一人になる度に、鍵を掛けていた。
 扉を叩く者の声がかかれば、その辺に居る風の精霊に頼んで、鍵を開けてもらっていた。
 でもそれをするのが煩わしいと思える様になった。その原因であるとある風龍がまたこの部屋を訪れてきたので、何故ここまで熱心に通い詰め、本を読み漁るのかを尋ねてみた。

「それは、頭が良くなって、少しでも格好良くなるためです」

 ここが書庫でなければ感嘆符が添えられていそうな力強い返事だった。しかし、その目的が果たしてこの行動によって果たされるのか私には想像もできない。
 そうですか、と気の無い返事を返して彼を部屋の中に通すと、少し上の方から不思議そうな声が降ってきた。

「そういうエゲリアお姉さんは、どうして本を読み始めたのですか?」
「……え」


4.それってまさか、俺のこと…? ―世間では老婆心と言います―


「……暇だったから、ですかねぇ。その頃マスター殿は雑貨屋を始めたばかりで、探索もそれほどできなかったので、あまり品揃えも良くなくて……店番をする必要もないくらい暇だったのですよ。
 ドラゴンテンペストもそうでした。私ではなく地龍殿やムンダー殿に任されていましたからね、他にやる事が無かったんです」
「? どうしてエゲリアお姉さんはドラテンしなかったの?」
「……この家の年上達は、色々と過保護でして」

 一瞬呼称に困って、年上達、と呼んだのは、具体的に言えば地龍殿とムンダー殿、ついでにマスター殿の三人だった。
 111番地の主従関係は、決して家族とは言えない。誰もマスター殿を母とは思っていないし、マスター殿自身母のように振る舞いはしない。あくまでも主人と従者。それが私達と彼女の関係である。かといって、全く私情を挟まないかといえば、挟み過ぎというぐらいに挟んでいるのだが。

 ついでに、龍同士の関係は疑似家族に近いように思える。炎龍殿が来た頃からは完全にその方向性が定まった気がする。ムンダー殿は完全に母役になりきっているし、地龍殿も兄というか父というか叔父というか何と言うか……
 年下の炎龍殿や秋桜殿は完全にこちら側の事を兄姉扱いしているが、こちら側(年上達に加えて私やあの光龍夫婦等)は互いを兄妹とは認識してないあたり、何と表現すればいいのだろう。下の事は弟妹の様に思えているが、かと言ってムンダー殿が姉や母と思えるかと言うと……微妙だ。姉と呼べば彼女自身は喜ぶかもしれないが。

「私は昔は小さかった上に弱かったので、あまり戦力として期待されていなかったのですよ。今みたいに精霊を使いこなせていたわけでもありませんし」
「そうだったんですか……」
「まぁ咲良殿やトゥエルヴ殿とかがいらっしゃった頃にはもう今のこの姿でしたけどね」

 想い人の名を唐突に耳にした所為か、アプエゲ殿はびくりと肩を震わせた。正直で大変宜しい。
 ……私自身あまり彼女と関わった思いではないのですけどねぇ……マスター殿が「彼女とは凄く気が合いそうです」とご満悦だったのは憶えてますが。あの頃から既に可愛いものなら見境無くなってましたからねぇ……今はもっと酷いですが。

「相手が彼女となると色々と大変でしょうけど、それが貴方のやりたい事ならとことんやってのけなさい」
「え!? あ、はいっ」
「ただ、あまり他者に迷惑をかけるのはスマートではないので止めた方が良いと思いますよ」
「は、はい、わかりましたっ」
「なら良いんです」

 私が椅子に腰かけて本を手に取ると、彼もまた目的の書棚の方に去って行った。その熱心な横顔に、声も無く私は語りかけた。
 ねぇ、アプエゲ殿。こんな姿の私が言っても説得力なんて無いでしょうが、実は私も大きくなりたかったのですよ。
 当時は少しでもその人に近付きたくて、何もかもが知らなかったから知りたくて、足掻きたくて堪らなかったのですよ。
 色んな事を分かるようになると面白い事も増えると思う、というあの頃の彼女の言葉は嘘ではなかった。実際私の見聞も広がり、話の種も増えた。けれど。

「(知った所でどうにもならない事もあるんですよ、実際)」

 別にこんな事しても無駄だ、なんて言うつもりはない。無駄じゃなかったと思える結果になれば良いと、むしろ思っているのだけれど。
 彼と私は笑えるくらい対照的だから、私とは真逆の結果を手に入れるかもしれない。そう、例えば……。……。



「……恐るべき成長具合ですよね」
「ん、どっちの意味で?」
「両方ですよ」
「……だよな。やっぱり伸びてるよなあいつの身長。料理も普通に色々作れるようになったし」

 その日の夕方、私と地龍殿は賄い食の炒めご飯を居間でいそいそと食べていた。他の面々はまだ仕事中である。これからシフトに入る私達だけ少し時間をずらして先に夕食を頂いていた。
 その味はいつも地龍殿やマスター殿が作るものとそっくりだが、今日これを作ったのはシェフとして(一応ウェイターとしてでもある。ウェイトレスではない)バイトに雇われたアプエゲ殿だ。
 本当に身につけるのが速い。同時にすくすくと筍か麻のように背丈も伸びていたりするのだから世の中は理不、いや、不思議なものだ。

「……あまり良くないのではと思うのですけどね。結局はうちの味ですし」
「まぁ、そうだな。でも作り方覚える参考にはなるだろ? あいつ自身の味まで昇華できるかは今後の御手並み拝見だろうな」

 しれっとした面持ちで言う地龍殿を、私は少しだけ睨んでみた。座っている時の方が視線の高低差が無い為、いつもより早く彼はこちらの視線に気がついた。そこで私は声を潜めて彼に言う。

「と言うよりは貴方、面倒臭いから手を抜いてるだけでしょう」
「いやいやいや、ちゃんと普通に真面目に手本作ってるからな!?」
「でも完全に真似をさせているではないですか、前は最後の味付けは完全に彼女に任せていたでしょう?」

 前は、とはマスター殿が調理師からシェフに転職する際の事で(実際は雑貨屋時代からやっていた気もする)、地龍殿が彼女に色んな料理の作り方を教えていたのだ。当時の彼曰く、セーフラインが広い所為で客にとってはアウトなものが分からないらしい、とか何とか。今思えば何様ですか貴方という話だ。
 もっとも、作り方を教えると言っても本当に一から、というよりはレシピを頭に叩きこんでいる感じに近かったように思える。

「あれは彼女をシェフにしなきゃいけなかったからだ。今回は別にあいつは料理の修行であって、シェフの修行に来たわけじゃないだろ」
「……それを生業にするかしないかの差という事ですか?」
「そういう事だ。それに、お前の好きなようにすればって言う前に自分で結論出して次作り始めるからなぁアプエゲは……いや真面目で良い事だと思うが。
 あとなぁ……いちいち味付け考えさせてたら、うちが本気で潰れかねない」

 ……その事に関してはフォローが全くできない。
 実際マスター殿が採用したのはそれを考えてなのかもしれない。つまり、いつまでもあると思うな食材と金、という事でしょうね。
 次があると思えばそこに油断が生じる。弓の演技では矢を番える時に一本の矢しか用意しないのそういう理由だ、という話があった気がする。
 勿論アプエゲ殿がそうだとは言っていない。が、シェフ見習いとなる事はより緊張感を高めて一つ一つより真剣に挑める環境に入る事でもあるだろうから、決して彼は損をしないと思いたい。

「しかし心底良かったと思うのは、トゥエルヴ殿がうちの店の味嫌いではなさそうな事ですよね」
「そうだな。もしそうだったら色々全力で止めざるを得なかったからな」
「食生活の趣向の違いは割と致命的だと聞きますしね」
「あぁ、夫がすぐ調味料かける、とか」
「あるいは、嫁の飯がマズイ、とか」

 一瞬だけ匙を置いて二人して黙祷を捧げていた。我が家では縁の無い話だがそういう家庭では本当に切実な問題となっているだろうから。もっとも五秒後にはまた二人で賄い食を食べるのを再開していたのだが。

「しかしさ」
「はい」
「随分優しいのな、アプエゲには」
「……何ですか唐突に。そのにやけ顔気持ち悪いので止めて頂けませんか」

 流石に気持ち悪いは言いすぎでは、とか言われそうだが、そう言わなければ彼はその顔を止めないだろうから仕方がない。しかし私の予想は外れて彼はニヤニヤしたままだ。少し嫌になって私は軽く睨みつけた。

「そうやって笑っていられるのも今の内ですよ、いつかアプエゲ殿の肩車の上で貴方を見下ろして差し上げます」
「……いや、今だってしょっちゅう浮いてるんだから出来るだろ、いつだって」

 互いに口と匙を止めた事で妙な沈黙が居間を支配する。私は溜息と共に言葉を絞り出した。

「……年下には夢くらい見せてあげましょうよ、地龍殿」
「分かってるって。だからあいつがいない今言ったんだけど」
「全く、だからマスター殿にも逃げられるんですよ」

 ひくりと彼の口元が引きつった。今現在彼を黙らすにはこの台詞が一番効果的だ。度が過ぎると怒るから加減が重要だが。彼はぶすっとした面持ちで答えた。

「それとこれとは関係無いだろう」
「分かりませんよ? マスター殿は結構そういうの大事にされるようですし。子供の幻想は勝手に壊れるものだからこっちが壊しに行っちゃいけない、と考えていらっしゃるみたいですから」
「……それもそれで、何か、アレだな。ネガティブが過ぎたポジティブな発想だよな」
「私は結構好きですけどね、彼女のこの考えは」
「へぇー……というかまだ理由聞けていない気がするんだが」
「何の」
「アプエゲに優しい理由」

 ……しつこい……というかまるで恋話に花を咲かせる乙女見たいですよ……言ってて気色悪くなってきた。

「単純に反応が面白いからですよ。志が高いのも素直に好感が持てます。私や他の人が言った事に逐一反応するのもなかなか興味深いですし」
「……確かにそれはあるな」
「後は、少々心配だから、ですからねぇ。何せ参考にする相手の一人が年下趣味のヘタレサディスト鈍感男ですし。是非とも反面教師にして頂きたいのですが、そう上手くいくかどうか……」
「……それってまさか、俺の事……?」
「そうとは言ってませんが、思い当たる節があるのですか?」

 顔を引きつらせた地龍殿は、すっとこちらから視線を逸らした。彼としては肘を突いて頭でも抱えたい心境なのかもしれないが、食事中だからかそれは控えている辺り何とも真面目というか。
 まぁ実際貴方を指して言ったのですけども。

「逆に聞かせて頂きますが一般的に考えて、兄弟姉妹相手に恋が、もっと言ってしまえば欲情できますか? 数が少ない事例であるからこそ背徳的だの性的倒錯だの言われるのですよ? 仮に私がそうだとしても相手にそれを求めはしませんよ。
 もっともアプエゲ殿は私の弟ではありませんが、同種族ですからかね、妙な親近感があるのです。それこそ可愛げの無い炎龍殿よりは余程弟にしたいくらいですよ」

「そ、そうか……」

 炎龍殿の事に関して色々言っているのに、何故か妙に暗い声で乾いた笑みを浮かべていた。その理由に心当たりがあったので、少しだけ補足しておく事にした。

「もっとも、貴方の場合はどんなに妹と思っていたとしても、彼女がマスターである以上結局は他人ですからね。その辺は異常じゃないと思いますよ、あくまでその辺りは、ですが。
 ただ異種間である以上その想いは異常であるから叶う筈が無いという発想も、ロマンに欠けていると私は思います」
「…………フォロー、どうも有難う……」
「いいえ、別に」

 あまりフォローにはなっていない気がするのですけどね、異常である事に変わりはないですし……と、いう言葉は最後の一口と共に喉の奥に仕舞いこむ事にした。仕事前に落ち込ませても他の方に迷惑がかかるだけでしょうし。
 御馳走様でした、と手を合わせて呟いてから席を立つ。仕様も無い話をしていた所為で大分時間が経っていた。
 居間を出て厨房に入ると、慌ただしく料理をしているマスター殿と、バタバタと材料を切ったり洗ったりしている炎龍殿とアプエゲ殿の姿があった。これは大変そうだから、すぐ後ろからついて来ていた地龍殿にすっと手を差し伸べた。

「地龍殿」
「あぁ、よろしく頼む」
「はい」

 すぐに厨房という名の戦場に飛び込んで行った地龍殿の食器も私が引き受けて、食器洗い場まで持って行くことにした。一人増えた所で大変な事に変わりないが戦力は居るに越した事はない。
 洗い場に居た闇龍殿に食器を託して、ホールに向かう前に、ちらりと厨房を一瞥する。緑色の姿は前からずっと働いていたかのようにその光景に馴染んでいて、動きも時々は戸惑うものの、見劣りしていなかった。

「(将来有望、ですねぇ)」

 是非ともこの家の馬鹿な殿方達を超えて頂きたいとこっそり念じて、私は仕事場に向かった。



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