※ 盛大にネタバレしているので由貴さんちの「ファイ君ご乱心」を読了してから読んでやって下さい。
※ 別に読まなくても話通じるんじゃね? って感じですけどネタバレはネタバレなので。
※ 時系列いつー? → イソレナさんが手紙を書いてどっかに行くちょっと前くらい。






10.いつからいたの? ―紅い目の少女の歌―


 ちょっと話を聞いて欲しい、という電話を受けて、その翌日、二人は電話をかけた方の家に集まっていた。
 18番地の酒場は基本的に不定期営業である。その為、二人の都合を合わせるのは割と容易であった。

「羊?」
「そう、羊」
「しつじ、じゃなくて」
「うん。ひ、の方」
「ひつぎかー」

 アイスコーヒーを飲みながら淡々とずれた回答をする朱色の髪の少女に、向かい合った黒髪の少女は痺れを切らしたかのように立ち上がって吼えた。

「ひ! つ! じ!」

 最後の一文字を叫び終えると、朱色の少女は噴き出して、それまでの真顔からにまにま笑いに切り替えて黒髪の少女を見上げる。

「そこまで怒鳴らなくても分かるってば。由貴は冗談が分からない奴だなー」
「……真面目に聞いてよぉーしゅおーん……」
「あはは、ちゃんと聞いてるって、ごめんごめん」

 自分によく似た紅の瞳を潤ませ始めたのを見て、朱音は苦笑しながら謝った。

「で、つまり人んちの羊を自分の龍がうっかり殺っちゃってたから弁償しなきゃいけない、と?」

 羊をまるまる食べるだなんてまるでどこかの風龍の少女みたいな食欲だと、青いバンダナが印象的な青年の看板龍を思い浮かべながら、朱音は由貴の話を聞く。椅子に座り直した由貴はすっかりしょげた様子であった。

「……知った時にやってたのは野生だから、セーフと思ったんだけど……どうもその前に何匹かやっちゃってたみたいで……その中の一匹がその、人の、だったらしくて……っあああどうしよう朱音どうしようーっ!」
「あーよしよし、それはさっき聞いた。で、私が訊いてるのは私の把握はこれで正しいのかという事なんだが答えは? はい? いいえ?」
「っ、うん、はい、そうです。そのとーりです。合ってます」

 朱音が呆れたような面持ちで少し咎める様な口調で尋ねると、由貴はぎくりと肩を揺らした。その拍子で深紅の肩掛けがするりとずり落ちたのだが、余裕無さげな彼女は気付かないようだった。朱音も別に教える必要はないと思っていたので、それを指摘せずに話を進めた。いつも穏やかな笑顔で笑っている朱音だが、実は結構な短気である。

「ちなみに、その子は今大丈夫なのか?」
「うん。もうすっかり元気というか、落ち着いたかな。子供っぽかったり大人っぽかったりして、たまに対応に困るけど」
「そういうものだよ、ヒトも龍も、どんなに大人っぽい人でもたまには甘えたくなるものだ」

 そう言ってる自分自身が今一番彼女に甘えているのだろうな、と思って朱音は少し悔しそうに顔を顰めた。
 今更ですますを使う丁寧口調に戻しても気味悪がられそうだし、ある程度雑な扱いでも彼女は気にしないと知っているからこそ、朱音はずっと前に家の中で身についた口調で話していた。
 丁寧口調を使わなくて良いと思った時に出てくる、この嫌な思い出しかない口調をいつになったら捨てられるのか、彼女には見当もつかなかった。
 そんな朱音の蟠りを知らない由貴は由貴で、困った様な動揺している様な苦笑を浮かべていた。

「まぁそれはわかるけど……ねぇ、そんな苦いならシロップ入れれば?」
「別にコーヒーが苦いわけじゃないから要らない。というかお前は入れ過ぎだ色々と」
「えー?」

 朱音がそう言う傍から、由貴はアイスコーヒーにミルクを追加する。最初の方にシロップを一つとミルクをどばっと入れていたのを思い出した朱音もそれなりに甘党だが、そこまで甘いのは遠慮したいとこっそり思った。そんな朱音の若干呆れたような視線を流して由貴は話を続けた。

「まぁ、すごいショックだったけど……でも今はもう大丈夫だから」
「そうか、なら良い……今一つ、そういう“ショック”と言われる感覚は解らないんだけどな」
「え、何で? こう、胸を締めつけられるような衝撃というかなんというか……」
「なら普通に悲しいとか寂しいとか、そう言えば良いじゃないか」
「むぅ……朱音、結構頭固かったりする?」
「価値観が違うだけだろう」

 住んでいた場所が少し違う所為というよりは、自分のいた環境が変なだけだったのかもしれないと朱音は思っている。それでも解らないものは分からないのだから仕方が無いじゃないかと溜息を吐いて、朱音は話題を切り替えた。

「で、その請求金額がこれ、か……って、6万Gとか大した事ないんじゃ?」
「はあっ!? そ、そりゃ朱音は儲けてるから余裕でしょうよ、でもここに来て半年も経ってない私にとっては命とりな金額よ! 最近仕事してきたからちょっと余裕あるけどそれでもあと3万Gくらいきついのよ!」
「じゃあ貸すよ」

 由貴は目を丸くする。今朱音は何と言ったのか、頭の理解が追いつかなかった。

「え?」
「うん、その足りない3万Gくらい貸してあげるよ」
「……ええっ!?」
「え、そのつもりで話してたんじゃないのか?」

 驚愕している由貴の様子に朱音は不思議そうに尋ねる。由貴はもげそうな勢いで首と手を横に振った。

「いやいやいやいや! わ、私はただちょっとどうしようって思って、ただ話聞いて欲しくて!」
「ふーん、で、どうするつもりだった?」

 朱音が半眼で冷たく尋ねると、ぎくりと由貴は俯いて身を小さくする。

「え、ええと……自分でどうにかしようかと……」
「ほぉ、どうにかなりそうなのか?」
「……っならないから愚痴ってたんじゃない!」
「ならないなら素直に甘えれば良いだろう、貸してって」
「だ、だって、悪いじゃん」
「どうして?」
「どうして、って……」
「私が良いと言っているんだから悪くないに決まってるだろう、それともそんなに私に頼りたくない? 私なんかに貸し作りたくないと」

 そうかーとどことなく残念そうに朱音は呟いた。由貴はハッとして顔を上げる。

「だ、だって! 朱音は大事な友人だから、なおさらこういう問題に巻き込むのは申し訳無いと言うか」
「……別に3万Gあげるとまでは言ってないんだが?」
「そこは分かってる。ちゃんと返す」
「違う、そうじゃない。まだ言ってない。決めつけないでちゃんとこっちの話も聞いて欲しい」
「……うん、ごめん」
「良い返事だ。で、条件だが……3万G分だけ私相手に歌ってくれないかな?」

 由貴は不思議そうに目を見開いた。別に突然丁寧語で話しかけられたからではなく、朱音が歌を望んだことが意外だった。一応朱音は自分の歌の効力を知っている。一度朱音の(正確には彼女を含む多くの人の)前で歌った時、彼女は由貴の能力に勘付いて直接尋ねてきたのだ。そこから色々意気投合して今の仲に至る。
 それでも朱音は今まで自分の為に歌ってくれと頼んだ事がなかったから、本当に由貴は驚いていた。

「……う、歌?」
「歌。と言っても別に今日3万G分一気に、って訳じゃないからそこは安心して欲しい」
「で、でも……」

 朝町に来るまでの路銀を稼ぐ時に、朱音は由貴の歌を何度か聴いていた。それがどんな種類の歌であれ、彼女はそれによってもたらされる気分は自分のものじゃないと冷静に受け止めていた。どうにも“歌に酔い”にくいらしい朱音は、私相手に歌っても力が勿体ないだろうと苦笑していた事もあった。
 何よりそれ以前の問題があった。

「3万Gも朱音に借りて、しかも。それを歌でチャラにするなんて……それはできないよ。こういったシビアな問題だからこそしっかり責任取らせて欲しい」
「そうかー……真面目だねぇ」
「朱音だって、もし誰かにお金借りて、その人に料理作ってくれればそれでいいよって言われて、納得いく?」
「……それもそうだねぇ」

 では代案を考えようかと朱音は大分薄くなったアイスコーヒーを飲み干す。こつんと音を立ててグラスを置いた時にはもう思いついたらしい。

「なら、うちの店で働く? 由貴自身でも、そのファイ君でも良い。3万G分だけうちで働く。お金を稼いで借金返済ができる、かつ、返すやり取りの手間も減って一石二鳥。君としても責任とれるだろうから一石三鳥かな」
「……それは確かに名案かもしれない」
「そうだろう」
「なら、ファイに働いて貰うよ。自分でした事の責任は自分で取ってもらわないとね。それに、いい社会勉強になるだろうし」
「おおー、一石四鳥とか我ながら凄い提案になったなぁ。じゃあそういうことで」

 そう言って由貴に笑いかけた朱音は、はたと何かを思い付いて一気に物足りなさそうな顔をした。急激な表情の変化に由貴は一瞬身構える。

「でもなー、今日はちょっと歌って欲しいんだ、5000G分くらいとかで良いから」
「えぇ!?」

 朱音はどこからともなく(正確には透過の魔法がかかっている鞄の中から)何かが書いてある紙きれを取り出して、由貴に差し出す。

「できれば今日はこの歌が良いんだけど、知ってる?」
「どれどれ……って、これ? 普通にあの辺り出身なら知ってる歌じゃない、朱音も歌えるでしょ?」
「まぁね。でも私が歌っても意味ないからさ」
「いや、でも朱音だって結構歌上手いじゃない」

 由貴の言葉に朱音は苦笑する。実際朱音も歌う事は好きで、音程も取れるし拍もずれない自信はあった。そういう意味では上手いと言われてもはっきり否定はしなかった。前に否定したら嫌味だと言われた事がある為だ。
 ただ、どうにも朱音には出来ない事が、由貴には出来るのだ。それも生業にできる程の腕前で。

「上手さとかそういうのが問題じゃないから頼んでるんだけど?」
「……うぅ、分かったよ。アカペラで良いの?」
「いいよ。逆に歌だけの方が良いだろうし。ついでに言うなら“強め”でお願いしたい。勿論歌ってくれた分は借金から引くよ」
「それはいいって……それじゃあ」

 由貴はこほんと一つ咳払いをして、瞑目し、そらでその歌を紡ぎ始めた。


「昼と夜が回す此の世界の
何処かに居る愛しい其の人を
朝と夕が覗く此の視界に
呼ぶ此の声は宙に溶けて往く

瞼に映る其の姿は変われども
耳に残る声音が褪せようと
心に刻んだ君の名前を
出逢えるまで呼び続けよう」



 ふっと由貴が目を開くと、不満そうに不貞腐れた顔をした朱音と目があって、思わず歌が途切れてしまった。

「えっと……どしたの?」
「……強めで、って言ったと思うんだけど?」
「いや、でも本気でやったら潰れちゃうでしょ」
「それぐらいじゃなきゃ意味無いからやってくれと言ってるんだけど。というかそもそも酔わないの知ってるだろう?」
「いや、でも……すごい心配なんだけど……」
「それとも、君の力はそんなものだったのかな?」
「そんな事は! ……はあー、どうなっても知らないからね」
「じゃあ聴かせて?」

 由貴が半ばやけくそで忠告するが朱音はニコニコとしている。まるでどっかの誰かさんのふざけた笑みを一瞬連想したが、軽く頭を振るって集中し直す。中断する少し前の旋律から由貴は歌い直すことにした。
 今度こそ、彼女が潰れてしまうかもしれないギリギリの強さで。


「瞼に映る其の姿は変われども
耳に残る声音が褪せようと
心に刻んだ君の名前を
出逢えるまで呼び続けよう」



「青空に君の涙を見て
三日月に君の頬笑みを想う
星図の道を辿りながらも
心はもう君の元に在ると
君の心が此処に在るようにと祈り
足は向かう君の所へ」


 歌い終えて、少女は張りつめていた気を解くように深く息を吐く。

「何ていう歌なんだ?」

 すぐ後ろで聞き慣れた低い声が響き、少女は驚いて蒸せてしまった。慌てて息を整えながら彼女が振り返ると、丸く見開かれた紅いの瞳に端正な青年の顔が映った。少女の座るソファの背もたれに手をついて彼女を見下ろす金色の瞳は妙に真剣だった。

「っ……い、居るなら居ると言って下さい、心臓に悪いです」
「いや、邪魔したくなかったし。というかいつまで起きてるんだよお前は」
「もう寝ますよ、家計簿も付け終わりましたし」

 その家計簿も既にしまってある。風呂はもう入った。あと少女がすべきことはというと、本当に部屋に戻って眠るだけだった。
 湯上りに、ふとソファに座り込んで、何となくその歌を口ずさんでしまったのは、今日の歌の所為で若干感傷的になっていたからなのかも知れない。身に染みいる様なもどかしい切なさは自分のものではないと知っていても、一度自分のものかと錯覚すると引き摺ってしまいやすい。負の感情は特にそうだろう。
 失敗したと溜息を吐く少女に、彼女の従者は再度尋ねた。

「それで、何ていう歌なんだ?」
「…………別に私何も歌ってないデスヨー?」
「ばっちり歌ってただろうが」
「うわぁあぁ抹消して下さい、記憶から抹消して下さいー」
「何をそんなに焦ってるんだよ」
「焦りもしますよ。恥ずかしいじゃないですか」
「恥ずかしがる事ないだろう」

 むしろもっと歌っても良いんじゃないか? という言葉を、少女は彼の頬を思い切り引っ張る事で拒否した。
 彼が頬を押さえて震えているのを見て、少し気持ちが落ち着いたのか、はぁと脱力して彼女は彼の問いに答え始めた。

「私の故郷の歌で、或る異邦人の誓歌、と言われています」
「ちかいうた?」
「遠くの思い人が安心して眠れるように必ず帰るという誓いの歌なのでそう呼ばれています。誰が歌ったのかは不明ですが、結構昔から歌われていたそうで」
「へぇ……良い歌だった。独り善がりだが、それでも届けと叫んでいるみたいだった」
「ほぉ、そう思ったのですか?」

 囁くように小声で歌っていたので、あまり叫ぶという表現は相応しくないのではなかろうかと少女は首を傾げる。その反応に彼は焦った時に浮かべる誤魔化し笑いの様に口元を引きつらせる。あまり彼女に嫌われたくないという思いが彼を臆病にさせていた。

「あー、まぁ。どっちかっていうと、そういう気持ちが籠ってるのが伝わったというか……」
「……授かった才能というのは凄いものですねぇ。真似しただけでこれですか」

 『酒場の歌姫』のような才能を持たない彼女は、歌によって誰かの感情を動かすことはできない。
 彼女にできるのはただ、音程や調子などの歌い方を真似る事くらいである。しかも精巧な複製ですらない、見様見真似の模倣品だ。
 それでさえこの威力なのだから、つくづく凄い才能だと少女は感心した。

「真似って?」
「こういう風に歌ってた友人の真似をしたんです。その子の方がよっぽど上手いですよ」

 少なくとも相手にその感情を伝えると言う意味においては。
 彼女は悟った様な表情で肩を竦める。少し勿体無さそうに眉を寄せて彼は呟いた。

「君の歌声も悪くなかったと思うんだけどなぁ……」
「……それはどーも」

 つくづく主人馬鹿ですねぇと、少女は満更悪い気ではないという苦笑いを浮かべた。



back