この世には嘗て災厄は無かったという
それはたった一つの少女が
好奇心を与えられてしまい
その筺を空けてしまったのは?


禍霊


飲み始めて既に一時間は過ぎていると思う。
実際、飲み始めてから時間感覚がかなりあやふやになっている為に分からないが…
カフェにいるのは自分ことイソレナと、そして教皇である乾さん。
片や神職に就いている人間。
片や魔物といわれる元人間。
酒の飲み合い所かヘタをすれば殺し合いにすらなりかねない組み合わせ。
それがこうしてゆったりとした時間を共にしていること。
普通では実に不思議な光景であろう。
だがこの町…朝町だからこそのそれは、奇跡。
「そう言えば……イソレナさんはパンドラボックスなんですよね」
「ええ、パンドラボックスですよ」
ふと気付いたように乾さんがそう紡ぐ。
そっとライスワインに口付ける。
度数が強く、無理な飲み方をしなければ自然と飲み方が遅くなるこの飲み物は話をしながらというのには実に合っていた。
「人を捨てるって……どんな感じでした?」
「そうですねぇ……どんな感じといわれると……」
「えっと、ほらなんか世界が違って見えるとか何というか……」
「しいて言うなら……」
そこで一言切って僕はそっと杯の中身をくっと飲み干す。
「……この世全てを敵に回すって感じなぐらいですかね」
「な、なんか凄く大変そうですねぇ。やっぱり、簡単には慣れないんですねパンドラボックスとかって」
「んー……パンドラボックスになるのって実は人を捨てなくても良いのですよね」
「……えっ?」
乾さんの頭に疑問が浮かぶ。
いや、分かる。最初に気付いたというか教えてもらった時には僕も同じ表情だったに違いない。
「まあ、裏技みたいなものなのですが……種族パンドラボックスと職業パンドラボックスというのは違うものなのですよ」
「って言うことは、イソレナさんは職業パンドラボックスって事ですか?」
「ああ、いえいえ僕は既に種族パンドラボックスですよ」
この辺りで混乱してくるであろう。乾さんが首を捻る。いや、実際僕も分かる。
「んー、お酒の勢い。一時の戯言もどきかも知れませんが……お聞きになります?」
「……ええ、出来るなら」
「では……そうですねぇ、ワインでも飲みたくなってきましたねぇ」
「……」
僕の言葉に乾さんは肩をすくめると無言で自分の持っていたワインを取り出した。
その様子を見て僕は箱からグラスを二つ取り出す。
さて、準備は整った。
くいっと杯に残っていた最後の酒を喉に流し込んで僕は口を開く。


「パンドラって知っています?」
「えっとそれは……箱を開いてしまったという少女の事ですよね?」
「ええ、この町だとパンドラ=箱っていう構図が成り立っている気がしたので……取り敢えずの確認ですが……」
「えっと多神教のギリシア神話ですよね?神々から与えられた禁忌の箱を開いてしまった少女って……」
「では、パンドラの最後って知ってます?」
この質問に乾さんは黙って腕を組み俯く。
その様子を見つつ、グラスにワインを入れていく。
赤いワインがグラスにとぽとぽと継がれていく。
「そう言えば、余り聞きませんね」
「でしょう。なぜなら、神話にはパンドラの最後は書かれていないからなんですよ」
「えっ?」
乾さんの一瞬の驚きの言葉を気にすることなく僕は更に言葉を紡ぐ。
「パンドラはデウカリオーンと共に大洪水を生き残った……そこで全てが終わっているんですよ。それ以後、パンドラの名が出ることはありません」
「えっと……それは……」

「生きた証はある、生き残った証拠はある。でも、どこに行ったのかは分からない。それがパンドラなのです」

そこまで言って僕はそっとワインを飲む。
乾さんも忘れていたのを思い出したかのようにそっとワインに手をつけた。
「っふぅ、っと美味しいですねぇこのワイン……」
「ええまあ。一応結構自信のものを持ってきたので」
そう言って笑い合う。
「で……えっと、パンドラはそしてどうなったんですか?」
「さぁ?」
「……さぁってイソレナさん……」
「分からないんですよ。パンドラは生き残ってどうなったのかは記載されていない。つまり、知る術はない」
「…………」
乾さんが黙り込む。ふむ、さてさて……

「でも、イソレナさんはそれに対する一つの解答みたいなものを持ってますね」

切り替えされた言葉に一瞬返す言葉がつまる。
ワインを飲みつつこっちをじっと見てくる目が僕に嘘を許さない。
「え、ええまあ……」
「だったら、聞かせて貰えますか?あっ、ワインどうぞ」
「ああ、どうも」
注がれるワイン。その様子を見つつ少し焦りかけた内心を鎮める。
「あくまで……想像と感覚に過ぎませんよ?」
「ええ、別にそれで良いじゃないですか。答えがあるものならともかく、答えがないなら定義を作ればいい」
乾さんの言葉に肩をすくめて僕は話し出す。

「……パンドラが種族パンドラとしての最初プロトタイプじゃないかなと僕は思っているんですよ」

そう言って、さっきの種族と職業というものの違いを話す為に口を開き……
「元に戻れるのが職業、元に戻れないのが種族……ですか?」
「ほぼ正解、ですね……お察しの通り、職業は人間のままパンドラとしての様相を呈することが出来る。対して種族はその名の通り…」
「魔物となる。人外の生命体になる、ですね」
アゴに手を当てて乾さんは更に考えた様子で言葉をそこで切った。
「ん?ということは職業パンドラだと昼間弱いって言うのは」
「弱い振りをしているが正解じゃないですかね?……まあ、既に種族になっているので分かりませんが……」
苦笑しつつ答える僕になるほどなるほどと乾さんは頷く。
「まあ、種族と職業の最大の違いは……『業』でしょうね」
カルマですか……種族としてのカルマを持ったのが種族パンドラ、持たないのが職業パンドラって言うことですか」
「正解です」
そう言って、僕はそっとワインを飲み干す。
注がれるワインに礼を言い、そして一度目を閉じてその先を紡いだ。
「想像ですが……恐らくパンドラは後悔したんじゃないですかね。自分が箱を開けなければ『この世全ての災厄』は解き放たれなかったのですから」
「まあ、普通に人間であれば思う感覚ですよね……まさか、業って言うのは……」

「……お察しの通り、パンドラボックスの業は『この世全ての災厄』を再び箱に集めること…」

「す、凄い業ですねぇというか、それって幸福を、つまりは神に仕える私達にも……」
「ああ、通じませんよ。パンドラボックスが魔物といわれるのはそこです。そんな業は『絶対に果たされることが無い』のですから」
疑問符を浮かべる乾さん。
「……パンドラの箱はたった一つ『未来を見通せる災厄ラプラス』以外全てが飛び去ってしまいました」
「えっと、それで……なんでそれが果たされることがないんですか?」
そっと笑いつつ僕はワインをつぐ。礼を言いつつ乾さんはそれを飲む。
僕もグラスのワインを煽り……手を組んで机の上に肘を載せる。
口元を組んだ手で隠し、そっと質問の答えを紡ぐ。
「……『この世全ての災厄』を集めようとすれば、それを保有するこの世全ての人間を集める、或いはなくす事に繋がるからです」
「……えっと、イソレナさん……それって……」
「だから、あり得ないなのですよ。何よりそれは、錬金術士としても破綻している」
錬金術士の最大の到達点。それはこの世全ての永遠の存続。
パンドラボックスは魔物であるのと同時に錬金術士でもある。
「パンドラボックスは矛盾を含めた種族。あり得ないはずの災厄をその身に含めた……ただの魔物なのです」
苦笑して手を開くと肩をすくめる。
「そんなものは……世界の敵ですからね。世界の敵候補って事ですよ僕は」
言うなればそれは禍。その禍を身に封じる者達。
故に、表すならば禍霊。そう、禍を持った霊なのだ。
さて、酒のつまみ程度にはなったかも知れないがつまらない話をして気持ちを落としてしまった。
取り敢えず箱に入っているおつまみを出してこの雰囲気を……

「それは、矛盾してるはずが……ない!」

考えた思考を吹き飛ばしたのは乾さんだった。アゴに手を当て、首をかしげて彼はまっすぐな眼でこちらを見てくる。
「……お聞きしても良いですか?」
こくりと一つ頷くと共に姿勢を直される乾さん。
こちらも姿勢を直してワインを置くと聞く体制に入る。
「さっき、イソレナさんは『全てを集める』って言いましたよね?」
「ええ、そんなことが可能ならば、災厄もそこにある。つまりはもう一度箱に封じれますから」
「全てがそこに集まるならそこでの永遠は実現出来ますよ。災厄を集める、永遠を存続させる……ほら、成立する」
少し熱の籠もった言葉。それをしっかりと受け止める。
言われれば、確かにそう……でもそれを、他人に言われたことはなかった。
それは、錬金術士としての自分の演算が破滅を必ず導くから、永遠は存在しないと既に計算し尽くしているから……
「イソレナさん、禍津日神って知ってます?」
「え、えっとすみません。聞き洩らしてしまいました」
「禍津日神です。日本って言う東方の……多分此処より東方の幻の国といわれる神様なんですけど…災厄の神なんです」
乾さんの言った神はなじみがなかった。ので、頷きその続きを促す。
「でも、この神は祀ることで災厄から逃れられると考えられるようになり、厄除けの守護神として信仰されるようになるんです」
「えっと、それで……」

「つまりイソレナさんが『この世全ての災厄』を集めても、祀られることはあっても、世界の敵なんかには絶対にならないですよ」

その言葉に……目の前が明るくなる錯覚があった。
無論、光量は何も変わっていない。
既に諦めはついたと思っていた。その気持ちが嘘だったとは思わない。
でも、このように許され……
「少なくとも、そんなことになっても俺は友達で居たいし、カフェの皆さんもそうだと思う……」
そこで一旦乾さんは区切ってワインを僕のグラスに注ぎ……

「何より羽堂さんはきっと最後までイソレナさんと一緒にいるでしょ?」

……がつんと来た。
言葉でそれを体験する日が来るとは思っていなかった。
僕はただ無言で注がれたワインに口を付けそれを一口で飲み干す。
「……乾さん」
「はい?どうしました?イソレナさん」
「今日は、飲み明かしましょうか。お礼含めておごりますよ」
一つ指を鳴らすと共にぬぅっと箱を出現させる。
そこの中から幾つかのお酒とつまみを並べて僕はそう笑った。
「ええ、それじゃ折角の申し出なので……付き合わせてもらいますよ」
乾さんはそう言うとグラスを持つ。
残り少ないワインを二人で分けて、そっとグラスを持ち上げる。
「……では、えっと仕切り直し含めて乾杯で……」
「何に乾杯しましょうね?」
「ははは、此処まで来たら一つでしょう」
二人ともふふふっと笑い……

「「変わらぬ友情に」」

紡いだ言葉は同時に
軽いグラスの鳴る音
そして互いの口に消える最後のワイン
カフェに着いた灯りはまだまだ消えることはなさそうである


何時か全てを集めきり
何時か業を果たしきり
その身に全ての災厄を封じる日が来るだろう
その身が神になることはない
その身が人であることはない
それでもそのものは存在であり
そのものを表す言葉があるならば
それを禍霊と呼ぶであろう
されど恐れることはない
されど怖がることはない
その身に禍を宿すのと同じく
その心にはきっと自分を信じてくれる人々の心が宿るから
故に禍霊はのんびりと酒を飲みつつ仲間達と生きていくだろう
それが、この町の……禍霊となる者


そっと明けた日を見る
己の中にあるラプラス
それを使っても
己の未来はまだ見通せない
それでもきっとこれからは……



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