぎて帰り道に、一度目はつけていたこれを……や言う事」
「小町さんが言っていたラッキーアイテムって……」
少なくとも、今回は風矢自身にはやたらと廻りくどいものだったらしい。
同居龍の仲を取り持つ役目になってしまった訳だ。
「まあ、でもこれであの二人がまたどこかに出かけてくれるお陰で、僕は自由にやれる訳ですしねえ。
良しとしますか」
それにしても、大宇宙の意思に対しても随分と意地悪な見方をする者がいる事がある意味収穫かも知れないな。風矢はそう思った。
再び、神社の境内に静寂が戻る頃にはきっと何事も無かったかのようになっている。それも一つの大宇宙の寛容さなのかな。と思いながら風矢はいつかそれを確かめてみたいと感じながら帰り支度をしようと思った。