某教会にて。
「じゃ、ちょっと話付けてくる」
「ああ。いってらっしゃい」
非常に面倒臭そうな顔をしつつ、親指で奥の扉を指す主人。
私に異論を挟む理由がある訳も無く、ただ頷く。
ずかずかと去っていく彼女を、なんとなく手を振りながら見送った。
6.嘘だー!絶対嘘だ!
騒音の元凶が去って、辺りは静寂に支配される。
耳の奥で反響する、静寂故の音ならぬ音。耳鳴りなのか、空気の巡りなのか。
静かすぎてうるさい、とでも表現しようか。訳がわからない。
「…………」
白く立ち上り、消えていく溜息。
一応室内だというのに、ここは寒い。
じっとしているとますます寒くなりそうで、私は特に当ても無く歩き始めた。
とは言っても人を待つ身、外に出る訳にもいかない。
壁に沿って、ぐるりと構内を一周する。
――小さく軋む床板。
――鼻を微かに刺激する香。
――他の場所では決して見る事の無い様な独特の室内装飾。
――暗がりと、カラフルな窓から僅かに窺える曇り空。
体の奥底を、むず痒い様な痛い様な、心地の悪い感覚が走っている。
それは徐々に奥底から表面へと沁み出して、私の全身を包んだ。
…ものすごく居心地が悪い。ここにいてはいけない気がする。
というか、そもそも宗教施設というのはそう言う風にできているのだろう。
一部の者にとっては限りなく居心地が良い場所。それ以外には限りなく居た堪れない場所。
興味本位の観光が済んだら、途端に体の芯から『ここはお前のいる場所ではない』という思いが湧き上がる。
…ああ、早く戻らないかな。…すぐ済むだろうし講堂で待つ、とか言わなきゃ良かった。
私はしばらくそうやって講堂をぐるぐる回っていたが、やがて耐えきれなくなった。
つーか羽堂、遅い。私を待たせている事を忘れているんではなかろうか。
…いや、忘れているというか、あいつはそもそも私を待たせても気にしないか。だってあいつ羽堂だし。
主人の行動原理をふと思い出し、脱力する。
はぁ、と一際大きく白い蒸気を吐き出すと、先程彼女が去った奥の扉に目を向けた。
思い付いてしまえば行動は早い。
急ぎ足で扉に近づきノブを捻ると、その中へと足を進める。
龍が誰の許可も得ずに他人の生活空間に踏み入ることに抵抗を感じない訳でも無かったが、講堂の居心地の悪さと寒さが私の良識を鈍らせた。
「…ふぅ」
扉を閉めて、自分を講堂から隔離する。
口からは自然に、何度かめになる溜息が漏れた。温まった空気の中では、それは白く濁らない。視覚で捉えるのは不可能だ。
冷え切った指先にじんわりと温かい血液が巡る。心地よい痺れを感じながら、ほんのり赤くなった指先を擦り合せた。
しばらくして、程良く末端が温まった所で顔を上げる。
視界に映るのは、長い廊下。そして幾つもの扉…のみ。
扉はどれもこれも似通っていて、刻印やプレートなども見当たらない。
どれが何の部屋なのか全く想像もつかない。羽堂は恐らくこの家の主人の部屋か応接間に通されているのだろうが、それが何処なのかもさっぱり解らなかった。
…うちも建て替え前は相当の不親切設計だったが、ここの設計はそれとはまた違う不親切さだ。お参りに来た人が突然トイレに行きたくなったらどうすればいいのだろう。
小さな子供連れの母親にとっては大問題だろう。子供はちょっとした環境の変化で腹を下すことも多いからな。小さな坊やの手を引いて大慌てだ。可哀想に。
勝手に想像した非常事態に勝手に憤りつつ、取り敢えず勝手に歩き出してみる。
床は吸音仕様なのか、自分の足音すら聞こえない。出入りが多い故の防音対策だろう。見た所壁も恐らく同じ仕様。話声や物音やらで見付けるのも難しい、か。
…とすると、はて、どうすんべ。余り他人の家の中をうろつくのも無作法だし。
…廊下の突きあたりまで行ったら戻ってきて、入ってきた扉の前で待機、が無難だろうか。
「…ん?」
そんなことを思いながら歩いていると、ある一室の扉が薄く開いているのに気付いた。
いけないとは思いつつ、部屋の中に視線をやる。
色んなものが置いてある…物置だろうか?
よく見るとその奥にも扉がある様だ。…一応あの扉も確認しておくか。
そう思って足を踏み入れたのだが…すぐに私は、自分の間違いに気付いた。
遠目で扉に見えたのは、埋め込み型のクローゼット。
変わった形の楽器やツボの様なものなど、変なものが目立つ部屋ではあるが、部屋の隅にはマットレスや机がある。
生活環境が一通り揃っていて…要するに、誰かの個室なのである。…勝手に入ってしまった。
今は不在の部屋の主に、口の中で『ごめんなさい』と一言呟き、再び扉に向かう。
ノブに手を掛け、なんとなく横手を見た時…私の視界の端に、『それ』が映った。
「!?」
反射的に振り向く。
簡素なマットレスの横に置かれた、紅く塗られた木の板。
その上にずらりと並ぶ、掌ほどの大きさの人形達。
間違いない。こ、これは…!
「あれ、不法侵入者だ」
「おおう!」
すぐ間近で声がして、私は驚いて跳び上がった。
見ると、扉の向こうに見覚えのある人影。
…なんだっけ。…えーと、…ディンブラ、じゃなくて、アールグレイ、でもなくて。
薄く開いた扉の向こうから、瞬きすることもなく私を見ている。私は慌てて扉の前から退いた。
かれ…かの…えーと、何ていえばいいんだろう。『それ』は部屋の中に入ってきて、物珍しそうに私を見る。
「迷ったのかい?解りにくいからね、この家は。それにしても珍しいお客サンだね。何か食べる?腹が減っては戦は出来ぬというよ。ん、つまり食べ物を勧めるということは喧嘩を売ってるという見方もできるのかな。これは新解釈だ。では、とてもおいしいラスクがあるんだけれど貴女に勧めるのはやめておこう」
捲し立てられるテキスト。
…ああ、ダージリンだ。
何故か私はこいつによく食べ物を勧められる。
…本当に何故だろう。飢えてそうに見えるのだろうか。
しかしその科白は、その科白自体が喧嘩を売ってる様に聞こえるのは何故だろう。
「主人とはぐれたんだ。勝手に入ってごめん」
「気にしないよ。驚いたけどね」
「…ごめん。…」
改めて謝り、まじまじと目の前の相手を見る。
…いや、驚きの余り忘れてたけど、…こいつの部屋なのか、ここは。
「そんなに見つめられると穴が開いてしまうよー」
「ごめん。…………」
これで三回目。
私はもう一度目の前の相手を見詰めて…視線を、マットレス脇の人形達に移した。
ダージリンは、私を見る。
私を見て、私の目を見て、私の視線を見て、その先に視線を移し、
「―――!」
両手を頬に当てて、飛び上がりそうになった。
いや、飛び上がりそうになったのは仕草だけで実際飛び上がってはいない。
何か叫びそうになったのも仕草だけで実際叫んではいなかった。
「…これ、『ヘブンズレイ』のアレだよな」
ヘブンズレイ、は最近出来た人気のお菓子屋さんである。
その店構えを説明するなら、レースとフリル、リボン、そしてピンク。これらの単語で推して知るべし。
男性客?知るかと言わんばかりのその佇まいはもういっそ清々しい。
店員のお姉さんがまた可愛いんだこれが。ふわふわであまあまーって感じで。
それはともかく、その店の目玉は、色とりどりのマカロンとギモーヴ。
二十個入りのセットを一つ買う度に、あのドールが一体もらえる。ドールは全部で十種類。デザイン公開済みが七体、シークレットが二体と、その九体を揃えたら貰えるのが一体。
どれもこれもふわふわで可愛くて、服もちゃんと凝ってて、小さいのにちゃんと関節が動く。
因みに、ダージリンのマットレスの脇には、八体のドールがいた。
「…あーああああ。至和子サンはあれで結構少女趣味な所があってね。だけど自分の部屋に置くのは恥ずかしいからと言ってボクに持たせるんだよ困っちゃうよね。あんなかわいいのボクにだって似合わないのにさ。あ、ボクの言ったこと至和子サンには…」
…物凄い勢いで罪(という訳でもないが)がなすりつけられる瞬間を目撃した気がする。
「そうなのか…彼女にそんな趣味が…」
「そうそう!実はロリータ系の服にも興味があるとかなんとか!」
「ところであのドール、最後の一個だけ全然出ないよな。シークレット二種類って言ってるだけでまだあと一種類用意できてないんじゃないかと思うくらい」
「そう!そうだよね!?確率九分の一なんて絶対嘘っぱちだよ!これじゃコンプの子なんていつ貰えるのか…」
「…………」
「…………」
焦りの所為か、普段したくてもできない話を振られた所為か、面白いくらいに引っ掛かった。
ちょっと火乃香の気持ちが解った気がした。
というか、さらりと『子』って言ったな、こいつ。
「…………」
「…………」
ぽん、と、ダージリンの肩に手を置く私。
私を見返す彼女の眼は、いつもより心なしか潤んでいた。
私の涙腺も思わず緩む。
「…部屋に置くのが恥ずかしくてさー」
「…………」
「火乃香の部屋に持っていくんだけどさー」
「…………」
「この間とうとう『ゴミを押し付けないでくださいよ』って言われちゃったー」
「ゴミ!?」
「あいつ本当はふわふわとかふりふりよりもビシッとかバリバリとかの方が好きなんだよー」
「う、嘘だ!絶対嘘だ!」
「嘘じゃない!本当はふわふわとかふりふりとかあんま好きじゃないんだ、あいつ!」
「…………!」
「世の中、間違ってる!」
「カミサマは…色々と間違っているよ…!」
少しだけ泣いた。
「遅ぇ!」
講堂に出ると、羽堂が苛々を隠そうともせず待っていた。
「…待っててくれたのか?」
「一度家帰ったよ!それでも帰ってないみたいだからさぁ!
ものすごい心配したっちゅーねん!私を待たせるとはええ根性してんなオイ!」
「……ごめん」
本日四回目の謝罪。
「…で、何してたの?」
言うだけ言ってすっきりしたのか、いつもの調子に戻る主人。
私は静かに口の端に笑みを浮かべた。
「趣味友ができた」
「は?」
訳が解らない、と言いたげな主人。
だが、それ以上を説明する気は私には無かった。