夜の空に浮かぶ金色の月の周りには厚い雲がずっと纏わりついている。
季節の変化を示す少し湿った暖かい風が並木の枝葉と花をさわさわと揺らす中、ポコスは人気の途絶えた通り道を111番地へ向け一人歩いていた。
買い物の都合ですっかり遅くなった事を同居する仲間たち――殊に店長でありマスターである少女――にどう説眼しようかと考えながら、隣町からの買い物ですっかり遅くなった家路を急ぐ。
気まぐれのように吹きだす黒い塊が進む先への道を人気もすっかり途絶えた通り道を、帰る場所である111番地
「?」
思わず足が止まる。途切れることなく続いていた夜闇の中、ポコスの視線の先にぼうっと金色の光。それが通りを先に歩いている誰かの手にした灯りだと気付く。
「……!おや?」
艶っぽい声が短く漏れた。向こうも遅れてポコスの気配に気づき振りかえる。反影の輪郭が大きく膨らみ、それが長い髪がふわりと揺れた事を教えていた。
手にする灯り――異国で使う提灯と言う奴だ――に照らされる黒い着物と黒い髪。
その合間にある対照的な白い顔に
「なんでこんなところにいるんだ……?」
「私の方は、ちと散歩がてらに買い物をした帰やけど……まあ、何故ここにおるか?は互いが互いに言える事ですなあ。改めておばんです」
風に吹かれて飛び散る桜の花の合間で口元に袖口に寄せ、至和子は軽く会釈をする。
「それで、ポコスはんの方は何故こないな時間に?」
自分の着物の袖で口を隠したまま、至和子の紅い瞳はポコスの琥珀の瞳を見据えた。
まるで出始めの上限の月のように目が笑っている。
「あー、俺も買い物だな。隣町までちょっと入用のものがあってな。
ここまで戻るのが思った以上に遅くなっちまった」
「さいですか。それは疲れましたやろ?」
あっさりと言うポコスに、心底感心したように至和子は後ろに身を引く。
「いや、まあ体力的にはどうってことないけどな……ただ、随分遅くなってしまったし」
長い茶髪を掻き上げながら、少しばつが悪そうにするポコス。その光景が至和子にポコスの今案じている状況と相手が一体なんなのかを暗に悟らせる。
「ポコスはん……」
「……ん?」
なにかを思いついたように、くすりと目と体を僅かに振るわせて笑う闇龍の声に、戸惑いと不穏ななにかを本能的に感じ取るポコス。
「そうは言うてもしんどいことに変わりはありませんやろ?なんならこの先の屋台で私と一杯つきあわんですか?」
手にする提灯の灯りを反対側に向けての唐突な誘いに、ポコス思わず口をぽかんと開ける。
「……はあ?!いや、だから俺は今から……」
「帰っても下手に言い訳して怒られるだけ……なんでしょ?」
細い頸を前に出し、上目づかいで意地悪な目線を送る至和子。ポコスの額に冷や汗が浮ぶ。
「いや、その朱音はそういう時に怒ると言うよりも……なんだ。俺を色々と……」
「私が無理に飲みに誘うて、ポコスはんは断る言うつれないことができんかったんや。
まあ、仕方があらへんやろうなあ……」
弁解の言葉を無視して、弾んだ様子で至和子はさっさと足を進め出す。
反射的に追いかけようとしてしまった事にポコスが気付いた時にはもう遅かった。
「ご心配なく。あくまで……飲み仲間やで?一緒にお酒飲んでた。それだけやで?」
提灯を持つ手と逆の人差し指を唇にあて、至和子は片目を軽く瞑って見せた。
「もう、そないな感じやからポコスはんはずっと避けられ続けるんやで?」
銚子を豪快に飲み干すと同時にそう言うと、至和子はくは―と美味そうに一息吐く。
酒と肴の匂いが流れる暖簾の内側で、隣り合う二人の傍らに既に何本もの銚子と肴の乗っていた空の皿が転がっていた。
顔を軽く赤らめながら、先程までのどこか真意を隠していたような飄々とした物腰から打って変ってすっかり砕けた態度になった至和子とは裏腹に周囲に黒い靄が浮びそうなくらいに悲観的になって項垂れているポコスは俯いたまま、ぼそりと言い返す。
「ああ、ほっといてくれ。俺がいると必ずあいつは土煙を上げてどこかへ行ってしまうんだ……」
上機嫌でペースを挙げ続ける至和子と対照的に、さっきから終始泣き言を繰り返すポコスに、至和子の珍しい満面の笑顔にも思わず影が差す。
「せーやーからー、そないなとこが朱音はんにからかわれる格好の材料になってるんやて?」
「……からかわれる?」
思いっきりなにかを訴えるような陰鬱な目で、じろりと睨むポコスに至和子の表情も変化する。
先程の屋台に向かうまでの、なにかを含んだような笑みだった。
「人も龍も近いからこそ知らない顔がある……言うでしょう?」
「あんた……あれは朱音は別に俺に対して避けたがってるんじゃなくて、ただからかってるだけ……って言いたいのか?」
月並みだぞ……と言おうとしたポコスの口を、至和子は自分の指で遮る。
「??」
「例えば私が何故、この時間まで買い物しとうたかポコスはんは分かりますか?」
「え……?そりゃあ……自分のものを買ってた……のか?」
食材を買い込む時間では到底ないし、家を切り盛りする立場にある龍はこういう時に自分の私物を買いに行くことはある。
「ええ、この通りからやと廻り道になるけど……へぶんずれい言う店に最近凝ってるんで。
なにしろうちにいるだーじりんちゃんがそういうの好きで好きで仕方ないようで、その煽り言う奴や」
「はあ?」
至和子の口から出たヘブンズレイと言う名の店。それは最近この町に出来た少女趣味前回の男(と少女趣味が薄い女性)が立ちいる事を容易に許そうとしない、ある種の結界みたいなものを造り上げているお菓子やの名だ。
と言うより、ポコス自身がごく最近、そこである理由で色々と事件みたいなものに遭遇してしまったばかりなのだが。
「似合わない……と、思うやろ?」
「……」
似合わない。と言うよりはひたすら意外だとしか言いようがない。確かにこの闇龍の普段纏う空気からは程遠い。
「私かて、ごすろりみたいなのに興味はあるしそういう服も持ってはいるで?」
本気で言ってるのか、はたまたまたからかっているのかその表情からは判断がつかない。
本当なのか?……と口を開きかけた瞬間。
「と、まあこのくらい私らはお酒に酔っていた……つうことでええかな?」
「へ?」
またまた、そこでポコスはポカンとする。
「私はここで先に帰るけど。まあ、私が暇つぶしに強引に飲みに誘うたと言う事で。
お勘定は二人分出しとくわ」
ふふっ。とそこで悪戯っぽく微笑むと、至和子はそそくさと店の主人に代金を払い、暖簾をくぐりだす。
「おい。今の話……」
本当なのか?と問おうとするのを先回りするかのように最後に至和子はくるりと振り向くと、流し目だけをポコスに送り。
「なにしろだーじりんちゃんがこういうのを集めてそれを言い訳のだしに私を使こうて困っててな。それを言ってもええように酒に酔ってもらったんやで?」
それだけを言い残して今度こそ出て行った。
「わからん……」
女が分からない。と言うより、分からない女……と言うんだろうか。
ああいうのに比べたら、確かに今の自分の主人との関係はまだなんとかなるかも知れない……と一瞬ポコスは思い掛けて、首を軽く降る。
とりあえず、勝手に払って言ったお代くらいはあとでしっかり返そうと決めてポコスも今度こそ家路に着くことにした。