石畳の路地裏を長く歩き続けるには、その少女の紅い靴はとにかく不似合いだと言えた。サイズの小ぶりな足に履く紐の無いそのデザインと言う意味に限らずに、その靴の主である少女が今歩いているうらぶれた屋台が軒を連ねている通りの風景そのものが少女のイメージとはまるで噛み合わない。
ふわりと広がる長い髪の毛は、もうちょっと光が当たる場所ならばきっと鮮やかに映えるであろう見事な紅い色を誇っていた。大きな愛らしいワインレッドの瞳の奥には、その可憐さと同時にどこか奥底に外見とは不相応な成熟した怪しさのようなものを感じさせる。
白い肌にレースやリボンをあしらったドレスに身を包んだ、その華奢な少女の姿は明らかにこのうらぶれた屋台と木造のレトロな店舗が軒先を連ねる小路で異彩を放っていた。
「それにしても困りましたね~」
何やら曰くがありそうな陶器の皿や怪しげなラベルが貼られた瓶詰の薬品らしきものが出されている露店の前を通り抜けて、既に古くなってはいるがそれでも丁寧に磨かれているガラス張りのショーウィンドーの前で立ち止まると、紅い髪の少女は妙に芝居がかった仕草で溜息を吐いた。
ショーウィンドーの向こう側。ガラス一枚を隔ててちょうど少女の正反対に存在するのは、一着のドレスだった。
ベージュ色の落ち着いた色調をした、襟から下までをボタンで留めて着用するシンプルな造りの所謂チャイナドレスと言うタイプだ。
但し、観光客が遊びで着用するようなものでは無くれっきとした年代物の資料的価値も備えている逸品である事は、少しでも見識を持つ者なら一目瞭然であった。
良く磨かれたショーウィンドウのガラスには、それを見つめる少女の姿も同時に移り込む。上空がゴチャゴチャと鉄骨や雨避けなどで邪魔されて入り込む陽ざしが弱い事が、その見事な紅い髪をまるで黒髪のように見せてどことなく雰囲気を変えて見せていた。
そうやって、少しの間ドレスを眺めた後にその小さな両手を後ろに組んで、周りを見渡す。
シャツ一枚のラフな格好をした中年から壮年に差し掛かろうとしている労働者風の男たちがせっせと火柱が立つほどの油を熱して鍋を返している。
石畳の上に並べられた煤けた何本かのパラソルの下に、それぞれ円形の木製のテーブルと椅子が並べられている。
「あら?」
その内の一つにテーブルの面積一杯に料理が並べられ、それに一人で箸をつける一人の影を見つけた少女は、『深窓の令嬢』の表現がそのまま当てはまる優雅な足取りで近づいて行く。
そんな風に思い悩む、天使のように愛くるしい少女。
それがこのように朝町の裏通りに位置する繁華街で1人いたら、
薄暗い奥の鳥籠の中でガンガンと嘴で檻をつつく音が響いた。
傍らにはサソリの殻が捨ててあってそれを何とかスルーしながら、更に歩を進める。
「あれ?」
そこで何かに気が付いたように火乃香は軒先のそのテーブルの前で足を止める。
それに気が付いた、恐らくは並みの成人男性で3、4人分は優にあるであろうブタの丸焼や、蟹の蒸籠蒸しや、海老の辛子と大蒜炒めなどを箸で突いていた相手も椅子の後ろに立てかけていた大きな男物の白いコートに反射的に箸を持つ方と逆の手を当てて振り向いた。
「こんなところでお会いするとは、本当に奇遇ですねー」
スカートの襞を摘まんで、過剰なくらい慇懃に少女は一礼する。
それは互いが互いに一応の見覚えがある顔であった。
「えーっと……キミは確かブリギンドの……」
ブラウンのくっきりとした瞳を大きく開いて声を掛けてきた少女を見る。
茶色の髪を短く切り、褐色の肌にワイシャツ短パンのまるで男のような服装をした、見た目はそれほど大きな年齢差のあるように見えない、ある意味紅い髪の少女とは対照的な風貌の少女だった。
「はい、68番地のうーちゃんところの火乃香です。貴女はダグダのダージリンさんでしたね?」
少女……朝町68番地の羽堂亜理紗宅在住、炎龍ブリギンドの火乃香はこの朝町の外れの繁華街で思わぬ出会いをした、142番地乾宅の地龍ダグダであるダージリンに挨拶をして、にっこりと屈託のない笑みを浮かべて見せた。





「に、してもキミがこんなところに居るとは意外だった。
一体、何で?」
とりあえずは、火乃香を向かい側の椅子に座らせてお茶を注いで勧めながらダージリンは話を切り出した。
2人の少女以外に客らしい姿の無い、店頭で黒いスーツ姿に身を包んだ屈強なウェイターがさり気なく目を光らせたように見えた。
「それは用が無ければ、こんな町の中以上の物騒な、おまけに不潔な場所に普段から立ち入る女の子は居る訳無いですよ」
お茶を音も立てずに両手で啜りながら、平然とそう嘯く。
当てつけ気味に自分に対しての皮肉を言われた事を察してか、ダージリンはその髪を短く切り揃えたこめかみに手を当てながら少しだけ苦い顔をした。
「つまり、用があるんだね?」
無暗に深く問い詰めると、キリが無くなるだろう事を早々と察してか棘のある台詞には触れずに改めて、火乃香の真意を問いただす。
「まあ、そういう事になります。ああ、別に大した事じゃございませんよ?」
そう呟くと、ワインレッドの視線を向かいの地龍から、後ろ側になっているショーウィンドウの方に向ける。
周囲のウェイター達の視線が、今度も明らかに変化した。
「ひょっとして、あのドレス?」
もたれていた椅子から身を乗り出して、ダージリンもまたショーウィンドウに注目した。
ベージュの年代物のチャイナドレス。装飾品と言うよりも美術品と言う表現が的確だ。
何やら只ならぬ空気を本能的に察知したのか、鳥かごの中の鴉が大きく羽をばたつかせて奇声を発するのが、2人の耳に入った。
「ええ、昔ある娘が使ってた……とでも言いましょうかね。
あれを一着、引き取りたいと思ってるのですよ」
納得した事を確認でもするかのように、火乃香は軽くウィンクをしてみせた。
「この店に飾られているのが、どういう意味を持つのか……」
知ってて言ってるの?……と言おうとしたダージリンの台詞を火乃香は遮る。
「町の質屋やら、トラブルで流れて来たあらゆるアイテムのうちで回収出来た物を高値で余所に売っている商売を筆頭にあらゆる商売で身を立てている、さる方のお店……
まあ、随分とあくどい商売ですね」
一気にまくし立てた。
ダージリンは半ばあきれ顔で思わず周囲のこの店に仕えている屈強なウェイター達に注意を向ける。
流石にここまで露骨な物の言い方をして尚、彼らが大人しく返してくれるかは非常に怪しかった。
ここのならず者達は、実益と同じくらいに体面に拘る事はここで色々と『仕事』をしている者なら常識である事を果たしてこの炎龍の少女は分かっているのか。
「分かってないとは到底思ないけど……良くそう言う事が言えるね。
ここはああいうのも普通に置いてあるみたいなんだよ?」
と、ここで急に耳打ちして鳥籠の方に視線を促す。
鳥籠の鴉とサソリ。
この物騒な場所ならば、鳥を調教してサソリ等の動物毒を仕込ませるなどはよくある話だろう。
とりあえずダージリンは内心思いながら場を取り繕う意味も込めて、もうちょっとだけ深く聞き出すことにした。
「ある娘が使っていた……って。
大抵、含みのある表現を使う話なら、キミが使っていた……って事かとも思うけど、
いーや、それは無いね。
あれはそもそも、誰かに使われたようならああして店頭に出されたりしない」
確認するかのように、自分の台詞を反駁しながら少しだけ強い語気でそう言う。
「あら?誰が使われた物だって言いました?
別に着用まで至らなくても、予約を入れてそれが届かないままここに流れてきた話なら十分話は通りますよ?
そう、私の妹のですよ。
随分早い段階で縁談が持ち上がって、それで頼んだものもまともに買えないまま嫁いでいったのです」 
その部分だけ、重苦しさを感じさせる言い回しだった。
胡散臭いのに、それを本当の者として扱う事になってしまいそうな、妙な感覚。
「とにかく口が上手いね、キミは。
なら、その予約していた相手は結局不慮のアクシデントであれを着られないまま終わって、あのドレスは流れてきたと?
まあ、そんな事があるのならそれはマスターじゃなくて龍の方だね。
余程の事がない限り、マスターは別のとこでも使用できそうな物はきっちり買っていくと思うし、龍で直前まで購入する予定でいて立ち消えになるなんて事があるとしたら、それは急に誰かと結ばれる事が決まった龍が最後に欲しがっていて……
あのサイズからすると、ひょっとしてキミのお母さんか姉妹かな?」
どうやら火乃香の言葉から概ねの仮説は組み立てられたらしく、考えついた事を並べてみる。
「まあ、見た感じとは裏腹に意外と頭は切れるご様子で感心しました。
そのラフな格好は伊達にこの町にいて情報を稼いでいない証拠だと思うのですよ」
褒め言葉と受け取るのは無理だろうな。と思いながらダージリンはコートを羽織る。
「やれやれだぜ……」
何故かポケットに両手を突っ込み、キャラが明らかに違っている一言を言う。
「何か愛読されている本の受け売りでしたっけ?」
これに関してだけは、逆に深入りしない方が良いと火乃香もまた強く思った。
「とは言っても、噂に聞く貴女の砂の精霊使役は是非借りたいのですけどねー」
ダージリンがここに居た事は、真面目な話火乃香にとっては嬉しい誤算と言えた。
砂に限らずに、土と石があればそれらに干渉して人型になって使役できる聞く彼女の精霊。
朝町の地龍の中でも、こう言う能力を持つ彼女は潜入を行う作業にはうってつけと言えた。と言うよりも、うってつけだからこういうところで彼女も活動しているのだろう。
「じゃあ、早速あそこに忍び込むの?気が引けるけど」
やるべき事に関しての話も決まったところで、ダージリンはトントンとテーブルを指で叩く。
さっきから既に素人でも容易に察知が可能であるほどの、注意と殺気を込めている見渡すところ、最も若く屈強そうなウェイターが近付いてくる。
若いが故にこの店の主人に対する忠義心も強いのかも知れない。
事情を考えれば、多分間違ってはいないだろう。
うっかりすると、逆にある事無い事でっち上げて体よく口止めをされるかも知れないと言う考えを脳裏に浮かべながら、ダージリンはポケットから財布代わりの巾着袋を取り出した。
「御馳走様でした。これでお願いします」
袋から取り出したのは町で使われる貨幣では無く、ステラの欠片を4個に小鬢に入った液体……火乃香も良く知る魔薬の入った小瓶だった。そして、霊石、など現金の代わりに間違いなく高値で取引できるかまたは合成で高価になる可能性の高い品々を男の手に渡す。
「ありがとうございました」
男は無機質な声でそう言って、踵を返していく。
かなり殺気立った雰囲気を立ち込めながらも、一応は客人に対する対応だ。
「口止め料込って事ですねー?」
その後ろ姿を見送った後、椅子に座ったままで火乃香は黒服のウェイターを見ながら言う。
「まあね。何はともあれ、あれだけ渡しておいて大人しくしとくならとりあえずは手だしいないだろうしね」
そう言いながら、ほんの僅かだけ気まずそうにそのはっきりした造りの瞼片目を閉じた。
流石にせっかく場を収めたのにまた余計な事をわざわざ言い続ける火乃香の真意を測りかねている様子だ。
「いえいえ、前言撤回するですよ。
同じ朝町でも中心地での生活とこういう場所での過ごし方を使い分けられる貴女を同じ女の子として尊敬するのです」
明らかに皮肉たっぷりの讃辞を述べながら、白い小さな手をダージリンの褐色の手を取って掌をその華奢なりに強引に開かせて、何やら角ばった手触りのするものを握らせた。
「!?」
「にしても、貴女は本当にしたたかですね。
こうして、賄賂を渡しておきながら一品だけ武器としても取り引きとしても使える実は複数あった神器の一つを持ち歩いているのですから」
手を開くと、傘の中から確かに朝町で至上のアイテムに位置づけられる神器である朱雀が一本握られていた。
それは完全に引き金になった。
数秒の間を置かないうちに、皮靴の石畳を激しく叩く独特の乾いた音が几帳面なリズムを持って響くのがそれぞれの龍の耳に聞えた。
ついさっき離れて行った黒服のウェイターが2人の傍に近寄って来る。
火乃香はどこか口元を静かに緩めて傍観するような静かな笑みを浮かべている。
ダージリンはただひたすら口を横一文字に結びほとんど無表情のまま、見上げるほどの体躯のウェイターの方を眺めた
「お譲さん方。少々お伺いした事がありますので。
少し店内の方へ」
低く野太い声で男は2人に扉の方へ一緒に来る事を促す。
部屋は回転ドアになっていて、更に今2人が立っている外側からは内側を覗く事が出来ないような造りになっている事が見て取れた。
「ああ、わざわざ中に入れて料金の不正を改めるのですね」
表情を全く変えないままに視線だけを変えて、火乃香は男を見る。
からかうような火乃香の口調に僅かに無表情を装う男の頬がひきつるのが見えた。
周囲の露店やほかのウェイターが獲物を見るような眼で監視する中、そのまま2人の龍各々の倍か3倍はあろうかと言う太い腕で強引に中に引き入れて行く。
「ちょっと!」
「……」
男の非常に強い。高位龍に入る筈の2人でも流石に若い少女の姿を取っていては力では抵抗の余地も無かった。
あっと言う間に回転扉のところまで移動させられる。
すぐ隣に厨房がある事で、肉の生焼や油のきつい匂いがまともに風の乗ってくる事に火乃香はむしろ腕を引っ張られるよりも不満げだった。
「ここでしばらく大人しくしいるんだ」
当然と言うべきか、男は既に敬語では無い。
ちょっとだけ、悪のりが過ぎたかと火乃香は僅かに男に対して気の毒そうな顔をしてみせた。
「しばらくは、大人しくしている時間だけをもらうですよ」
その言葉と共に差し出した白い指先を立てた。
伸びる先は、調理油の詰まっている鍋
一瞬、凄まじい熱気と空気圧が回転ドアを包みこんだ。
周囲のウェイター達と露店の者たちが、それが中華鍋の燃え盛った油が突然
鍋毎石のようなもので転倒した事に気付いた頃には、既に炎は手がつけられないほどになっていた。
薄暗い路地裏の料理店が一気に紅い光に包まれる。
熱で木の檻が焼けたのか、扉近くの鳥籠の中に居た鴉が数羽飛び出て行く。
熱気で膨張した空気が、鴉の羽ばたく音を一層強めていた。
「おい!消火液急げ」
次々とウェイターが遠くの指示を出して
炎の中から、コート姿の人影が飛び出てくるのはその時だった。
反射的に取り押さえる。どうやら不燃性の石渡を織り込んだ特殊なコートらしかった。
全員が押さえつけてコートを剥ぎ取ったその中から現れたのは……
驚愕の表情で大きく息を吐く自分たちより格下の若い屈強なウェイターだった。







「貴女と組んで正解だったですね、これで後はお目当ての物を持って行くだけですよ」
どこか遠い国の自分と関係の無い事件の一幕だとでも言うような態度であった。
着ていたフリルとレース付きのドレスをそのままショーウィンドウの真後ろに位置する倉庫の中に孫れ込ませて、今はこの店のメイドに扮した火乃香は満面の笑みを浮かべて呟く。
「……ホント、良く言えたもんだよ……」
ダージリンはボーイの服装に身を包みながら、腰に手を当てて呆れたように火乃香の顔を見てると大きく溜息をすると同時にそう呟く。
面白くなさそうに眉をひそめながらも、やはり今は状況が状況であるからか、そのまままた周囲に首を大きく左右に回して
周囲の様子を窺って見る。
さっきの騒ぎはまだ尾を引いているのか、ならず者風の男たちやその仲間達が店の中に入ってくる気配は今のところ無いようだった。
一応の安全を確認するとダージリンはワイシャツの上に羽織った赤茶色のベストと緑のネクタイの乱れを指で確かめながら
厨房のドアをこっそりと引き、中の様子をこっそりと覘く。
炎の精霊で足止めをして中に入った『女2人』をカモフラージュする為に一方はボーイ、一方はメイドのこの店……正確には屋敷部分の従業員の制服を奪ってそれに扮して、ばれるまでにお目当ての品を改ざんする。
「あら、貴女を仲間として扱って本当に良かったと思っているのですよ?
ここまで便利な方だとは思いませんでしたし」
店の外に居た頃よりもあえて『仲間』と言う部分に力を込めてショーウィンドウから一瞬だけダージリンの方を向き直ってそう言った。
「ここの主人さん、情報仕入れるお得意さんなんだけどな」
火乃香よりも周囲が気になるのか、そうぼやきながらちょうど騒ぎで残った関係者たちが周りを固めているかどうかをドアの陰からこっそり確認して窓から目線を反らす。
「おい!そっちも誰か居るのか?不審人物を洗い出すと主人がおっしゃっている」
ようやく鎮火したらしい玄関の方から急かすように、さっき自分たちを連行しようとしたウェイターとは別ウェイターの1人の声が響いた。
ボーイに扮したダージリンもまた、慌てて踊り場に降りて行く。
部屋を出る直前に火乃香に背を向けたまま、顔を振り向かせて振り向きざまにトレイを持つ手とは逆の指を立ててちょっとだけ悪戯っぽく笑って見せた。
火乃香はそれに手をひらひらと振って合図を返す。
そのまま、丁寧に扉を閉める音がして、慌てたように靴の音が消えて行った。
同じ場所に居ながら火乃香とダージリンの距離は再び遠ざかって行く。
見送った後をほんの少しだけ沈黙してから、自分のやる事を思い出す。
引き上げられた品物を順次確かめて、目当ての品がないかを確認する。





暫しの時間を置いて、そのドレスは見つかった。
あの時のドレス、
大事な妹の大切なもの
最後にそれを確認する名札に『火乃影』の名を示すサイン。
何よりも、火乃影の遺品である事を示す証拠……
それをずっと眺めていた。
思いはせる。
瓜二つの姿をして生まれた、まるで違う特徴を持つ姉妹。
似ているが故に違う
違うが故に一緒に感情を共有できて、似ているが故にすれ違った妹
そんな事を考えていた時、眼前が急に眩く照らされた。
視力が正常に戻るまでに恐らく数秒ほどかかったが、何が起こったのかを察するのに火乃香の頭脳はさほど苦労を要しない。
「……チェックメイトですか……」
今度こそ完全な自嘲の言葉を口にする。
振り返る視線のその向こう側には、自衛用らしいボウガンを手に取って武装した黒服のウェイター達と中央に、その黒服の1人に手を捻られてその身を拘束されているボーイ姿のダージリンと、その地龍の少女と同じくらいの体格の柔和な印象だが、どことなく独特の凄みを感じさせる白髪を後ろになでつけた老人。どうやら彼がこの店の主人のようだった。
「何故、こういう騒ぎを起こすのですかな?お譲さん」
あくまで穏やかに威圧することなく老主人は火乃香に問う。
口調は優しげなのに、何となく気を抜いていたら飲み込まれそうになりそうな迫力が感じられた。
「別にただ……貴重な遺族の財産を欲しくなるのはそれほど不自然な感情じゃないって事ですよ。
むしろ、自然な事です」
微塵も悪びれた様子の無い言葉と態度を取り、どこか空虚な微笑みを浮かべながら老人の問いに答え始める。
手を捻られたまま、それを見ているダージリンはそれを無言で見ている
あまりに人を組むに巻くような物の言い方に黒服のウェイター達が憤った空気になるが、老主人は穏やかな雰囲気を全く崩さないままに、それを先に制するかのように言葉をつづけた。
「そう言えば、このドレスは何年か前に1人の小さな可愛らしい女の子が注文したがそのまま引き取りに来ないので質屋からここに流れた来たんだったが」
そこに来て、老主人の眉がほんの僅か訝しげに動いた。
「しかし、既にその予定だった持ち主すら失ったドレスだろう。
こういう強引な手段を冒してまで奪い取る事を選ぶほど、お譲さん。
君は分別に欠ける娘には見えんが……」
そう呟いて、火乃香と彼女がここに忍び込むまでに焼けた扉の付近のある窓の方を見る。
これは状況的には立派なアクシデントで処理されるだろう。
発端を作ったのは、明らかに不相応な報酬をせしめようとした彼の部下だ。
小競り合いだからこそ、こうして主人が出てきた段階になっては最早責任追及は逆に困難だ。
「あら?貴方はいったい何のためにこういう仕事をなさっているのですか?」
火乃香は抑揚の無い言葉で続ける。
「この町はみな、それぞれの個人的な感情で動いています。
単なる下らない実益で動くも、個人の感情で激しいと呼ばれる感情に突き動かされるも、すべてが等しく同義ですべてが等しく無価値……
そんな中で貴方のやっている事はどのような意味があるのかとひょっとして、自信を持って言い切れるのですか?私よりずっと長く生き続けているでしょうに……」
最後にまるで切り捨てるような残酷な言い方をした。
ただただ、空虚に微笑む。
それは老人に対してか、隣のダージリンに対してか、黒服のウェイター達に対してか、自分に対してか。それとも……
老主人は何も答えずに静かに黒服たちに手で指示を出した。
ボウガンの矢が構えられる。
「命を取るとまでは言わないが、少しだけやった事のおしおきはさせてもらう。
このお譲ちゃんと一緒にな」
老主人は眦を釣り上げた。
「そうだ、お譲ちゃんの言うとおり。私も所詮はつまらない利益とプライドの為にこの仕事を続けている。
だから、メンツはつぶしたくないのだよ」
やはり、激昂している様子は微塵も伺えない。
ただ静かにそれだけを言って、手信号をした。
その時
「!!
ドアの閂が強引に外される音だった。
同時に、白いコートに身を包んだ灰白色の人型の
手に一羽の鴉を携えて。
「さて、キミのぶちまけていた幸福論だが……
こうしてこうして今のキミを見ても、幸せなんかぜんぜん感じないぜ。
キミの考える事は、最初から分かっていたからな……」
それこそ、誰に対して言いたい言葉だったのか分からないがとにかく渾身の気力を込めてそう言うと、ダージリンは砂の人形精霊とその手にならされて乗っている鴉に思わず怯んだウェイター達の隙を突いて、ダージリンは扉のすぐ傍。火乃香とは丁度反対側に位置する場所に立った。
砂の精霊が鴉を飛ばすとダージリンはそれを器用に手に止める。
石渡が織り込んであるらしいコートを同時に羽織ると、挑戦的な笑みを浮かべた。
「どういうつもりだね?地龍の方のお嬢さん」
慌てる様子を見せずに、老主人はウェイター達を纏めながらその自衛用と銘打たれた鴉を肩に移動させた地龍の娘に真意を聞く。
「まあ、火乃香さんの言いたい事も分かったしさ。
やっぱりそれが嘘付いた事でも、肉親の思い出は大事だと思うんだよ」
 いや、そういうので納得してもらえると思えないから……」
 猛毒仕込みの鴉を肩に止めたまま、少しだけ前方に滲みよる。
「ここは火乃香サンを逃がしてやってくれないかな?」
同意を込めるように、唇を吊り上げる。
くっきりした気丈そうなブラウンの瞳が大きく笑った。
「自分を人質に取るって流行らねえですよ?
浅はかもいいとこで馬鹿の極みです」
火乃香はそれまでのやや余裕のある態度から少しだけ激昂した様子で、ダージリンの愚策を詰る。
「ましてや、毒がハッタリかも知れ無いんですよ?」
 追い打ちを掛けるようにダメ出しを繰り返す。
猛毒が込められている事を2人は直に確認した訳では無い。
当然、アドバンテージが絶対にでかいのはこの店側の方だ。
「別に、ボク自身で試せばいいんじゃないかな?」
唐突に、躊躇いもなく嘴を自分の首筋に深く差しこませた。
嘴が深くダージリンの細い喉に食い込む。
「……う!あ……」
ダージリンの顔に汗が流れ、顔が青ざめて行く。
余裕のある笑みも、苦痛が激しいのか生気はみるみる内に無くなっていった。
やがて、体が痙攣して重力のままにうつ伏せに倒れる。
演技ではあり得ない、猛毒にやられた者の最期の行動だった。
そのまま、しばらく時が止まったかのように沈黙が流れる。
最初に打ち破ったのは主人だった。
「この娘は地龍だ」
「……!!?」
一瞬、老主人の発言に居を衝かれるウェイター達。
少しの見込みが悪い部下たちに呆れたように嘆息して、老主人は続ける。
「毒や麻痺を受けても勝手に解毒するのが地龍の特徴だ。ああ、幾つかの他の龍もそうみたいだが……」
言葉の意味を悟った時には、先ほどまでの紅い髪の炎龍の少女はいなかった。
いや、我に帰ったウェイター達が見た者は翼を広げて俊敏に去っていく巨大な龍。
それと、床に空いた一つの大穴。
意味を悟って悄然とするウェイター達に労いの意味を込めて片手でボウガン収める指示を出しながら、老主人は改めて被害を確認する。
「店の損害はひどいが、まあ収益で直すのは可能だろう。
結局、あの娘らは何一つ盗っていないのだしな……」
家族の者だと言う事で、ここまで強引な手を使ったあの炎龍の真意に引っ掛かる物を感じながらも、老主人はもう一度だけ被害を確認しようと、まずは炎龍の少女が目当てだったらしい、ベージュのチャイナドレスを改めようとした。
「?」
そこである事に気が付く。
疑問はあっと言う間に氷解していた。




 
「さあ、フェレスさん。少しだけ働いてもらうだけでいいのですよ」
数時間後、既に陽が暮れかけている朝町の広場で火乃香は同居人の闇龍の手を取って町外れまで足を進めていた。
「だから、何で僕が君の起こしたって言うトラブルの後始末を手伝わないといけないんだ?」
黒衣に身を包んだ長身の青年は必死に抵抗する。
「うちで貴重な男手の龍が、フェレスさんくらいしか今はいないのですからー
ここは仲間同士で協力するものですよ」
付き合いの長い親友か、ある意味ではそれ以上の者に向ける表情で言い放つ。
言葉の真意はともかく、態度はまさに本当に心の底から信頼する『仲間』に対してのそれだった。
「調子のいい事を言って……
たまには、余所で仲間と言える相手を見つけてみたらどうなんだよ?」
「あら?」
そんな最後のフェレスの言葉を無視して、火乃香はフェレスから離れて広場の中央にある姿を見かけた。
「まあ、奇遇ですねー。いえ、ここまで来たら腐れ縁とでも言いますか?」
ベンチに腰かけて、サンドイッチを傍らに空を見上げている白色の石綿込みのコートにワイシャツ短パンのダージリンが居た。
彼女も火乃香に気が付くと、片手を上げる。
首筋の傷はもう治癒している様子だった。
「ああ、御苦労さま。そっちはこれから?」
やたらと他人行儀な物言いに、何故か火乃香は腹を立てるような感覚になった。
ほんのさっきまで、一緒に悪事の手伝いをさせただけの間柄に過ぎないと言うのに。
「一応、あのお店の方には迷惑を掛けた訳ですしねー、この町での生活を円滑に進める為にも、念のため後腐れの無いようにフェレスさん働かせてお詫びしようと思うのですよ」
後ろで何やら本格的に罵り始めたフェレスをひとまず置いておいて、ダージリンはここで初めて苦笑いする。
「ああ、そんな事なら。たぶん大丈夫だよ?
あれで妹サン……火乃影サンがあの服を『着ていた』事になって、もっと元が取れそうなの
すぐに探すだろうからさ」
火乃香は笑みを消す。
「あの鴉の毒、あのサソリって中々解毒剤が無くってさ需要多いんだよね。
解毒剤をとにかくある程度持ってくだけでも、あの分のお金にはなる筈だから」
良く見ると、何やら試験管のような物が並べられたサンプルを傍らに置いている。
「ボクみたいに毒に対する抗体がすぐに出来る体質だと、結構それだけで有利な交換条件作れるからね」
何の事やらと思えば、どうやらさっきの鴉の毒を受けた後にさっさと採血したものから抗体を作ったらしい。
鴉が好む紅い色。
火乃香の髪や瞳と同じ赤に染められた薬品を見える位置に置いたまま、空を眺めていたらしいダージリンの元に、やがてあの時の鴉が羽音を羽ばたかせて降りてきた。
薬の地色は、どうやら黒らしい。全く同じものでも、赤をちょっと黒にして騙してやるだけであるいは誰かに影響を与えるようだった。
少なくとも、効果は本物だ。
「ねえ、ダージリン」
「え?」
鴉をあやすダージリンに、火乃香は真っ直ぐ手を差し出す。
「今日は本当に楽しかったわ……お仲間さん」
「よろしく!」
ダージリンも手を握る。
超回復の直後か、妙に体温が熱を持っていた。
貴女も結構な嘘吐きね、と言いたかったがそれは辞めようと思った。



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