「いや申し訳無い、本当申し訳無い」
子連れで突然やってきた彼女は、然程申し訳ないとは思っていなさそうな笑顔でそう言った。
1.気持ちが通じた……気がする!
「悪い子じゃないんだけど、割と思ったことを素直に口に出し過ぎる所があるんだわ。ごめんね」
「いや、別に不快という訳じゃなくて…少し驚いただけなので」
場所を移し、リビングルーム。
謝る羽堂に、緋那は首を横に振った。
茶菓子と茶を卓の上に置き、すくりと立ち上がる。それでは、と言い残して部屋を出て行った。
そっけないように見えるが、出来るだけ物音を立てない様に、こちらに背中を向けない様にという気遣いも見える。
「一挙一動が美しいというか、無駄が無いですなぁ」
彼女の去った扉を眺め、目を細める羽堂。
決してそっち側の人という訳では無いのだが、可愛い女の子に目が無いのである。
自分の龍を褒められて悪い気はしないのか、かなたは照れたように笑った。
「可愛い女の子は正義だと思うんですよ」
「正義ですね、ええ」
「可愛い女の子と言えば…」
女同士の雑談とは、とかく焦点が定まらない。
羽堂とかなたもその例外では無く、気が付けば話は大幅にぶれていた。
さて、先程緋那が去って行った扉…その向こうに今、二人の男性が立っていた。
「…………」
「…何してんだ?」
「何でもありませんよ」
声を掛けられた方――風矢は、声を掛けた方――メーを見る。
表情を変えずに、再び視線を扉に戻した。
実は彼、先程までリビングにいたのである。
私物を持ち込んでいたのだが…少し席を外した隙に、主人が客人を連れ込んでしまったのだ。
扉の外で窺う限り、会話はなかなか盛り上がっている様である。
今取りに行けば、それを中断させなくてはいけない。
何より、客人に改まった挨拶をしなければならない。面倒だ。
なら後で取りに行けばいい様な気もするが、置きっ放しにしているとそのまま忘れてしまいそうな気がする。
それで、はてどうしたものかと数秒逡巡したのだが…折良くか折悪しくか、そこにメーが通りかかったのだ。
かなた邸は迎賓館ではない、普通の家屋である。廊下は特別狭い訳では無いが決して広くも無い。
一人が立っているだけで、通行は割と制限される。
「何でも無いならちょっとどけよ。図体でかいんだから」
「勝手に通って行けばいいでしょう。小さいんだから」
図体でかい、と言われて、あからさまにむっとする風矢。
悪気が無い発言にむっとされ、むっとするメー。
妙な苛々の連鎖が起こりかけた時である。
「…………ん?」
服の裾が引っ張られる感覚に振り向く。
メーの足下に、銀髪の仔龍がいた。
服の裾を掴み、無表情に、じっと彼を見上げている。
今帰ったばかりで事の流れを把握していないメーは、うわっと大袈裟に驚いた。
「うわ、なんだお前」
「…隠し子ですか?」
「だったら俺はここにいねぇっつーの。アホか」
「冗談ですよ。一々ムキにならないでください」
「誰がムキになんて――」
「…………」
くいくい。
仔龍は再び、メーの服の裾を引っ張った。
メーは言い掛けた言葉を引っ込めて、仔龍を見て…溜息を吐く。
その場にしゃがみ、視線を合わせた。
特別子供が好きという訳ではないが、家の中にいる子供となると、何か縁があるのだろう。
どんな形であれ、何か交流を図られて無視できる程冷淡なタチでも無い。
「どうした、お前。腹でも減ったのか」
「…………」
仔龍は答えない。
返答の代わりに手を伸ばし…その小さな手で、メーの前髪をむんずと掴み、力の限り引っ張った。
「痛たたたた痛ぇー!」
子供とは言え龍の腕力、侮れたものではない。
思わず叫び、身を引くメー。
仔龍は、手の中に数本残った銀色の髪を見て、にや、と笑った。
「…………ぶっ」
「何こいつ!なんだこいつ!おい風矢笑ってんじゃねぇ!」
笑いだす風矢、混乱しつつ叫ぶメー。
「何なのー、騒がしいねぇー」
扉の前でそれだけ騒いで、中に気付かれない筈が無い。
すぱん、とドアが開き、かなたと亜理紗が現れた。
メーは主人と他所の家のマスターの姿を目にして、何と訴えたものか迷う。
そしてメーが科白を練り終わる前に、羽堂が目を丸くした。
騒ぐメーと乱れた頭髪、そして水鳥とその手に握られた髪を見て、即座に事態を把握したらしい。
「…水鳥、何した?…お嬢は?」
「…………」
「お水飲みに行ったの?そう」
水鳥は何も言葉を発していないし、何かジェスチャーをした訳ではない。
何故それで解るんだ、とメーは心の中で呟いた。
風矢はこれ幸いと主人の傍を潜り抜け、部屋の中の私物を回収する。
羽堂に小さく頭を下げ、ちゃっかりその場を後にした。
少し遅れ、逆方向から、すたたたたと軽快な足音が聞こえる。
廊下を滑ってきたのは雌の仔龍。
頭を押さえてしゃがんでいるメーと、満足げな水鳥を見て目を丸くした。
てくてくとメーに近寄ると、ばしんとその背中を叩いた。
「ちっさい兄ちゃん、どないしたん」
「…お前は、この間の…」
ばんばん背中を叩かれて、言おうとした言葉も吹っ飛ぶ。
「ディアですわー。こっちは水鳥。短い間だけどよろしくな、ちっさい兄ちゃん」
「…………」
なんかもう、どうでもいいや。
繰り返される衝撃の下、メーは思考を放棄した。
翌日の昼頃まで居座るという、一人と二匹の客人。
このぷち合宿を恙無く終える為に、この二匹の光龍はなるべく避けよう。
…と、心に誓ったメーであった。
…が。
「すっごい懐かれてるね、メー君」
呆れ半分、感心半分といった調子で磨智は言う。
メーはそれに返事する余裕も無く項垂れた。
足下には例の仔龍が二匹。ディアが前方、水鳥が後方。メーの股の間を潜ったり、ばあ、と時折顔を覗かせてみたり。
懐かれていると言うよりは、遊具に使われているといった方が正確な様に思える。
何処かへ行っていたベムがふらりと帰ってきた時、メーはそこに一縷の希望を見た…が、ベムが仔龍二人に興味を示さないのと同様に、仔龍も彼に興味を示さなかった。風矢に対しても同様。かなたや緋那、磨智に対しては、ディアはともかく水鳥は全く興味が無い様子。
結果、メーにべったりと貼りついたまま、今に至る。
「なんで俺なんだよ。お前が面倒見てやれよ」
「そんなこと言ったって、二人ともメー君に貼り付いてるんだから仕方ないじゃん」
「水鳥が私以外にこんな懐くんは珍しいですのんよー」
嬉しそうに言うディア。
メーはふぅんと考え、後方の水鳥を見る。
相変わらず無表情のまま、自分の服の裾をむんずと掴んでいる。
「…懐いてるのか、これ」
「凄く」
ディアは真顔で頷く。
からかわれてる…という訳でもあるまい。
彼女が懐いているというなら、懐いているのだろう。多分。
それにしちゃあ、服を掴まれたり髪をひっこぬかれたりと、割と扱いがぞんざいだ。
どうせ懐くならもう少し大事に扱ってほしい。
「光龍の血が騒いでるんじゃない?」
「なんだよ、光龍の血って」
「じゃあ、メイベルドーの血」
「…リュコルドだぞ、こいつら」
メイベルドーとリュコスの混血稀少種である。
その理屈で言うなら、リュコスである磨智にも少しは興味を示しそうなものだ。
「それじゃやっぱり光龍の血」
「…なんでもいいけどな、もう」
メーは溜息を吐いた。
手を伸ばし、自分の足にしがみつく水鳥の頭をがしがしと撫でる。
水鳥はぱちぱちと目を動かし、不思議そうな顔をした。メーを見上げ、んー、と目を細める。
動物みたいだ、とメーは思った。
実際水鳥の行動は、犬か猫に似ている。頭に『野良』がつくタイプの。
警戒心が強く、行動は意味不明。表情は基本的に変化しない。本能で生きている。
「…動物、か…」
いっそそう割り切ってみれば腹も立たないかもしれない、とメーはなんとなく思った。
「緋那、この笹かま貰っていいか?」
メーは足に水鳥を絡み付かせたまま、貯蔵庫を覗きこむ。
勝手に取って明日以降の食事に影響が出ても困る為、傍で皿洗いをしていた緋那に声を掛けた。
「ん?…食事が足りなかったのか?一個なら別に構わないが」
「いや、そうじゃねぇ。…貰うぞ」
笹の葉の形をしたかまぼこ。略して笹かま。形が可愛くて食べやすい、味はおいしい、魚のすり身が原料なので体にもいい。みんなの人気者。
メーはその人気者を手に取り、ちらちらと水鳥の目の前にちらつかせた。
「?」
水鳥はきょとんと首を傾げる。
しかし本能からか、それが食べ物だということは解ったらしい。
メーの足から手を離し、笹かまに手を伸ばそうとする。
メーは寸前でそれをひょいと遠ざけた。ゆっくりと左右に動かしてみる。
ぽてんとその場に座りこんだまま、それを視線で追う水鳥。
「何をやってるんだ、お前は」
「どうせ纏わりつかれるならと思ってな」
呆れ声の緋那。
メーは真剣な口調で答える。
どうせ一緒の時間を過ごすなら円滑な関係を築きたい。円滑な関係の為には交流が不可欠。
だが、交流を図ると言っても相手は野生動物。普通の方法では太刀打ちできない。
ならば自己流を捨て、相手の流儀に合わせてみようという考えであった。
笹かまを目の前にちらつかせることが相手の流儀に合わせることになるのかどうかまでは、余り考えていない。
「…よくやるよ」
緋那は溜息を付き、皿洗いに戻る。
しばらくして、横目で見ると、メーはまだ笹かまを動かしていた。
水鳥がそれを一生懸命目で追うのが楽しくなってきている様子である。
溜息を吐く緋那。
少し考え、口を開く。
「…私の経験則から言うとだな。そういうことをあんまり長くやり続けると」
「痛たたたた!」
緋那の忠告は間に合わなかった。
振り向くとそこには、笹かまを持った腕を抱え込まれ、がじがじと指をかじられるメーの姿があったのだった。
翌日、昼頃。
期間限定の居候達がそろそろ出立する頃である。
「…なんかメー君、みすぼらしくなった」
かなたは愛龍の姿を眺めしみじみと呟いた。
メーは答えずに、腕を組んだまま仁王立ち。頬や腕についた引っかき傷や噛み痕は、戦いの記録だろうか。
その足下には相変わらず、水鳥がかじりついている。
「これでも大分手懐けた」
「…手懐いてるんだ、これ。…懐いてはいるみたいだけど」
「いや…なんていうか、ごめんね」
横から羽堂が口を出す。
ごめんねという割に、昨日今日と特別止めようともしなかった奴である。
水鳥の発育のことを考えてか、単に面白がっていたのかは知らない。
「ちっさい兄ちゃん、色々ありがとなー」
「おう」
ディアの軽口に軽く応える。謎のあだ名も流せるようになった。
「じゃあ、そろそろ約束の時間なんで、失礼します」
「はーい。また来て下さいね」
「ええ。行くよ、ディアも水鳥も」
羽堂が声を掛けると、ディアがささっと彼女の背後に回る。
水鳥もするりとメーの足下から解けて、ディアの隣に並んだ。
それに少し寂しさを感じたのは、メーの気の所為だろうか。
「じゃあ、また」
玄関先までお見送り。
手を振りながら去っていく一人と二匹。
ディアが時々振り返り、メーとかなたがまだ見ているのを確認して大きく手を振る。
「…いい子なんだよね、本当」
「ああ…」
かなたの呟きに、鷹揚に頷くメー。
水鳥は羽堂の服の端に掴まったまま…かと思いきや、突然くるりと踵を返し、こちらに向かって走ってきた。
メーの足下まで来ると、ぴし、と手を挙げる。
相変わらず、表情筋は動かさぬまま。
「…ん」
「ん?」
掲げられた手に重ねるように、メーは手を伸ばす。
水鳥は、くるんとした蒼い瞳でメーを見上げる。
そして、にこ、と笑った。
「またね、ちーさいメーベルドー」
それだけ言い、再び主人の元へ駆けていく。
一同は先の角を曲がり、やがて見えなくなった。
お騒がせ一同の姿が見えなくなり…メーは茫然と呟く。
「…喋れたのか、あいつ」
「…………」
ちーさいメーベルドーとか言われたことよりもそっちに注意が行ってるな、とかかなたは考えていた。
苦笑しながら、ぽん、とメーの肩を叩く。
「良かったじゃない。ちゃんと手懐けられてたみたいで」
「ああ。…うん。…気持ちが通じた……気がする!」
メーは青空に向かい、ぐ、と拳を握った。