「『神様の声』が聞ける……って、どういうことなんでしょうね?」
そう呟くと、淡い緑色の長髪をふわりと揺らして風矢は飾り気のない板張りの部屋の中央に置かれた来客用の椅子に腰かけた。
その上に両肘を突くと、前にもたれてその整った頬の端を掌で抑える。
あからさまに拗ねた事を示すポーズだ。
「これがおみくじだったとしたら、『凶』をひかされましたって事かしら?」
それまで風矢に背を向けた格好で部屋と同じく殺風景な事務用の机の上の書類に走らせていたペンが止まり、クールなリズムの中にどこかからかい混じりの雰囲気を込めた声が響いた。
足を綺麗に組んだまま、その後ろ姿は最小限の動きで滑らかに回転椅子ごと風矢の座っている入り口の方に反転し、そこには見知った顔が現れた。
スーツにタイトスカートの服装の上に白衣。
すらりとした足を椅子の前で組んでいるが、それが下品な感じになってないのが彼女らしいと言えた。
いつもは風矢と同じように長く伸ばしている真っ直ぐな黒い髪は今は後ろで一本に括られている。
見知ってはいるものの、風矢にとってはひたすらに苦手な相手だったし何より今の服装、職業、口調は全て初めて目にするところだった。
「そうとも言えるかも知れませんね、あの変態から逃げられたら今度は貴女とお相手する事になるとは……至和子さん」
頬杖をついたまま、しかしクールさの仮面だけは何とか守って嘆息しながら言い返す。
ここは朝町の外れにある役場とは別の病院(どうやら個人経営らしいが、細かい事はもちろん謎だしつっこむと面倒な事になるのは明らかだった)。新しい歳が明け、一年前に付き合いを始めた恋人とのデートに初詣を終えた最中にその恋人(正確には龍だが)の小町がちょっと風邪を引いたのか気分が悪そうな様子になった。
流石に龍とは言え、無茶は禁物と言う事で念のため参道から比較的近いところにあるこの病院を訪ねてみたのだった。
「そしたらお正月でも診てもらえるところまでは良かったんですよ……
ええ。まさかインターホンで聞いた宿直やってる女医さんが貴女だったとは」
と、まあそう言う訳で至和子が応急で小町の診察をし(何やら風邪の診察なのに良く分からない機械仕掛けの顕微鏡やらカプセル状の良く分からない薬を使おうとしてたように見えたが、風矢は無理矢理なにかの勘違いだと割り切る事にした)、特に異常は無く単なる慣れない長距離の移動に疲れたんじゃないだろうか。との推論にはなったものの少しの間は彼女を休ませた方が良いだろうとのここにいる両者の判断でベッドに少しの間休ませる事になった。
その間、ついさっきまで風矢は小町の傍で林檎を剥いたり、シーツを取り替えたりして看病していた訳だが、今はその甲斐あってかぐっすりと小町も寝入り、風矢は処置をしてくれた(本当に一応は)恩を告げようとこうして待合室に顔を出したのだった。
「で、そうは言うもののこうも意思の声で災難に逢っちゃたまらないと……
そういうこと?」
「わかってるじゃないですか」
ついでに言うと、普段町で会う時と違って訛りが完全に抜けている(カプセルも『かぷせる』ではな『カプセル』ちゃんと発音していた)
そもそも、初詣に行く前に小町は最近は以前に比べて滅多に口にしなくなった例の『大宇宙の意思』で今回はこの病院が近くにある神社に行こうと言い出したのは小町だったのだ。
「今にして思うと、これを予見してたのですかねえ……?
病気になった時にあわよく看病してもらえる場所を」
と口にして、やっぱりそれは絶対違うだろうな。と風矢は思い直す。
あの『大宇宙の意思』は、もっとしょうもない欲望で動くはずだ。
「まあ、それはそうと風矢くんが言いたいのはこうじゃないの?
彼女はまさに普通とは一線を画す、まさに『巫女』だって」
組んだ足を動かしながら、至和子は少しだけ前に出て風矢の目を観る。
格好も口調も違えど、また前のようなあれだ。
「なんのことだか……私は基本的に神様がいるとしても、そういうものと話せる事が対して凄いとも変だとも思いませんね。
ただ理屈じゃ説明付かない、不思議な事だってだけで」
「この先の神社にうっかり目移りしていたと意思は仰せなわけだしね」
「!!は?なにを……」
唐突に話題を変えた至和子の言葉に、思わずそれまでのクールな仮面が剥がされる。顔を真っ赤にしながら狼狽する風矢に対して至和子は困ったと言うように米神を掻く。
「そう言うのよ。大宇宙の意思が」
怒りなのか恥なのか、風矢の顔はこれ以上ないくらいに真紅になっている。
それこそ、まるで巫女の赤い千早みたいな色だ。
「ごめん嘘。
ただ、ここに来た時まで風矢くんは破魔矢をこの先の神社でバイトの巫女さんの持ち方で持ってたし、そして看病の時にはそれを小町さんに握らせてわざわざ小町さんだけが付けてるあの髪飾りを真っ先に直してたから何となく……」
「貴女、いい加減あの変態ともども僕の前から……」
同じ病院繋がりで思い出した、最近かなりゴタゴタしているある龍とダブらせつつ、至和子に食ってかかりそうになる風矢。
「一応ね、これ馬鹿にしっぱなしじゃないのよ」
怒っている風矢とは対照的に、至和子は益々意地悪っぽい笑みを浮かべてその白い指を風矢の隣に指す。
「??」
「それ、何だと思う?」
その先にある資料のようなものを展示するケースの中には木彫りの奇妙な柱。
「何ですかこれ?どこかの民芸品みたいだけど」
一瞬、怒りを忘れて怪訝そうに尋ねる。
「あれ自体はそうやって売りに出されてたものなんだけどね、
でもこの木彫りのやりかたそのものは、所謂『大宇宙の意思』を聞ける者だったらしいわ」
「大宇宙の意思?」
完全に虚を突かれたように風矢はすっとんきょうな声を出した。最初のクールさはもはや完全に台無しだった。
「何でもここから大分海を渡ったところのある大陸の……
今では相当の民族が主権を奪って経済と機械で発展してるそうだけど。
そうなる前に住んでいた人間たちは、他に住む異種族達と自分たちの持ちつ持たれつの関係を、ああやって神様に答える形にしてたものらしいわ」
「異種族と?随分とまた酔狂な人間達ですね!」
あまりと言えば、あまりに飛躍した話に呆れながらも、風矢は内心でちょっと自分たちの住む町と自分のマスターと、そして自分の恋人が異端とみなされずに受け入れられる暮らしを想像する。
「何も『神様の声』を聞ける『巫女』ってのが特別な才能である必要はないって事ね。小町さんのあれは確かに抜きん出てるけど、必要なのは物事を良く見る事と良く耳を澄ますこと……」
良く見る事と、良く耳を澄ます事。
なるほど、それ自体は何も難しい事じゃない筈だ。
「後は想像力……ですかね?
その形にならないものを想像する能力」
そう言う風矢の脳裏には、最愛の恋人と同時に悪友に主人にそれ以外の関わった者たちが浮かんだ気が何となくしていた。
「細かく考えなくてもいいんじゃなかとは思うけどね。考えるのは面白い事だし」
誰でも自分の信じる者の為に動いて、知らず知らずにその為に必要な声を聞こうとしている。
なら、自分は自分のこれから先にある何かに目を凝らし、耳を澄ませばいいのかも知れない。
「68番地の小町さん、受付まで……」
そこで院内のアナウンスの声で風矢は我に返った。
「ああ、どうやら小町さんの診察も終わったようですし、私はこれで失礼させてもらいますよ」
またいつもの風矢に戻っていた。
椅子から立ち上がり、一礼して風矢は資料室のドアを開け、待合室の方へと戻って行く。
「貴女は本気で苦手な方なので、出来るだけ関わりたくは無いのですが……」
それだけ言い残すと、ノブの閉まる音がする。
至和子は再び、ペンをカルテに走らせた。時間は既に昼過ぎになっていた。
ふと、窓際に耳をすませる。
初詣に願をかける足はまだ途切れる気配は無い。
住んだ鈴の音が聞こえ、今日になって最初の神楽の音が聞こえてきた。