耳の奥に聞こえる声。
彼女の声とよく似た全然別の声が耳に響く。
「ねえ、どうして行っちゃウの?」
「許してくれたんでしょう」
「ネエ、ドコヲクレル?」
「アハハハハハ!」
わんわんと耳の奥で鳴り響く『音』に辟易する。寝る間際だとはっきり言って安眠妨害だ。
聞こえてくる音をスルーしながら羊を数える。はーやーくー来ーいー来ーいー睡魔さーんー。



20.ちょっと待て。今、さらっと何言った。
 〜雨に降られた十題 羽堂様作「握り締めた手は冷たいままで」後日談〜



「真夜さん?」
声をかけられ意識が覚醒する。慌てて顔を上げると、パッチー様が樽コーラを脇に置きこちらを見ていた。
コーヒー片手にうとうとしていたらしい。いかん、折角カナリアンイベントの話をしていたと言うのになんという失態。
「疲れてます?」
「いやそれほどでも無いはずなのですが」
多少は寝不足だがそれほどではないはず。
うーん、と首を傾げていると、隣で死んだ魚の目をしていたかなた様の目に光が戻り、心配そうにこちらを見る。
「熱とか無いですよね?」
「調子が悪い訳ではないですし。ちょっと寝不足なだけですから大丈夫ですよー」
のぞきこんでくる若葉色の瞳が優しくて、嬉しくなってへにょりと笑って返す。
心配、と書いている帽子に和んでいると、カフェのドアがガチャリと開いた。
「こんばんはー」
ドアをくぐって乾様が入ってくる。
各々挨拶していると、ふと私を見て乾様の表情が引き締まった。
「つかれてますね、随分」
真剣な顔で乾様に言われる。そんなに疲れた顔してるだろうか。
思わず両手で頬に触れてみる。そんなに酷い感触はしないのだけれど。
「そんなに酷いですか?」
「ええ、こんなにがっちりつかれているは久々に見ました」
「がっちり?」
「ええ、この辺にこうがっちりと憑かれています」
私の頭らへんに手を翳して真顔で言う乾様。
……ちょっと待て。今、さらっと何言った。
その言葉と同時にずざざざざ、と真っ青な顔のかなた様が逃げた。
どさ、という音がしたと思ったらパッチー様がうつぶせに寝ていた。パッチー様筋肉的な意味で重いから動かすの大変なんだよなあ。
ああ、青い顔のかなた様可愛いなあ。ハグしに行ったら殴られるかな。そう言えばかなた様と拳で友情語ったことないなあ。何と言う事でしょう。
……ええ、現実逃避ですが何か。
なんでしょう、この間リアルに『本当にあった怖い話』を体験したばかりだと言うのに。体験したばかりだからですかそうですか。流石に二度目だと少しは冷静になれますねありがたい。慣れとは人間の防衛本能です。慣れなければやってられるかあああ!
一通り脳内で叫んでから大きくため息をついて気分を落ち着かせる。
あの後、髪飾りの錆を何とか――お酢では完全に落ちなかったので地道に研磨して――落として全部終わったと思っていたのになあ。
自覚した途端に重くなる頭を片手で支え、テーブルに肘をつく。熱があると認識した途端動けなくなるのと同じだろうなあこれ。
つらつらとと考えていると、床に倒れたパッチー様をずりずり引きずって移動させた乾様が隣に腰をかけた。
「此処まで来ると調子悪くなったりしてもおかしくないのですが、大丈夫ですか?」
「ちょっと眠いなーとかふっと意識飛ぶなーって思ってましたが良くある事かと」
「いや普通無いですよ!?」
「変な声とか幻聴とか聞こえませんでしたか?」
「ちょくちょくとある方によく似た声で笑い声が聞こえますが綺麗な声なのでまあ良いかなと。
 流石に寝る時は少しうるさいとは思いますが」
「たぶんそれ良くないですって!」
真顔で問いかける乾様と、ぷるぷるしながらツッコミを入れるかなた様の対比が面白い。
「あまり良い霊ではないのですが、よく平気でしたね」
「スキル:スルーを常時発動させれば結構平気だと思うのですが」
こくり、と首を傾げて伝えるとかなた様と乾様が同時に首を横に振った。そうか、普通は違うのか。
精霊も似たような感じで騒ぐので、正直あまり気にしていなかったのだ。
風龍祭の前は風の精霊がきゃーきゃー言っているし、地龍祭の前は地の精霊がはしゃぐし。煩いからといっていちいち気にしていたら朝町以外では変な人扱いなのだから仕方がない。いや、朝町でも変な人かもしれない。変な人が多いから目立つ可能性は低いけど。
「ほっとけば収まるかなーって思っていたのですが」
「無理ですね」
霊の声だろうと精霊の声だろうと放置しておけばその内収まるだろうと思っていたのだけれどどうやら甘かったらしい。
さっくりと乾様に断言されてため息をつく。
「多分物理攻撃でどうこう出来る系ではないですよねこれ」
「魔物系ではないので物理攻撃は厳しいのではないかと思うんですが」
ぶんぶんと先程示された憑かれているあたりを手で混ぜてみる。髪飾り以外に指先に触れる感触は無いので諦めて手を降ろす。
「物理攻撃が可能なら掴んで窓から投げ捨てるのですけどねぇ」
そう冗談交じりに告げた時。

「捨てルの?」

今までの『音』とは違う、明瞭な『言葉』が頭を刺した。

「捨てルなら 頂戴 大事ニすルかラ」

「あ――」
拙い。地雷踏んだ。
それを悟るが遅かった。音が言葉となり此方を絡め取ろうと纏わりつく。

「ねえ、頂戴! そうすれば一緒に遊べるから ねえ、ねえ、ネエ!」

「真夜さん!?」
「かなたさん危険です!」
かなた様と乾様の声が遠い。
切羽詰まった二人の声をかき消すように耳鳴りがする。

「ネエ、遊ぼう」

酷い耳鳴りがしているというのに、ねだるその声だけははっきりと聞こえる。
へんなの、と思いながら揺れる上体を何とか支えようとテーブルについた腕に力を込めようとするが上手くいかない。
ずるり、と肘がテーブルから落ちそのまま椅子からも落ちる。ゴン、バキ、という音と共に強い痛みを感じたが、直ぐにどうでもよくなる。

「ひとりは、つまらないの」

ぽつん、と落ちた言葉が胸をえぐる。
卑怯だー! うっかり絆されそうになるじゃないか!
遠のく意識の中で、脳裏に映ったのは、手を握った時の『彼女』の嬉しそうな表情だった。




「――あ、う?」
意識が浮上し、ゆっくりと目を開く。
視界を巡らせると、本を開き静かに此方に手をかざす乾様が目に映った。
「椅子から落ちたダメージで死亡したようだったので蘇生しました」
私が体を起こすと、乾様は本をぱたんと閉じてそう教えてくれる。
「あー、ありがとうございました」
「憑いていたのも死亡と同時に居なくなったので大丈夫かと思ったのですが、其処かおかしな所とかはありますか?」
「物理的な意味で頭が痛いです先生」
「死亡要因がそこなので諦めてください」
すぱっと乾様に言われ、そういえば頭から落ちたっけ、と痛む部分に指を滑らせる。
こつん、と固い感触が指に当たった。指でつまんで引っ張るが、髪の毛にがっしり絡んで取れない。
……いっそ髪ごと毟るか千切るか、と思った時、そっと柔らかい手に触れられる。
「そんなに引っ張ったら髪の毛抜けちゃいますよ」
手を止めて視線を向けると、かなた様が困ったような顔でこちらの手を押さえていた。
「いや、いっそ毟ろうかと」
「駄目です。禿げたらどうするんですか」
「う」
ぴたり、と手を止めると「じっとしていてくださいねー」と言ってかなた様が髪の毛に触れてきた。
触れられる感触がこそばゆいが我慢していると、「取れましたよ」の言葉と共に手渡される。
それは壊れた髪飾りだった。月を模した部分に見事にヒビが入っている。椅子から落ちた時に聞いたバキ、という音はこれが壊れる音だったのだろう。
金具部分についた赤黒いものは私の血か。頭皮思い切り抉ったんだろうなあという感じで汚れたそれをポケットからハンカチを出し、髪飾りをハンカチに包み鞄に入れる。
折角磨いたのにな。帰ったら処分しないと。
鞄を閉めて意識を切り替えると周囲を見回す。
「そう言えばパッチー様は?」
「まだ気を失ってますよ」
姿の見えないナイスガイの事を問えば、かなた様が苦笑しながら答えてくれた。
「コーラの匂いで起きるか試してみましょう」
「下手な気付け薬より効果があるかもしれませんね」
立ち上がり、わいわいと話しながら樽コーラにもたれかかっているパッチー様の所へと向かう。
ある種非常識な事があったのに変わらずに話せる事に心底ほっとしながら日常へと戻って行ったのだった。


翌日。
ハンカチに包まれていたはずの髪飾りが欠片も残さず消えていたのは、私の胸の内だけに静かに仕舞われた。



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