響く歌声は遥か遠くに、
白銀の世界に映るは眩いばかりの月と水
映す水鏡は音に揺れ
音を写す譜面のように
舞台に立つはただ一人
鍵盤ピアノ擦弦バイオリン木管フルートも存在しない
歌い手のみがただ一人
その噴水の舞台に立っている
真夜中に響くたった一人の楽団音楽オーケストラ
されど聞き手も一人きり
一人の為の幕が開く


16-だめ……月が見ている…。


また眠れぬ夜がきた。
歌い手の名前を知って、もう数月…
けれども、この逢瀬はまだ続いている。
まるで…
何も知らなかったあの日々のように。

「今日も歌が響いてる」

満月の夜。
町はそれでも虚ろを醸し出していた。
暗闇と雪に閉ざされて、白と黒のコントラストがその虚ろさに拍車を掛ける。
誰も気付かないのが不思議なくらいの声量。
無論、聞こえているのは闇竜の耳だけなのだろうが、それでも他の闇竜が出てこないのが不思議なぐらいのモノ。

どこか悲しげで、どこか儚げなその歌。

それはまるで北の果て、閉じた霧の向こうのように。
それはまるで南の果て、荒れた海の向こうのように。
それはまるで東の果て、届かぬ郷の向こうのように。
それはまるで西の果て、開けぬ砂の向こうのように。

風がその歌を運んでくるのか。
それとも歌が風を産み運ばせていくのか。
終わらぬ戯れ言の言葉遊びのように。

そっと思いを閉じて立ち上がる。
そう、何だかんだ言ってこの歌の際に会いに行ってしまうのはいつものことだ。
常日頃とは違う彼女の姿故に見たいと思ってしまうのかも知れない。
かつての突っ掛かってきた時代とも、最近の物陰からの姿とも、火乃香とのお茶会の姿とも。
その全てと異なる彼女の姿。

たった一人、自分しか知らない彼女の姿……

そして辿り着く。
想像の中と僅かばかりの差すらないその噴水で…
彼女は今日も歌っていた。

辿り着くその一瞬彼女は歌うのを止めこちらに微笑みかける。
こちらが声を出す前に、再び歌い始める。
いつもと変わらぬ、全く同じあり方。
それを確認して…僕もまたいつもと同じベンチに座った。


歌の終わり
ほんの僅か、言葉を交わす時間。
彼はそっと口を開き……
「だめ」
すっと出された指。
開き掛けた口を人差し指で軽く、しかし絶対の雰囲気でもって封じる。
それは、名前を呼ぶこと。
それは、彼女のいつもを表すこと。
それは……今というこの時間を彼が終わらすこと。

それを彼女は禁止する。

言わば共犯関係。
この時間を共にしているという、その共犯関係を続ける。

その、彼女のルール。

「なんで、だって誰もいない。僕以外……」
それでも、その時だけ彼はそう続けた。
溜まった鬱憤。どうしてか分からないその思考の迷宮。
捕らわれた故の苛立ちがその言葉を紡ぎ出したのかも知れない。
彼女はほんの少し困った表情をし……
そっと空を見上げる。
つられたように彼も空を見上げ……

「だめ……月が見ている…」

呟いた言葉は欠けることのない満月の下で。
いつもと同じ表情でありながら、いつもと全く違う面影で。
彼女はそっと悲しそうに微笑んだ。


そして今宵も幕は下りる。
歌姫はいつもの通り幕を降ろし、
観客はいつもの通り家に戻る。
月下の元に紡がれる舞台に先はない。
月花三節はこれにて閉幕。
全ての半分の真実を…
ただ月だけが見ていた。



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